さて大学祭に戻ります。
ネズミの骨を容れた3つの標本箱を並べ、その背後のコウモリの骨格標本を置きました。この標本は私が金華山で拾った新鮮な死体から作ってもらったもので、骨格標本としては異例ですが、腕と尾に羽がついています。ふだんは授業に使う部屋で机を並べただけなので展示としては物足りなかったのですが、それはお金のない大学祭ですからご愛敬というところ。ここをミニ研究室みたいにして、顕微鏡なども置きました。フクロウがこんなにたくさんのネズミを集めてくるのを目の当たりにした来訪者は強い印象を受けたようでした。学生は「いかに見せるか」をまじめに考えていましたが、楽しんでもいたようで、紙でフクロウの人形を作ったりしていました。
ネズミの骨を容れた3つの標本箱を並べ、その背後のコウモリの骨格標本を置きました。この標本は私が金華山で拾った新鮮な死体から作ってもらったもので、骨格標本としては異例ですが、腕と尾に羽がついています。ふだんは授業に使う部屋で机を並べただけなので展示としては物足りなかったのですが、それはお金のない大学祭ですからご愛敬というところ。ここをミニ研究室みたいにして、顕微鏡なども置きました。フクロウがこんなにたくさんのネズミを集めてくるのを目の当たりにした来訪者は強い印象を受けたようでした。学生は「いかに見せるか」をまじめに考えていましたが、楽しんでもいたようで、紙でフクロウの人形を作ったりしていました。
大学祭の話題を紹介しようと思いますが、ちょっとお休みして。
きのう知人から野菜やお米が届きました。いまの日本では食料はスーパーから買うのがふつうですから、知った人が作って送ってくださったものを食べるというのが不思議な感じです。この野菜ができるまでにかかった日数や労力、雨の日も暑い日もあって、そうした日々を経た結果できたものだと思うと、いつも食べるお米や野菜とは別物のようで、もったいないというか、食べるのが申し訳ないというか、普段にはない気持ちでいただきました。そう、「食べました」ではなくまさに「いただきます」という気持ちでした。それで子供の頃のことを思い出しました。鳥取の米子に住んでいたとき、母の実家のある倉吉の山奥から祖母が野菜や芋や米を運んできました。祖母は若くして後家になり、一人で農家を支えていました。細いながら筋肉質のたくましい腕をしていました。貧しい我が家に少しでも多くと、本当にたくさんの作物を大きな風呂敷にいれて自分でしょって持ってくるのでした。我が家にその思い荷物をもってくると
「さあ、店開き、店開き」
といって、荷物を広げます。私は野菜は苦手な子だったので、あまりうれしくなかったのですが、母が喜んでいるのをみると嬉しくなりました。いま思うのは、娘を思う母親の気持ちや、あの頃はお米はかなりの家庭で親戚からもらったり、安く買ったりしていたという思いです。それだけ周辺に農家が多かったはずです。だからお米はお金とひきかえに手に入れる穀物ではなく、あの兄さんが、あのおじさんが汗を流して作った価値あるものでした。だから一粒でも残してはいけないということが実感をもって感じられたように思います。
それより以前には、それどころかお父さんが、おばあさんが作ったものだったはずで、そうであれば何もいわなくても一粒ひつ粒を大切にかみしめたに違いありません。
ありがたい贈り物を味わいながら、そういう感覚のほうが本当であって、今の都会生活の感覚のほうがよほど不自然なのだということをときには思い起こさないといけないなと思いました。
きのう知人から野菜やお米が届きました。いまの日本では食料はスーパーから買うのがふつうですから、知った人が作って送ってくださったものを食べるというのが不思議な感じです。この野菜ができるまでにかかった日数や労力、雨の日も暑い日もあって、そうした日々を経た結果できたものだと思うと、いつも食べるお米や野菜とは別物のようで、もったいないというか、食べるのが申し訳ないというか、普段にはない気持ちでいただきました。そう、「食べました」ではなくまさに「いただきます」という気持ちでした。それで子供の頃のことを思い出しました。鳥取の米子に住んでいたとき、母の実家のある倉吉の山奥から祖母が野菜や芋や米を運んできました。祖母は若くして後家になり、一人で農家を支えていました。細いながら筋肉質のたくましい腕をしていました。貧しい我が家に少しでも多くと、本当にたくさんの作物を大きな風呂敷にいれて自分でしょって持ってくるのでした。我が家にその思い荷物をもってくると
