自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

多摩森林科学園 アセビ

2014年03月31日 | 多摩森林科学園
4月21日にまた高尾にある多摩森林科学園に行って来ました。雪はもう融けていましたが、谷には少しだけ残っていました。思っていたほどは花が咲いていませんでしたが、林に入ろうとするところにアセビが咲いていました。小さくて下向きなので、訪問する昆虫は限られるはずです。

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下品上品

2014年03月30日 | がんこおやじ
3月の金華山を終えました。

 さりげない仕草、それも人前での挨拶などではなくて、コップを持つとか、襟を整えるといった仕草に上品さを感じることも、逆にいやな印象をもつこともあります。そういう意味では、私たちが子どもの頃の昭和30年代くらいの日本はずいぶん下品であったろうと思います。道に平気でゴミを捨てたし、宴会で悪酔いする大人や、祭りでケンカする大人もいました。それから今ではあまり言わなくなりましたが、「けつの穴が小さい奴だ」とか「クソったれ」とか「言い出しっぺ」、あるいは「カエルの顔にしょんべん」など、シモがかるというか排泄に関するような表現がごくふつうにありました。
 これはどういうことかと考えることがあります。当時の大人は高等教育を受けた人が少なかったので粗野であったというのはありそうな説明で、あたってもいると思いますが、それだけではないと感じます。ひとつには映画やテレビを通じて欧米のマナーが定着したということがあるでしょう。初めのうちは「へえ、アメリカではそうするんだ」という反応でしたが、次第にそれが標準のようになり「ああいう日本人いやねえ」となっていったように思います。私たちが子どもの頃は、少なくとも山陰ではバスや電車の中で赤ちゃんにおっぱいをあげるお母さんがごくふつうにいました。これも今では考えられないことです。
 ではそうなったのは、最初に言ったような意味での下品から上品になったかというとそうではないように思います。あの頃はある土地に住んでいれば顔見知りであり、人が集まる場所に行っても「やあ」とお互いが会釈する関係でした。知らない人であっても、別の地域でそういう関係で生きているというのが前提でした。
 私が小学中学年のときに、祖母が鳥取の倉吉という町から米子まで、私と2つ上の姉を電車に乗せ、自分は乗れないので、向かいの座席の人に
「この子たちを米子までよろしゅう頼みますけぇ」
と言い、もちろんその見知らぬ人は「はいはい」と応えて、やさしくしてくれました。そういうときだけでなく、電車の向かいになったら、大人たちは挨拶が始まり、どこから来ましたか、どういうお仕事ですか、そしてあの頃ですから、戦争の話になって、家族が戦死したといった深刻な話になって、聞いている方も涙ぐむといったことはよくありました。「これも何かの縁だから」という空気です。
 そういう顔見知り関係、気持ちを許し合える関係は、都市では希薄になります。顔見知り社会においては、「あいつはエラそうなこといってるけど、口ばかりだ」と見透かされたり、「あの人は無口で無骨だが、やることにまちがいはない」といった定評があったりしました。だが、都市ではお互いの背景を何も知りません。そうするとどうなるか。内容は別として見かけをよくする、好感を持たれないまでも、悪くは思われないほうが得だと考えるはずです。だから、スキがない、口先のうまい人間になるべきだということになります。こうしてお互いが心を許すことがなくなった。
 昭和中盤のあの下品さがなくなったのは、正直にありのままを表現できなくなったためで、上品になったのではないと思います。上品なふりをするのがうまくなたというべきでしょうか。それは粗野な下品さよりもタチが悪い。現に政治家から「芸術家」、「科学者」まで何を考えているんだか信用できない輩がたくさんいる。

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足下の視界

2014年03月29日 | 金華山
昨日の答です。

 はじめのブナの果実ですが、ここはだいたい標高150mのところ、ふつうブナは標高800mくらいから上ですから金華山では異様に低いところにあることになります(これにはちゃんとした理由があります)。そして昨年の秋は豊作だったこともわかります。これはサルやシカの死亡率を下げます。

 シカのフンはもちろんすぐわかるし、シカの多い金華山ならではということですが、しかし適当にカメラを向けてもその視野に入るということは、いたるところにフンがあるということです。

 ブナの枝というのは、少し説明がいります。ちゃんと調べたわけではないですが、ふつうのブナ林でぱっと下をみても、こういう頻度で枝が落ちていることはありません。これは金華山のブナが高齢化していること、林に若木や低木がなくて、大きな木にとって直接風があたったりして枝が折れやすいことを示しています。つまり、林は森林構造が変形されるまでシカの影響を受けると、文字通りボロボロになるということです。
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山道を登りながら

2014年03月28日 | 金華山
金華山である日、調査を終えました。島の一番北に行ったので、泊まっている神社に戻るのにちょっと距離がありました。戻るまでに登りがあり、採集品が重くて大変でした。若い頃は脚力があったのでばんばん登ったものですが、さすがによる齢には勝てません。上や前を見ては登れず、足下ばかりながめながらの登りになりました。何も考えずに歩いているつもりでも、「習い性になる」で、自然観察はくせになっているようです。足下の視野を見て読み取ることがありました。ヒントとして丸をつけておきましたので、私が何を読み取ったかを考えてみてください。答は明日。





