自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

線路の雑草 と ご挨拶

2009年07月31日 | 自然 nature
横浜線というのはJRの八王子と横浜を結ぶ線で、麻布大学はそのうちの矢部という駅で下車する。その近くの駅にいたときに、草刈りをしていた。その日は真夏のような暑さで、炎天下での作業はたいへんそうだった。「ごくろうさま」と思いながら、でも「線路の草くらい刈らなくてもいいのではないか」とも思った。いや、電車の運転の安全上、刈らないといけないのだろう。とはいえ、東京のほとんどの駅では刈るべき草も生えて来ない訳だから、線路沿いという過酷な環境にやっと入り込み、たくましく生きている草のほうにも「ごくろうさま」という気持ちがあった。がんばって作業をするおじさん(といっても私よりはずっと若いのだが)たちの様子が、ちょっと「昭和の風景」という感じがした。この日のビールはおいしかったろうなぁ。


線路 2009.6.29 淵野辺駅

あしたからモンゴルに出張します。問わず語りの、あいかもわらぬ雑文にもかかわらず、ご愛顧いただきありがとうございます。皆様、よい夏休みをお過ごしください。

高槻成紀
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采配

2009年07月30日 | アファンの森
別のところではサイハンランをみた。この森にはかなりあるようだった。去年、町田里山でみつけて喜んだのを思い出した。花の形がかわっているし、その色も「控えめな派手」という感じでありがたみを感じた。サイハイは「采配」だが、この花をみて武具を連想するのだろうかと、やや違和感がある。生物の本質とネーミングとは何の関係もなく、ある土地のある社会に属する人がもつものやイメージで名付けるのだが、これなどは「似てないとはいわないが、それがベストの名前ですか?」といいたくなる類のものだ。いっそのこと、まちがって「幸い蘭」になってしまったらいいなどと勝手に思う。(シロサイは口が横広がりなのでワイド・ライノセロスというのを聞き間違えてホワイト・ライノセロスになり、それをシロサイと訳したのだという。ほんとかなという気もするが、しかし名前のまちがいというのはけっこうあるものらしい)


サイハイラン 2009.6.20 アファンの森
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久しぶり

2009年07月29日 | アファンの森
森の陰にキエビネがあった。この仲間は盗掘によって本当に減ってしまった。私が仙台にいたころ、東北地方ではエビネはどこにでもあったし、クマガイソウなども珍しいというほどではなかった。だが1980年の後半くらいでぐっと少なくなった。「よっ、お久しぶり!」という感じだった。


キエビネ 2009.6.20 アファンの森
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角出せ

2009年07月28日 | アファンの森
6月20日に長野県黒姫のアファンの森に行ったことを書いたが、そのときのことを少し続けたい。この森のコンセプトは、暗くて死んだようになっていた放置林を、管理することで生き物たちを呼び戻そうというものだ。もしそうであれば、なぜそうなのかを調べたい、私たちはそう考えてお手伝いしたいと考えた。
 お昼を食べた場所で雑談をしていたら、学生がナメクジがいたという。見ると木の洞から大きな奴が頭を出している。大人の親指ほどといいたいところだが、それより相当太い。角出せ、やり出せ、目玉出せだったか、ああいう歌の歌詞は生物学的に正確でなくてもいいのだろうが、たいていの人はその後ナメクジやカタツムリを勉強することもないのだから、角と槍と目玉をもっていると思ったままだと思う。私も知らなかったが、学生によると繁殖器が顔の横にあるのだそうだ。どうもよくわからない奴だ。


2009.6.20 長野県信濃町
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緑陰

2009年07月27日 | その他の調査地
(八ヶ岳6月)
ミズナラの葉は縁のギザギザが粗く、デザインの大胆さを感じます。その若葉が重なり合って緑の濃淡が生まれていました。


ミズナラ 2009.6.6 八ヶ岳
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樹皮剥ぎ

2009年07月26日 | その他の調査地
[6月八ヶ岳]
八ヶ岳はシカの密度はそれほど高いとも思えないのですが、針葉樹の下はたぶん雪が少なく、また風も弱いのでしょう、シカが寝床に使うようで、糞などがたくさんあり、ササの食痕も目立ちます。なかには樹皮をかじってたべたあともあり、このウラジロモミの場合、直径が30cmくらいある大きな木ですが、全周が剥がれていたので、枯れるに違いありません。


シカによる樹皮剥ぎ 2009.6.6 八ヶ岳
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ミヤコザサ

2009年07月25日 | その他の調査地
[6月八ヶ岳]
八ヶ岳の南斜面はカラマツが広くおおっていて、その下にはミヤコザサが生えています。これはシカの重要な食料になるので、最近になってシカが増えていろいろ問題を起こしています。ここのササもかなり食べられていました。


