自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

言葉と心

2011年03月31日 | ことば
「ナラの木」を紹介しました。その庄内版と会津版ができました。それを読んでことばのもつ力のすごさを感じました。でも、本当の抑揚やアクセントはわからないところがあります。
 高校生のときに教科書に宮沢賢治の「永訣の朝」があり、心ひかれて読みましたが、「雨雪とてちてけんじゃ」というのが、実際にはどう発音していいのかわからず当惑しました。後年、ときどき盛岡に行くことがあり、土地の人が話すのを聞いて、なんとなくわかるような気がしました。私は調査で大船渡や釜石によく行きましたが、盛岡とはまったく違う感じでした。盛岡ことばはおっとりとしていてふんわかと包むような響きがあります。
 もともとは口からでてくることばを文字に置き換えたわけです。それは天才的なことといわなければなりませんが、もちろんはじめから段と行があって母音と子音が体系的にあるなど思ったはずはありません。「いぬ」とか「あつい」とかいう単語として把握したのでしょうか。その意味では漢字のように表意文字のほうがわかりやすい。それを音に分解するというのはずいぶん不自然なことです。
 いずれにしても文字ができ、残すことや伝えるという、それまでになかったことができるようになり、それが教育されて、文字で表現するのが当然のようになりました。
 私はいま書かれたことばは、話すことばとけっこう違うということを考えています。
 東電の会長という人がお詫び会見をしました。作業服を着ていましたが、日常は背広にネクタイを着ている人の顔でした。「心からお詫びを申し上げる」そうですが、紙に書いた文章を読み上げるその人の口から出てくることばに、心はまったくこもっていませんでした。書く言葉と話すことばが乖離していました。
 東京の人にはよくわからないかもしれませんが、心から出ることばと東京で話すことばにへだたりのある日本人のほうがはるかに多いのです。私たち地方出身者は、心にあることばを「翻訳」しています。なんとなく慣れてしまって、翻訳という感覚を失っていますが、どこかで「違う」と感じています。東京人は東北の人のことばを聞いて「何を言ってるんだか、さっぱりわかんない」と平気で言います。アメリカに行ってアメリカ人に同じことを言われたときの理不尽さを想像してみてください。同じ2つのことばがあるのに、片方が優位であるために、片方が「習得」しないといけないというのは実に不条理なことです。まして同じ国の中でことばに「優劣」のあることが許されていいわけがありません。明治維新のあとで京都が首都になる可能性は十分にあったわけですが、そうなっていたら東京人は「なにゆうてんのか、さっぱりわからへん」「そやから関東のことばは荒くてきらいなんや」などと言われて「矯正」を強いられていたはずです。
 心にあることばと文字に書くことば。書かれていても心のないことば。心にあることばと、翻訳されたことば。
 そういうことを考えたのは、仲間のためにせめて遺体をみつけてあげたいと疲れた体にむち打ちながら働く人や、久しぶりに風呂に入って喜ぶ人が、心の底から発することばの圧倒的なパワーと口先で自己弁護をする東電の会長のことばの意味のなさを、図らずも比べることになり、同じ日本人の口から発せられることばなのに、これほどまでにリアリティに違いがあるものかとつくづく感じたからです。
 
