その心配が現実のものになりました。小金井橋の下流の切り株が無惨にも上水の中に落下していました。

上水に落下したケヤキの切り株
この場所は私が2020年に見て衝撃を受けた場所です。

並ぶケヤキの切り株

同じ場所の2020年3月の写真
その切り株からはひこばえが生えていました。つまり切られても懸命に生きようとしていたのです。外からは見えませんが、根を張り、そこから水を吸って切り株に送り、そこから芽を出して葉を開き、光合成をしてまた養分を蓄えながら生きてきました。しかし、委員会の方針で伐採しただけではこと足らず、完全に枯らすことが目的となり、ついに死に絶え、落下したのです。これで水道局が懸念する「水を汚さない」ことはできないことが実証されてしまいました。これは今後、次々と起きて、周辺の土壌は根による土止めを失い、上水に流れ込むのは確実です。

同じような切り株は無数にあり、枯れ始めている(新小金井橋上流)
これは砂防学の常識であり、その常識のようになっただけのことです。非科学的な想定は間違っていることが証明されたと言うことです。私にはこれを見て水道局が「委員会の方針は間違っていたのではないか」と思わないのが不思議です。
この行いは、砂防学を無視したこと、ここに生えていた豊かな野草を失ったこと、そこに生きていた無数の鳥や昆虫を立ち去らせたことなど、生物多様性を保全するという精神を無視するばかりか、それに逆行するものという意味で大いに問題です。
そういう意味での問題も多いですが、私はもっと深いところにあるごく単純なこと、つまり懸命に生きようとして伸びてきたひこばえをさらに刈り取り、それでも生えてきたものをまた刈り取り、ついには完全に枯らせてしまったという恐るべき感覚に戦慄を覚えます。これは幼子が転んで泣いていて立ち上がったところに行って、倒し、また起き上がったところをまた倒して、死に至らしめるおこないに相当するといえるでしょう。それを「桜を愛する」ことを推奨し、100周年とお祭り騒ぎをする小金井市がおこなっているのです。物言わぬケヤキをなぶり殺す精神の持ち主が桜でもなんでも、植物を愛することができるはずがありません。