自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

アファンの森、3月、4 つらら

2012年03月31日 | アファンの森
泊まった宿の近くは1メートル以上の雪があり、道路沿いでは両側に「壁」ができていました。そういうところに雪壁がオーバーハングしたところがあり、ツララがありました。

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アファンの森、3月、3冬景色

2012年03月30日 | アファンの森
このあたりは標高1000mに近いと思います。左手に見えているのはカラマツ、赤味がかった茶色はナラなどの冬芽です。正面の山の緑はスギ植林で、中央には縦長の落葉樹林が挟まっています。左手奥は黒姫山の亜高山針葉樹林でコメツガなどが多い林です。
 あと一ヶ月あまりたてば、冬芽がはじけて一気に新緑になります。この景色を見るだけでは死んだようとはいわなくても、眠ったような林に見えますが、木々の中に、無数の枝先の芽には確実に命が育って、そのときを待っています。現場で想像力を発揮させたら、そのことが感じられるような気がしました。

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アファンの森、3月、2 針葉樹林

2012年03月22日 | アファンの森
報告会の翌日、朝ご飯の前に宿の近くを散歩してみました。すばらしい景色でした。前夜に軽く雪が降ったので、薄化粧です。針葉樹はとりわけ雪が似合うと思います。

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アファンの森、3月、1 調査報告会

2012年03月22日 | アファンの森
今日の午後から金華山に調査に行きますので、しばらくお休みします。昨年は3月20日くらいから予定していたので、実現できませんでしたが、もし早く初めていれば被災していたかもしれません。

3月20日にアファンの森で今年度の調査報告会がありました。植物、鳥、トンボや蜘蛛などいろいろな生物を調べている人が集まりました。麻布大学では3年生がネズミと、糞虫・オサムシなど分解者の調査をしているので、その発表をしてもらいました。勉強になりました。
 この3年ほどで撮りためてきた写真のうち花の写真を集めて月ごとにパッチワークみたいに並べてものを6枚ほど作ってプレゼントしたら、ニコルさんがとてもよろこんでくれました。

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中学校の卒業式

2012年03月21日 | うた
 縁があってある中学校の卒業式に行きました。半世紀前のことを思い出しながら、子供たちのういういしい表情がまぶしかったです。今は送辞とはいわないで、「送ることば」というのですね、それがすばらしかった。自分のことばで無意味な褒め言葉にならず、上滑りにならない抑制があり、驚きました。3年生はすでにウルウルになっていました。
 そのあとに歌がありました。3年生が一気に演壇にあがりました。そして男の子が前に出て、「ぼくの中に不安があるが、うれしさもある。安らぎもあるがいらだちもある。」と「ですます」ではなく「だ」で終わる短いことばを話しました。それから「春に」という歌がはじまりました。ピアノの伴奏があり、わりとすぐに歌が始まりました。私は3メートルくらいの距離で聞いていたのですが、はっとしたことがあります。それは歌をうたう前に吸い込む息の音が聞こえたからです。そこでナマのもつ迫力を感じました。
 谷川俊太郎の詩で、「この気持ちはなんだろう」ではじまり「よろこびだ、しかしかなしみでもある」「いらだちが、しかしやすだぎがある」「あこがれた、そしていかしがかくれている」といった歌詞が続きました。思春期の心のうごきがよく表現されていて、歌う子供たちは、そのことを歌いながら「そうだ」と感じてるふうでした。泣きそうな顔の女の子がいました。
 歌が終わると、また別の子が出て来て、短いことばを語るのですが、それが歌のプレリュードになっていて、心に沁みました。「大地讃頌」が始まりました。「大地を愛せよ、大地に生きる人の子ら、その立つ土に感謝せよ」私にはこの歌詞がフクシマの放射能汚染と重なって響きました。女の子たちは泣いていました。ふと見ると男の子の頬にも涙が流れていました。
 次に「旅立ちの日に」という歌になりました。空に飛び立つイメージの歌で、称揚感がありました。人の気持ちはこういう歌詞とメロディーで高まるものですが、大きな声を出すと、胸の中にあるものが溢れるような気持ちがするものです。生徒たちは胸に抑えていたものが溢れ出ていました。
 そして最後に司会から「全員合唱」とアナウンスがあると、在校生が起立しました。卒業生と向き合う形になります。それだけで感動的でしたが、そこでまた短いことばがありました。一人の子はマイクに立つ前から泣いていて、両親に「悪いと思いながらもひどいことを言ってしまってごめんなさい」、先生に向かって、「反発したのに最後まで見捨てないでみまもってくださって、ありがとうございました」と、涙ながらに、それでも懸命に最後まで言い切りました。そして、「あなたに会えて」という歌がはじまり、最初に3年生が、そして在校生が歌い、最後には大合唱になりました。あの年頃ですから「会えた」のは後輩と先輩だけでなく、切ない思いを抱いた人のこともあることでしょう。声を出して泣いている子もいました。女の子は全員が泣いていました。こんなにすばらしい卒業式は自分のものを含めて経験したことがありません。