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アファンのネズミ29 足

2011年03月31日 | アファンの森
少し3月のようすを挿入しましたが、また「アファンのネズミ」シリーズに戻ろうと思います。

フクロウの巣からでてくる物の中にまれに鳥の部分が出て来ます。これらは鳥の足です。鳥の骨はやはり軽くするためにスケスケで、軽いです。


鳥の足
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青筋

2011年03月30日 | その他 others
東京では計画停電というのがおこなわれて、体験したことのない暗い夜や寒い部屋を体験した人が多くなりました。実は我が家はそれからはずれていて、経験していませんが。
 きのうだったか、東京の海岸に近いほうの人が青筋をたてて「(自分の区画が停電なのに対岸は煌々と明るいのを見ながら)なんでこういう差別をするんだ。これは封建時代とかわんねえじゃねえか」と憤っていました。
「ああ、これがふつうの日本人だよな」
納得したような、がっかりしたような気分でした。
 ひるがえって東北の被災者の皆さんの態度はどうでしょう。何日もひもじい思いをし、零下の夜を暖房もなくすごしながら、不平を言うわけでもなく、奪い合いをするわけでもなく、それどころか、自分よりつらい人がいるからと思いやってゆずり、2週間ぶりに風呂に入ったといって手をあわせてよろこんでおられます。そこからは決して「なんで2週間も風呂に入れないようなことをするんだ」ということばは出てきません。
 私は東北に25年も暮らしたのですが、こういう強さとやさしさがあることを知らないでいたことを恥じました。東北の人の大きさとやさしさは底が知れないと思います。
 お前はどっちかって?
 残念ながら、アオスジタテ派です。
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ナラの木 会津版

2011年03月30日 | その他 others
ありがたいことに私のよびかけに答えて後藤さんという方が会津版を送ってくださいました。

楢の木 (後藤ななさん訳:会津版)2011.3.29 ver.

すんげえ強(つえ)え風が吹いた
昼間も夜も
楢の木の葉っぱさ 吹き飛ばし
枝さ びゅんびゅん揺らして
木の皮だって 引っぺがすきはがすほどだった
そんじ楢の木は丸裸さなっちまった
んだどもけっじょも 地面にしっかりと立ってたんだと
ほかの木はみんな倒れっちまった
くたびっちゃ風は
あきらめて言ったんだと
「楢の木 なじょして まだ立っていられんのがいし?」
楢の木は言ったんだと
「お前(め)えさんは
おれの枝さ折るごとも
みな葉っぱさ吹き飛ばすごとも
枝も おれも 揺らすごともできる
んだけっじょも おれには大地に張った
根っこがあんだ
おれが生まれだっちゃときから
少しずつ強(つえ)くなった
お前(め)えさんは
おれの根っこさ、絶対(ぜってえ)さわらんに
わかっがい
根っこは おれらの一番深(ふけ)えとこなんだ
本当は 今日まで
おれは よくわかってねがった
自分自身が どんだけ ものごとさ耐えられんのか
んだども、今 ありがてえことに
お前(め)えさんに気付がしてもらった
おれが知ってたよりも
おれは強(つえ)えいんだと」
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なごり雪

2011年03月30日 | 自然 nature
27日の「ナラの木」を読んでご協力ください。友達の友達、知り合いの知り合いでもけっこうです。

3月7日には雪が降りました。山陰で育った私は冬には雪があるのがあたりまえで、「冬なのに青空」は違和感がありました。さすがに今ではそうは感じませんが、長いあいだそうでした。
 私たちの世代はビートルズに興奮し、フォークソングに熱中したので、「なごり雪」などはお気に入りです。仙台にくらすようになって、3月の卒業シーズンに「なごり雪」が歌われる意味がわかりました。太平洋側では1、2月に降らなくても3月になって雪が降ることがあるのですね。私の中であのシーンは上野駅なのですが、そして汽車の行く先は長野のほうなのですが、彼女を駅で見送るのです。新幹線のできる前の上野駅はなんだか東北や信州への出発点という雰囲気があって、屋根に雪をのせた電車があって想像力を刺激されたりしたものです。あの歌はけっきょく彼女が信州へ(と私は勝手に決めている)行ってしまって終わりということなんでしょうか。いずれにしても「去年よりきれいになった」と、「だからどうなんだ」という終わり方をします。でも、なんだかんだ言っても好きな歌で、この季節になるとふと歌いたくなってギターを持ち出します。
 これは横浜線の小さな駅ですが、雪が降るといつもと違って見えました。


