3月が終わりました。
3/9 麻布大学の野生動物研究室の卒論発表会がありました。
3/11 玉川上水の観察会をしました。こちら
3/11 地球永住計画の講演会で田口洋美さんの講演を聞きました。
3/17 動物園講演会(武蔵野市公会堂)で講演しました。
3/25 玉川上水の観察会をもう一度しました。こちら
3/27, 28 麻布大学いのちの博物館で子供を対象にスケッチ会をしました。
そのほか小平市の小中学校の卒業式に招かれました。
というわけで年度末のイベントがありました。この間、いくつかの場所のタヌキの糞分析(津田、奥多摩)と、丹沢のシカの糞分析(こちら)をしました。鳥による種子散布も調べました。
論文は3つくらいを少しずつ書いています(モンゴルの家畜の植生比較、モンゴルのフスタイ国立公園のタヒ<モウコノウマ>とアカシカについて、岩手県五葉山の森林伐採など)。津田のタヌキの糞論文はアップされたので誰でも読めるようになりました(こちら)。こういう形が良いと思います。
4月もよろしくおつきあいください。
春の花といえば、3月23日に津田塾大学に行ったら、タチツボスミレがたくさんありましたが、中に見かけないスミレがありました。パッとみてアカネスミレだろうと思っていたのですが、どうやら違っていたようで、コスミレでした。確かに花がアカネスミレのような赤紫でなく、側弁に毛がなく、葉も細長いなど、コスミレの特徴を持っていました。
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花はまだのようでしたが、春の頼りはいくつかありました。ありふれたところではオオイヌノフグリ
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それとノミノフスマ
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どちらも道端に咲いていますが、普段足を止めることもなく通り過ぎてしまう花です。ゆっくりしたときによく見ると実にきれいなことに驚くばかりです。
狭山丘陵らしいものとしてはシュンランを見つけました。
その丘の下に田んぼがあるので行きました。
小さなオタマジャクシがたくさんいました。見ると卵があり、その形からアカガエルのものだとわかりました。
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田んぼのオタマジャクシを見る三女とダイちゃん
お母さんがオタマジャクシをとって、子供の手にのせて見ていました。それからまた田んぼに戻していました。畦道を歩いて行くと、オタマジャクシがたくさんいるところがありました。
「マックロクロスケみたい」
といったのは母親でした。彼女がこの子たちの頃に「となりのトトロ」を見たのでした。
それを見ているうちにダイちゃんが田んぼに入ってしまいました。じいさんとしては「ああ、えらいことになった」と思いながらもようすを見ていましたが、お母さんはあわてるでもなく、もちろん叱るでもなく、ただ笑っています。
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泥だらけになってあぜ道に上がったダイちゃん
そうしたら自分も入りたくなったタッくんも田んぼに入りました。
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田んぼに入ったタッくん
実は三女は「空飛ぶ三輪車」という保育園で働いており、そこでは子供を野外に連れていって、自然の中で自由に遊ばせるという教育方針で子育てをしています。この子たちもそこで育っているので、当たり前のようにそうしたし、母親もまたいつもと同じようにしているだけのことなのです。このあとで小川の流れの良いところで靴を脱いで足を洗っていました。
それからもう一ヶ所別の林に行きました。草原で二人で何かしようと話しています。
私はそのあたりをウロウロと物色していました。小平よりは少し寒いのか、ヒサカキやウグイスカグラなど、ありふれた花しか咲いていませんでした。ただちょっと見慣れないものが地面に落ちているのに気づいたので、近づいてみると、つい先日放映していた「ダーウィンが来た」でやっていたエナガの巣のようでした。
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エナガの巣?
外側がコケや地衣でできていて、内側に鳥の羽毛が入っています。これなら中にいるひなは暖かいはずです。地面に落ちて崩れていましたが、多分テレビのものと同じエナガの巣だと思われました。番組では樋口広芳先生が出て来て、オオタカが都会で増えた結果、鳥の死体が増え、それがエナガの巣作りに役立ってエナガも都会で増えている可能性が大きいということでした。
それを見ていた5歳の拓馬くんは、「ぼくも見たい。探してみよう」と話していたらしく、おじいちゃんが拾って来たので、大喜び。母親が準備したのか、私も常備しているジップ袋をどこからか取り出して、羽毛を「サンプリング」していました。
そこでじいさんはバッグからルーペを取り出して、羽毛を覗かせました。
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ルーペを除く拓馬くん
「うわあー!すごい!」
ルーペの視野に広がる羽毛を見て驚いたみたいです。
「これはなかなか見所があるわい」と思いました。
モンゴルは続けますが、一旦近況をはさみます。
3月24日は三女の孫を連れて狭山丘陵にハイキングにいきました。春らしい陽気の日でした。
はじめに雑木林で遊び、おやつを食べたりしました。二人とも前の日にバリカンで髪を切って「マルコメ君」になったようです。
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2歳の大地くんは小さいながらお兄ちゃんと同じことができるつもりなので、同じに扱われないと悔しくて悔しくておこります。コナラの木に座ってウマに乗ったつもりです。
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おやつタイムになり、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に食べました。
私たちが調査をしたモゴッド谷を見下ろした景色です。この地方によくある景色で、道路は低地を通りますから、全体を見るのは峠を超えるときくらいです。この時は斜面で調査をするために徒歩で丘に登って谷を挟んで向こうの丘までを見たところです。
画面の左下に小さく白い点がありますが、ヒツジの群れです。このくらい広い範囲が見えるということです。丘は東西にあってほぼ南北に走っており、こちらから向こうまでは1時間かかりませんが、南北の移動は1時間では足りません。だいたい時速40キロくらいでしょうか。それでもこの地方は起伏がありますが、東の方や南の方に行くと真っ平らで山も丘もありません。数時間どころか何日も同じような景色が続きます。それを馬で移動していた時代が長く続きました。当時の人たちの移動というのはどういう時間感覚、地理感覚だったのか、私には想像がつきません。
そのおかの上を見ていたら何か辺です。目のよくない私は双眼鏡でのぞいてみました。すると、なんと馬がいました。慌てて望遠レンズを取り付けて撮影しました。それをトリミングしたので、ブレが隠せませんが、背景がピンクで不思議な写真になりました。
ある日の夕刻、いつもと違う夕焼けになりました。同じ地形の場所でも、雲の大きさや位置や形により、太陽の角度により、夕焼けは無数の変異を見せます。この日は薄曇りでした。空はすでに暗くなりかけていましたが、山の向こうに沈もうとしている太陽はまだ地平線に沈んでいないようで、山際で光を発していました。丘には弱い光が残っていましたが、足元はもう暗くなっていました。モンゴルの夕焼けはいつもはオレンジ色系の、つまり黄色が入った赤ですが、この日のものは紫に近いような紅色でした。
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その光の角度や強さも刻々と変化します。落日が残照を雲に投影し、空は紫色になりました。いつも見ている山は漆黒となり、空の色にアクセントを与えていました。
壮大な芸術作品を見るようでした。
夕空のすばらしさもモンゴルでの感動のひとつです。空の広さを改めて感じます。それとこういう時間帯はなんだか心が揺れるような気がするもので、あの丘の向こうにも牧民の生活があり、今日も家畜の世話をしてゲルでくつろいでいるのだろうかなどと想像します。そしてそういう生活が気が遠くなるほどの長い年月続いてきたのだ、とも。