「ナラの木」を紹介しました。その庄内版と会津版ができました。それを読んでことばのもつ力のすごさを感じました。でも、本当の抑揚やアクセントはわからないところがあります。
高校生のときに教科書に宮沢賢治の「永訣の朝」があり、心ひかれて読みましたが、「雨雪とてちてけんじゃ」というのが、実際にはどう発音していいのかわからず当惑しました。後年、ときどき盛岡に行くことがあり、土地の人が話すのを聞いて、なんとなくわかるような気がしました。私は調査で大船渡や釜石によく行きましたが、盛岡とはまったく違う感じでした。盛岡ことばはおっとりとしていてふんわかと包むような響きがあります。
もともとは口からでてくることばを文字に置き換えたわけです。それは天才的なことといわなければなりませんが、もちろんはじめから段と行があって母音と子音が体系的にあるなど思ったはずはありません。「いぬ」とか「あつい」とかいう単語として把握したのでしょうか。その意味では漢字のように表意文字のほうがわかりやすい。それを音に分解するというのはずいぶん不自然なことです。
いずれにしても文字ができ、残すことや伝えるという、それまでになかったことができるようになり、それが教育されて、文字で表現するのが当然のようになりました。
私はいま書かれたことばは、話すことばとけっこう違うということを考えています。
東電の会長という人がお詫び会見をしました。作業服を着ていましたが、日常は背広にネクタイを着ている人の顔でした。「心からお詫びを申し上げる」そうですが、紙に書いた文章を読み上げるその人の口から出てくることばに、心はまったくこもっていませんでした。書く言葉と話すことばが乖離していました。
東京の人にはよくわからないかもしれませんが、心から出ることばと東京で話すことばにへだたりのある日本人のほうがはるかに多いのです。私たち地方出身者は、心にあることばを「翻訳」しています。なんとなく慣れてしまって、翻訳という感覚を失っていますが、どこかで「違う」と感じています。東京人は東北の人のことばを聞いて「何を言ってるんだか、さっぱりわかんない」と平気で言います。アメリカに行ってアメリカ人に同じことを言われたときの理不尽さを想像してみてください。同じ2つのことばがあるのに、片方が優位であるために、片方が「習得」しないといけないというのは実に不条理なことです。まして同じ国の中でことばに「優劣」のあることが許されていいわけがありません。明治維新のあとで京都が首都になる可能性は十分にあったわけですが、そうなっていたら東京人は「なにゆうてんのか、さっぱりわからへん」「そやから関東のことばは荒くてきらいなんや」などと言われて「矯正」を強いられていたはずです。
心にあることばと文字に書くことば。書かれていても心のないことば。心にあることばと、翻訳されたことば。
そういうことを考えたのは、仲間のためにせめて遺体をみつけてあげたいと疲れた体にむち打ちながら働く人や、久しぶりに風呂に入って喜ぶ人が、心の底から発することばの圧倒的なパワーと口先で自己弁護をする東電の会長のことばの意味のなさを、図らずも比べることになり、同じ日本人の口から発せられることばなのに、これほどまでにリアリティに違いがあるものかとつくづく感じたからです。
高校生のときに教科書に宮沢賢治の「永訣の朝」があり、心ひかれて読みましたが、「雨雪とてちてけんじゃ」というのが、実際にはどう発音していいのかわからず当惑しました。後年、ときどき盛岡に行くことがあり、土地の人が話すのを聞いて、なんとなくわかるような気がしました。私は調査で大船渡や釜石によく行きましたが、盛岡とはまったく違う感じでした。盛岡ことばはおっとりとしていてふんわかと包むような響きがあります。
もともとは口からでてくることばを文字に置き換えたわけです。それは天才的なことといわなければなりませんが、もちろんはじめから段と行があって母音と子音が体系的にあるなど思ったはずはありません。「いぬ」とか「あつい」とかいう単語として把握したのでしょうか。その意味では漢字のように表意文字のほうがわかりやすい。それを音に分解するというのはずいぶん不自然なことです。
いずれにしても文字ができ、残すことや伝えるという、それまでになかったことができるようになり、それが教育されて、文字で表現するのが当然のようになりました。
私はいま書かれたことばは、話すことばとけっこう違うということを考えています。
東電の会長という人がお詫び会見をしました。作業服を着ていましたが、日常は背広にネクタイを着ている人の顔でした。「心からお詫びを申し上げる」そうですが、紙に書いた文章を読み上げるその人の口から出てくることばに、心はまったくこもっていませんでした。書く言葉と話すことばが乖離していました。
東京の人にはよくわからないかもしれませんが、心から出ることばと東京で話すことばにへだたりのある日本人のほうがはるかに多いのです。私たち地方出身者は、心にあることばを「翻訳」しています。なんとなく慣れてしまって、翻訳という感覚を失っていますが、どこかで「違う」と感じています。東京人は東北の人のことばを聞いて「何を言ってるんだか、さっぱりわかんない」と平気で言います。アメリカに行ってアメリカ人に同じことを言われたときの理不尽さを想像してみてください。同じ2つのことばがあるのに、片方が優位であるために、片方が「習得」しないといけないというのは実に不条理なことです。まして同じ国の中でことばに「優劣」のあることが許されていいわけがありません。明治維新のあとで京都が首都になる可能性は十分にあったわけですが、そうなっていたら東京人は「なにゆうてんのか、さっぱりわからへん」「そやから関東のことばは荒くてきらいなんや」などと言われて「矯正」を強いられていたはずです。
心にあることばと文字に書くことば。書かれていても心のないことば。心にあることばと、翻訳されたことば。
そういうことを考えたのは、仲間のためにせめて遺体をみつけてあげたいと疲れた体にむち打ちながら働く人や、久しぶりに風呂に入って喜ぶ人が、心の底から発することばの圧倒的なパワーと口先で自己弁護をする東電の会長のことばの意味のなさを、図らずも比べることになり、同じ日本人の口から発せられることばなのに、これほどまでにリアリティに違いがあるものかとつくづく感じたからです。