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4月18日は朝から雨でしたが、午後になったら雨が上がり光がさしました。自粛で家にばかりいるので、近所の霊園に散歩に行きました。まだ雨が降っている場所もあるらしく、遠くの空は暗いままなので、光が不思議な感じがしました。
ノカンゾウの葉に雨粒が輝いていました。
(承前)
これに続けて語られたことは、この武漢ウィルスの後も社会は大変化をするであろうということだった。その変化とは、これまでの「社会は発展するものだ」という前提そのものを見直すことになるだろうということだった。変化は必要だが、それは発展ではないだろうと。だが、私は変化ももうたくさんだと思う。私はもともと発展ということに疑いを持っていた。東日本大震災やその後の天災、今回の武漢ウィルスなど、心が安らがないことが続くと、発展どころか変化することもいらないという気持ちになる。
私がこのインタビューで「我が意を得たり」と思ったのは「戦い」についてである。山本先生は、ウィルスと全面戦争をするのではなく、冷静に事実を知り、知識と技術を総動員して賢く付き合うべきだという。そうだ、戦うのではなく、付き合うしかないのだ。「戦う」というのはほぼ互角の相手を敵とみなすことから始まる。犬と猫、トラとライオンは戦うというが、人と地震が戦うとは言わない。ウィルスは地震や台風のような存在であり、戦うべき相手とみなすのは傲慢だと思う。弱気になってはいけないが、相手を知りもしないで「戦う」だの、「勝利する」だのと強がりを叫ぶのは、かつて過ちを犯した時のこの国の社会のありようと違うところがない。
山本先生は冷静な科学者としての言葉を強い説得力を持って語ったが、最後の言葉は、やや意外なものだった。意外ではあるが思わず手を握って「そうだ」と思わせる言葉だった。それは、これから私たちはどういう姿勢をとるべきかという質問に対して「未来のことを考えて、希望を持つことだ」ということだった。同じ言葉を聞いても、その前に語られた、深い洞察と冷静な分析を聞かなければ、これほど深い感動はなかったに違いない。私はいつもはテレビをソファに座って膝にノートパソコン置いて、それを使いながら適当に見るのだが、この時ばかりは椅子に座り直して背筋を伸ばして聞いた。
このところ、コロナ騒ぎに疲れて自然観察に逃げるようなところがあったが、少し前向きにならなければいけないと反省した。
山本先生の言葉を聞いて、ずっと考えてきた、自然に対して傲慢であってはならないということは確信に近づいている。