なごり雪 相模原駅 2011.3.7
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ウメも

2011年03月29日 | 植物 plants
27日の「ナラの木」を読んでご協力ください。友達の友達、知り合いの知り合いでもけっこうです。

同じ3月6日に高齢の母がお世話になっている施設に見舞いに行きました。窓の外にはウメが咲いており、春の訪れを伝えていました。


ウメの花 2011.3.6 小平市
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ウグイスカグラ

2011年03月28日 | 植物 plants
27日の「ナラの木」を読んでご協力ください。友達の友達、知り合いの知り合いでもけっこうです。

3月6日に近所の霊園にある雑木林を散歩しました。まだ冬のたたずまいでしたが、よく見ると気の早いウグイスカグラが早くもつぼみをつけていました。もう咲いている花もありましたが、つぼみを紹介します。この筒状の先が開くわけです。小さな「ポン」という音を立てるかな。


ウグイスカグラ 2011.3.6 小平市
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ナラの木

2011年03月27日 | その他 others
震災発生以来、宮城や岩手の自分がなじんた土地の変わり果てたようすに胸つぶれる思いをし、あれだけの窮地にありながら、忍耐強く、自分よりもほかの人に配慮するひとびとにことばを失っています。便利で豊かであったはずの我が国のなかで困っている人に物資が届かないという事実にもどかしさを感じています。

そうした中、クマの保全を考える仲間のメーリングリストに、あるクマ研究者から届けられた詩が紹介されました。私はそれを読んで感激し、僭越ながら訳をつけました。訳しながらこみあげるものがありました。そうしたら、それに対して反応がありましたが、中でも山形の佐藤さんという人が地元のことばに「訳して」くださいました。それを声を出して読んだら、深く心に響きました。それで、この詩は東北のことばに訳すのにふさわしいと思いました。そして、この詩を被災者の人に伝えてなんとか少しでも元気をつけてもらいたいと思いました。
 もしこのブログを読んでくださっている人の中で津軽や南部や会津の人がいて、「訳す」ことのできる人がおられたら、このブログの「コメント」でもいいし、私のeメールでもいいですから、送ってくださいませんか。
takatuki@azabu-u.ac.jp
以下はオリジナル。拙訳。山形の佐藤さんの訳です。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

"THE OAK TREE"
A mighty wind
blew night and day
It stole the oak tree's leaves away,
Then snapped its boughs
and pulled its bark
Until the oak was tired and stark.
But still the oak tree held its ground
While other trees
fell all around.
The weary wind
Gave up and spoke,
"How can you still be standing Oak?"
The oak tree said,
"I know that you
Can break each branch of mine in two,
Carry every leaf away,
Shake my limbs, and make me sway.
But I have roots
stretched in the earth.
Growing stronger since my birth.
"You'll never touch them,
for you see,
They are the deepest part of me.
Until today, I wasn't sure
Of just how much I could endure.
But now I've found,
with thanks to you,
I'm stronger than I ever knew."

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ナラの木 (高槻訳)2011.3.30 ver.

たいそう強い風が吹きました
昼となく夜となく
ナラの木のすべての葉っぱを吹き飛ばし
枝をびゅんびゅんと揺らし
木の皮も引きはがすほどでした
ついにナラの木は丸はだかなってしまいました
それでも地面にしっかり立っていました
ほかの木はみんな倒れてしまいました
くたびれてしまった風は
あきらめて言いました
「ナラの木よ、どうしてまだ立っていられるのだい?」
ナラの木は言いました
「あなたは私の枝を折ることも
すべての葉っぱを吹き飛ばすことも
枝を揺らすことも
私をゆさゆさと揺することも
できます
でも私には大地に広がる
根っこがあります
私が生まれたときから
少しずつ強くなりました
あなたはこの根っこには決してさわれません
わかるでしょう
根っこは私のいちばん深い部分なのです
実は今日まで
私はよくわかっていませんでした
自分自身がどれだけものごとに耐えられるかを
でも、今おかげでわかりました
自分が知っていたよりも
私はもっと強くなったのです」

