3月の金華山を終えました。
さりげない仕草、それも人前での挨拶などではなくて、コップを持つとか、襟を整えるといった仕草に上品さを感じることも、逆にいやな印象をもつこともあります。そういう意味では、私たちが子どもの頃の昭和30年代くらいの日本はずいぶん下品であったろうと思います。道に平気でゴミを捨てたし、宴会で悪酔いする大人や、祭りでケンカする大人もいました。それから今ではあまり言わなくなりましたが、「けつの穴が小さい奴だ」とか「クソったれ」とか「言い出しっぺ」、あるいは「カエルの顔にしょんべん」など、シモがかるというか排泄に関するような表現がごくふつうにありました。
これはどういうことかと考えることがあります。当時の大人は高等教育を受けた人が少なかったので粗野であったというのはありそうな説明で、あたってもいると思いますが、それだけではないと感じます。ひとつには映画やテレビを通じて欧米のマナーが定着したということがあるでしょう。初めのうちは「へえ、アメリカではそうするんだ」という反応でしたが、次第にそれが標準のようになり「ああいう日本人いやねえ」となっていったように思います。私たちが子どもの頃は、少なくとも山陰ではバスや電車の中で赤ちゃんにおっぱいをあげるお母さんがごくふつうにいました。これも今では考えられないことです。
ではそうなったのは、最初に言ったような意味での下品から上品になったかというとそうではないように思います。あの頃はある土地に住んでいれば顔見知りであり、人が集まる場所に行っても「やあ」とお互いが会釈する関係でした。知らない人であっても、別の地域でそういう関係で生きているというのが前提でした。
私が小学中学年のときに、祖母が鳥取の倉吉という町から米子まで、私と2つ上の姉を電車に乗せ、自分は乗れないので、向かいの座席の人に
「この子たちを米子までよろしゅう頼みますけぇ」
と言い、もちろんその見知らぬ人は「はいはい」と応えて、やさしくしてくれました。そういうときだけでなく、電車の向かいになったら、大人たちは挨拶が始まり、どこから来ましたか、どういうお仕事ですか、そしてあの頃ですから、戦争の話になって、家族が戦死したといった深刻な話になって、聞いている方も涙ぐむといったことはよくありました。「これも何かの縁だから」という空気です。
そういう顔見知り関係、気持ちを許し合える関係は、都市では希薄になります。顔見知り社会においては、「あいつはエラそうなこといってるけど、口ばかりだ」と見透かされたり、「あの人は無口で無骨だが、やることにまちがいはない」といった定評があったりしました。だが、都市ではお互いの背景を何も知りません。そうするとどうなるか。内容は別として見かけをよくする、好感を持たれないまでも、悪くは思われないほうが得だと考えるはずです。だから、スキがない、口先のうまい人間になるべきだということになります。こうしてお互いが心を許すことがなくなった。
昭和中盤のあの下品さがなくなったのは、正直にありのままを表現できなくなったためで、上品になったのではないと思います。上品なふりをするのがうまくなたというべきでしょうか。それは粗野な下品さよりもタチが悪い。現に政治家から「芸術家」、「科学者」まで何を考えているんだか信用できない輩がたくさんいる。