カラマツ林の下に生えるミヤコザサ 2009.6.7 八ヶ岳
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ナース

2009年07月24日 | その他の調査地
[6月八ヶ岳]
私たちは日常をせこせこと忙しく過ごし、誰がどう言ったとか、世の中が思うようにならないとかつまらぬことで一喜一憂していますが、森林はそれとはまったく違うペースで動いています。コメツガの木が倒れると数十年かけて腐っていきます。木が倒れれば被っていた部分に穴があいて光が射し込みます。苔むした倒木には周りの木から種子が飛んできて芽生えます。その朽ち木を土台として次の世代がゆっくりと育っていくわけです。「母樹」は倒れ、そこが次の世代の「温床」になるということです。こういう木のことを「ナース・ツリー」といいます。ナースは看護婦さんですが、もう少し広い意味で世話係という意味です。見上げるような巨樹も、最初は数センチの小さな赤ちゃん。さまざまなドラマを経て、ほとんどは途中で枯れてゆき、ほんの一握りが大きく育ちます。

コメツガの倒木の上に育つコメツガの赤ちゃん 2009.6.6 八ヶ岳
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コミヤマカタバミ

2009年07月23日 | その他の調査地
[6月八ヶ岳]
この春は島根半島でミヤマカタバミをみつけてよろこびましたが、今回はコミヤマカタバミを見ました。ずっと小振りです。林の下に楚々と咲いていました。


コミヤマカタバミ 2009.6.4 八ヶ岳
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山の事故

2009年07月22日 | その他 others
以前から家族で話していたことが現実になった。北海道で起きた中高年の山の事故のことだ。
 今、山に入っても若者にあまり会わないが、私たちが若かった頃、山とは若者の場所だった。たまに40代くらいの「おじさん」に会ったが、女性、とくに60代、70代というのはまずいなかった。私たちにとって山行は緊張の伴うものだった。下調べをし、計画を立て、準備をし、その日を指折り数えて、その日に臨んだ。自分の総合力が試される場であり、体力だけでなく、判断力や、洞察力も必要だと考えていた。実際、緊張を必要とした。日本の山は数日歩けば全部快晴などということはまずありえない。1日は雨になり、霧もかかる。雨具がよくないために泣かされたこともあった。だから装備も重要であった。お金がなくても節約してよい雨具をそろえたものだ。
 普段はないことだが、ある学生をきびしく叱責したことがある。それは身支度をしっかりするようにと言っておいたのに、それを無視して、足下も雨具もいいかげんなまま山に来たからだ。今は便利になってどこにでもコンビニがあり、忘れ物をしても車で買って来ればいいという気分があり、私自身そういう雰囲気に慣れてしまったが、それでも山に入るときの「身構え」はある。その学生にはそれがまったく感じられなかったから不愉快だったのだ。
 昨今は自然を賛美し、森ややさしくて癒しの効果があるとか、木の実を集めに行きましょうとか、公園を歩くようなトーンで山のことが紹介される。私は人並みはずれて山が好きだから、山がすばらしいということにいささかのためらいもないが、しかし日本の山は赤ずきんちゃんがルンルン鼻歌を歌いながら木の実を集めるような空間ではない。泥だらけになるし、蚊やブヨはいるし、ヒルだってヘビだっている。真夏でさえ震えるほど寒くなるし、滑落や道に迷う可能性は常にある。屈強の若者でさえ危険な場所なのだ。
 若いときに山の経験のない中高年が、体の訓練もなく、地図を読むこともできず、山の天気や知識もないままに、「山はすてき」だけで山登りが人気になってきた。私は必ず遭難が増えると予測していた。そして、そうなった。旅行会社の不備はあったであろう。例によって会社が非難され、有罪になるのかもしれない。しかし、私に言わせれば自己責任だ。山を甘くみて、ガイドのアドバイスを聞かないで事故にあって、お前が悪かったとは大人のすることではない。山に入るということは、もっともっと緊張の伴う、襟をただすおこないなのだ。私の友人は仙台の冬でも下宿の窓を開け放っていた。冬山で寒さに耐えるには日常的に体を鍛えておかなければならないと考えたからだ。
 遭難した人には気の毒というしかないが、その辺に買い物にいくような気分で山に行ってもらっては困るのだ。
 山はすばらしいというのをいけないとはいえないが、しかし初夏のさわやかな晴天の日の写真だけをみせて山を紹介するのは、一種の誇大宣伝だと思う。そうする方も悪いが、それで山に行こうと思うほうも想像力がなさすぎる。甘口の自然愛好者が増えるのはあまりいいこととは思えない。そういう「自然ブーム」であるのなら、早く去ったほうがいいと思う。
 繰り返すが、日本の山は「保護」するようなか弱いものではない。むしろ恐るべき場所でもあることを知るべきだと思う。
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