+++++++++++++++++++++++++++++++++++

楢の木(佐藤さん訳,庄内弁)

すごぐ強え風が吹いだ
昼間も夜ん間も
楢の木の葉っぱどご んな吹っ飛ばし
枝どご びゅんびゅんど揺らし
木の皮も引ぎはがすほどだった
ついに楢の木は丸はだが なてしまた
それでも地面さしっかり立ったけど
ほがの木はみんな倒れでしまた
すっかりくたびっでしまた風は
あぎらめで言うた
「楢、なしてまだ立てらいんなだ?」
楢は言うた
「オメはオレの枝折っごども
葉っぱどご んな吹っ飛ばすごども
枝どご 揺らすごどもでぎる
でもオレさは大地さ広がる
根っこがある
オレが生まっだどぎがら
少しずつ強えぐなた
オメはこの根っこさ決してさわらんね
わがんでろ
根っこはオレのいぢばん深っけ部分だなだ
実は今日まで
オレはそのごどがよっくわがてねがった
自分自身がどったげものごどさ耐えらいっがどご
んでも今ありがでごどに
わがた
自分が知ってだよりも
オレは強ぐなたなだ
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霜柱

2011年03月27日 | 自然 nature
3月3日のひな祭りの日、霜柱が立ちました。これも前の日に雨が降ったからに違いありません。この冬は霜柱をほとんど見ませんでした。私の住む小平市は武蔵野と呼ばれた土地で、関東ロームに被われています。水田耕作に適さないのでしょう、田圃はありません。隣にはその名も「田無」というところがあるくらいです。きっとそのせいで、うどんをよく食べる土地で、うどん屋さんが多いようです。関東ロームは粒子が細かいので霜柱ができるのに適しているらしく、長さが10cmほどもあるようのがあります。この日のはそれほどではなかったですが、でも5、6cmはありました。水の結晶ですからきれなもののはずですが、どうしても持ちあげた土があるために汚れて見えます。土をもちあげたり、おろしたりするのですから、発芽の準備をしている植物にとってはけっこう影響があるのではないかと思います。

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ただちには影響ありません

2011年03月26日 | その他 others
「ただちに健康に影響があるとは考えておりません」
このところ何度聞いたことばだろう。テレビに出てくる解説者がこういうのはどういうことか。そもそもただちに影響があったらとんでもないことだろう。では「ただちに悪影響がある」のと「まったく影響がない」のとのあいだにどういう境界があるのか。たとえばこのままの状態が1ヶ月続いたら1年後に影響があるとして、どういう影響が出るというのか。あるいは東北から関東にかけての膨大な面積の土壌が被曝し、半減期が30年という物質が存在してしまった状況で、今後われわれの身体、とくに幼い子供たちの身体にどういう悪影響がありうるのか。楽天的な場合にどうで、悪いシナリオが進んだ場合、どうなるのか。
 なぜもっと危機感をもつ解説者が登場しないのか。具体的な数字と影響について専門家らしい納得できる解説者がいないはずはない。国営放送ではあるまいし、なぜ納得できない説明で楽天的な人ばかり出すのか。
 これまでの報道からして、これだけの範囲で水質が危険になるという予想は市民にできたろうか(関係者はできていたに違いない)。レベル6になってスリーマイル島を超えるという予測は市民にできたろうか(関係者はできていたに違いない)。そうした情報が突然出てくる。その可能性を示されていたら、これほど当惑しなかったはずだ。言わなかったことが「不要な動揺をすることへの配慮」だなどといってほしくない。言わないから不信感をもつのであって、知らされたことで混乱するほどわれわれは愚かではない。
 この国は危機管理はおろか、情報についての基本理解ができていない。前からそういう気はしていたが、ここまでひどいとは思っていなかった。
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