「さあ、店開き、店開き」
といって、荷物を広げます。私は野菜は苦手な子だったので、あまりうれしくなかったのですが、母が喜んでいるのをみると嬉しくなりました。いま思うのは、娘を思う母親の気持ちや、あの頃はお米はかなりの家庭で親戚からもらったり、安く買ったりしていたという思いです。それだけ周辺に農家が多かったはずです。だからお米はお金とひきかえに手に入れる穀物ではなく、あの兄さんが、あのおじさんが汗を流して作った価値あるものでした。だから一粒でも残してはいけないということが実感をもって感じられたように思います。
それより以前には、それどころかお父さんが、おばあさんが作ったものだったはずで、そうであれば何もいわなくても一粒ひつ粒を大切にかみしめたに違いありません。
ありがたい贈り物を味わいながら、そういう感覚のほうが本当であって、今の都会生活の感覚のほうがよほど不自然なのだということをときには思い起こさないといけないなと思いました。
ではこれは何でしょう。
その大学祭のテーマのひとつは「リンク」としました。生き物がつながっていきていることを伝えようというもので、そのひとつの例としてとりあげたのがこれです。この標本箱に並んでいるのはネズミの骨なのです。それもフクロウが子育てのために運んだネズミの骨で、これが卵がかえってから2羽のヒナが巣立つまでのあいだに運ばれたものです。その小骨を水洗し、昆虫針に透明な三角形の板をさして、その上にボンドでくっつけたのです。ぎっしりならべても2箱と半分必要でした。
思えばこのネズミの骨は、本来土にもどるべきものを、たまたまフクロウに捕らえられて巣に運ばれて食べられ、ふつうなら木お洞の中で朽ちて、やがてはやはり土に帰るべきものですが、そうならないで研究者に回収され、それをわれわれのところに運ばれて水洗され、昆虫針の先に置かれて、標本箱に入れられた、という実に数奇な運命を辿ったということになります。顎の骨にしても、四肢骨にしても、ひとつひとつに「歴史」と「ドラマ」があったはずです。見方によっては「成仏できなかった」といえますが、別の見方をすれば「永久保存され学問に貢献した光栄に浴した」(それはないか)のかもしれません。
この展示は来訪者に強いインパクトを与えたようです。
標本箱に収まったネズミの骨
ネスミの下顎骨
ネズミの四肢骨
その大学祭のテーマのひとつは「リンク」としました。生き物がつながっていきていることを伝えようというもので、そのひとつの例としてとりあげたのがこれです。この標本箱に並んでいるのはネズミの骨なのです。それもフクロウが子育てのために運んだネズミの骨で、これが卵がかえってから2羽のヒナが巣立つまでのあいだに運ばれたものです。その小骨を水洗し、昆虫針に透明な三角形の板をさして、その上にボンドでくっつけたのです。ぎっしりならべても2箱と半分必要でした。
思えばこのネズミの骨は、本来土にもどるべきものを、たまたまフクロウに捕らえられて巣に運ばれて食べられ、ふつうなら木お洞の中で朽ちて、やがてはやはり土に帰るべきものですが、そうならないで研究者に回収され、それをわれわれのところに運ばれて水洗され、昆虫針の先に置かれて、標本箱に入れられた、という実に数奇な運命を辿ったということになります。顎の骨にしても、四肢骨にしても、ひとつひとつに「歴史」と「ドラマ」があったはずです。見方によっては「成仏できなかった」といえますが、別の見方をすれば「永久保存され学問に貢献した光栄に浴した」(それはないか)のかもしれません。
この展示は来訪者に強いインパクトを与えたようです。
標本箱に収まったネズミの骨
ネスミの下顎骨
ネズミの四肢骨