 還暦をすぎると、涙腺が弱くなっていけません。
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2012年03月20日 | 植物 plants
3月17日、東京ではウメがほぼ満開です。木によってはこれからというのもあるようです。私にはなんだか息苦しいようで、芳香とは感じられませんが、たしかに香りがします。見ていたら数羽のメジロが来ました。忙しそうに蜜を吸っていましたが、やがてヒヨドリが来て追い散らして行きました。光が春のものになりつつあります。

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シロフクロウ 3

2012年03月19日 | 動物 animals
頭骨標本を作りました。目の部分(眼窩、ガンカ)は大きな目をおさめるため大きくえぐられていますが、その中に眼球をおさめる円筒状のものがありました。これが骨みたいに見えました。骨標本を作るときは、お湯の中で煮てから肉をはずしますが、この円筒状のものは実はたくさんの台形のプレートでできていて、一度はバラバラになってしまいました。それを一枚一枚はりつけていきました。一枚として同じものはありませんから、一枚ずつ合わせていくと、中にピタリと合うものがあります。それをボンドでつけて、いとつ、またひとつと増やしていきます。全部がつながったときはけっこう達成感があるものです。嘴も骨ではなく、爪のようなものですから、一度はずし、あとではめこみます。いい標本ができました。


シロフクロウの頭骨
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茶碗、箸、防潮堤

2012年03月18日 | 自然 nature
 子供の頃、松江という町に2年ほど暮らしたことがある。小学3年生から5年生までだった。落ち着いた西日本の城下町でとても好きだった。今でも帰省すると足を伸ばして城山を歩いたりすると、当時の匂いのような、味のようなものがよみがえる。松江はよくお茶を呑むところだ。もちろん薄茶である。お客さんがあればもちろんだが、農作業の合間にもお茶を入れる。甘い茶受けがおいしい。お茶を呑む大人を見ながら、なんであんなでこぼこでゆがんだような茶碗で飲むのだろうと思った。それに比べて紅茶茶碗はすっきりとした形で同じ企画でできている。それに取っ手があるから熱くても手にもてるが、茶碗では手のひらで持つしかない。日本は技術のある国なのになんで茶碗は洗練されないのか不思議だった。
 町田の図師小野路にある里山を維持しておられる田極さんが、研究者が集まったときにはなしをしてくださった。ものをよく知らない人に田圃の作り方をしているが、丘の斜面に道を付け方を教えたそうだ。その場所は地形の関係で木の杭を使うのがよいのでそれを教えたら、やたらに杭を打った階段をつけてしまったそうだ。伝統的にはそうはしないのだそうだ。道をつけるところは地形的にほぼ決まっており、できるだけ杭は打たない。そういう階段式の道は思い荷物を運ぶときには歩きにくいし、雨が降ると水が土砂を流すのでよくないのだそうだ。そして昔の人は鍬をもって歩きながら最低限の掘りをつけて滑らないようにするだけにしておいたという。そうすると秋までに雨が降って堀ったところがわからなくなってしまうのだそうだ。