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緊張

2014年03月27日 | 金華山
先日テレビをみていたら、エゾシカが線路を走っている動画でした。解説では関西の人が北海道に来てシカをみつけ、多くのシカが線路の脇に逃げたが、一頭だけ「のんびりと」先に進んだ、さすがに北海道は人と野生動物が身近にくらしているというものでした。でもそのシカは明らかに緊張し、こわいけど左右には逃げられなくてしかたなくまっすぐ走っていたのです。なぜ緊張していたといえるかというと、お尻の毛が開いていたからです。シカは緊張したり、恐怖を感じると普段は下向きの毛の束がパッと開くのです。コメントした人に悪気はないのは確かですが、動物の行動を知らないなと思いました。


この子鹿もお母さんから離れて緊張したところです。
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2014年03月26日 | 金華山
このシカは2歳と思われます。シカは毎年角を落とします。1歳の夏から1本の角が伸びて来ます。本土のものは長さが20cmから30cmもありますが、金華山では5mくらいのものや、もっと短くて少しコブのようにふくらんだだけものももいます。それだけ栄養状態が悪いということです。このシカも体は小さいですが、でも首の当たりにたてがみが伸びてきているし、おでこが赤褐色になっていて「男らしさ」がでてきています。

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ケヤキ

2014年03月25日 | 金華山
この林を見てなんか変だと思うはずです。金華山にはよくある景色ですが、巨木があって、若い木がありません。シカが食べてしまうからです。写真ではわかりにくいですが、この2本のケヤキはいずれも直径が1mを越えています。

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コケ

2014年03月24日 | 金華山
金華山にもどります。
 コケは見ようと思えば林のように見えます。林をコケサイズに縮小するとすれば、自分は1cmもない昆虫くらいになるでしょう。盆栽とか箱庭をチマチマした自然観だとか、植物を虐待している悪趣味だなどという人は何もわかっていません。自分をミニにする空想力をもてない不幸な人です。

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卒業式

2014年03月23日 | その他 others

 いま卒業式の季節で、私も大学の卒業式を終え、学生を送り出しました。
 縁があって中学校の卒業式に出ることがありました。自分の中学の卒業式をそう遠い過去のことのように思っていませんが、思えば半世紀前のことです。卒業式でみる中学生は男の子も女の子もまだおさなさが残る初々しい表情をしていました。
 ひととおりの挨拶が終わると卒業生の合唱になりました。「大地讃頌」という歌があります。大地を愛せ、土を愛せという直裁なことばが繰り返されるので、それだけ感動的です。歌声が波のようにうねり、重なるのが胸に響きました。その中に「平和な大地、静かな大地」という歌詞があり、私はこれが福島のことを歌っているように聞こえました。阿武隈山地はほんとうに平和で静かな場所であったのに、原発事故で汚され、平和な暮らしが奪われました。愛そうにもその愛すべき土地がなくなった。この歌詞がそう訴えているようでした。
 それから谷川俊太郎の「春に」という歌が合唱されました。歌う前に男子の言葉があり「実はぼくは高校入試を失敗しました。落ち込んでいたとき、母が明るくふるまってくれて救われる思いでした。面と向かっては表現できませんが、心から感謝しています」と話しながら、声をつまらせました。それからこの歌が始まったのですが、「この気持ちは何だろう」からはじまり、よろこびなのか悲しいのか、いらだちなのか安らぎなのか、遠くへ行きたいようなここでゆっくりしたいような、とローティーンの不安定な心が見事に表現されていて、それをまさにその年齢の子どもたちが一生懸命歌うので、私の喉のあたりは液体で溢れそうでした。
 合唱を終え、指揮をした、あるいは歌の前にことばを言った子たちが席に戻って来ましたが、見るとある少年が嗚咽していました。入試のことを言った少年だったかもしれません。
 式が終盤になり、卒業生が退場することになりました。各クラスの担任の先生が誘導しますが、あるクラスの先生は若い女性で、もう涙でくしゃくしゃでした。それを見てクラスの女生徒は声を上げて泣いていました。男の子は抑えていましたが、抑えようとしたがゆえに、こらえきれない子は肩を振るわせていて、一層気持ちが伝わってきました。
 マスコミを通じて伝えられる現代の子ども像はゆがんでおり、それは一面受け入れざるをえない部分はあるでしょう。でも私はこのとき、「こんなにも純粋な中学生がいるのだ」と本当に驚き、感激しました。
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ススキに雪

2014年03月22日 | 金華山
枯れススキに雪がつもっていました。これをみて手塚治虫を連想した人はいたでしょうか。手塚の表現力には驚くべきものがあり、また線のシャープさも水際だっています。イネ科の植物は細長くて1本ずつ描くのは面倒くさいことです。それでも丁寧に描けば描けるはずです。そのイネ科の葉が2本重なっていればxのようになり、それが8本くらいあればxが複雑に交錯します。その交錯したものを手塚は葉のある部分とない部分にわけて表現することをします。そのようすと雪がのって1本1本のススキの葉が区別がつかなくなっているのが手塚の描法を思い出させました。ほとんどの人には「そうなの?」な話題でした。



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