 雨にしても風にしても、さらには地震、豪雪と、ほんとうに日本は災害列島だと思う。とてもとても人があらがえるような相手ではない。人などとるに足らない存在であり、天は恐るべきものである。流れる水はとどめるのではなく、流す。我々の先祖は、人が自然を変えるのではなく、自然に合わせて人のほうが変わらなければ、必ずひずみが生じることを、体で感じてきたのだと思う。しばらく穏やかな年が続けば、その頃に農業を始めた若者は「たいしたことはない、わざわざあんな回り道をしなくても、近道をつければいい」と「工夫」をして、新しい道をつけるようなこともあり、強行をして、その後に大雨が降って道が崩れて田圃が埋まり「それみたことか」と経験者が尊敬されるというようなことがくり返されたに違いない。
 持つのに熱ければ取っ手をつける。道が滑れば階段にする。わかりやすく合理的だ。これが脆弱な自然のなかで発達したヨーロッパ的な合理主義であろう。しかし圧倒的な破壊力をもつアジアの自然に対して、その合理主義は合理的ではない。堤防をつければ決壊したとき、おそるべき被害が出る。それよりは川は流れるままにするほうが安全であり、川を変えるより、人が動くというのが日本の伝統的な「治水」であった。地震国では高い石積みの家は危険であり、家ごと揺れる木の柱の構造のほうが安全であり、恒久的な建物よりも、しばらくしたら建て替えるほうが合理的である。
 にもかかわらず、そうした農民の自然感は「古くさい」として顧みられることはなく、重機を使って山を削り、掘りを作り、高いビルを建て、陸橋を作り、道路をめぐらせた。自然は管理できると考え、自然のすることはこのくらいだと浅知恵で「想定」し、その結果、高さ10メートルの防潮堤は20メートルの津波を防ぐことはできなかった。そして、その極みは原発事故であろう。自然を甘く見た日本人は、美しい福島の地を汚してしまった。
 熱いお茶は茶碗のふちのほうをもてばよい。ゆっくりと手のひらにのせ、ざらついた土の感触を楽しみ、少し冷めるまでゆっくりと会話をしていただけばよい。フランス料理を食べれば、肉はフォークで差して、ナイフで切り、スプーンに持ち替えてと忙しく、マナーもうるさい。私たちは箸の二本があるだけだ。それで魚の骨もはずせば、豆もつまむ。箸で汁は呑めないから、お椀を持ち上げる。道具を発達させようと思えばできるのに、簡単な道具のまま自分のの技量のほうを磨く。こうしたことは災害大国の環境に生きて来た我々の祖先の自然感と通底しているように思われる。
 少年時代の茶碗の不思議が融けたような気がした。
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シロフクロウ 2

2012年03月18日 | 動物 animals
白い体もそうですが、私がシロフクロウに感じる魅力は脚です。もこもこっと太く、アイスホッケーのキーパーみたいな感じです。その蹴爪のするどいこと。日本のフクロウと比べてみましたが、遥かにがっちりし、カーブも深いです。


もこもこの脚


シロフクロウ(左)と日本のフクロウ(右)
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シロフクロウ  1

2012年03月17日 | 動物 animals
シロフクロウという鳥をご存知でしょうか。北極圏にすんでいるフクロウで、ホッキョクグマやホッキョクギツネなどと同じく、雪や氷の世界で目立たないように白いフクロウです。前から関心はあったのですが、ふとしたことから死体を処理することになりました。剥製にはしないで羽根をとって骨格標本を作ることにしました。大きいしがっしりしています。英語ではsnow owlといいます。いい名前です。


シロフクロウ


これはあるサイトから引用したもので、シロフクロウの魅力が伝わります。
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