自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

雪と桜

2020年03月31日 | 自然 nature

「雪と桜」といえば高倉健の映画にあったような雰囲気だが、3月29日に時ならぬ雪が降った時、桜が咲き始めていた。これから満開という直前、コロナ騒ぎで自粛要請が出されたその時に雪が降った。

 津田塾大学のグランドは桜が植えられているが、グランドが雪景色になり、桜との不思議な組み合わせになった。

 

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日焼けした肌 3

2020年03月30日 | がんこおやじ

承前

 最近、日本の鉄鋼産業が実質廃業に近い規模縮小をしたというニュースが気になっている。工業は二次産業だが、その中でも電気産業などと違い、鉄鋼は生み出すという意味で、一次産業的な性質がある。この国は一次産業だけでなく、二次産業でも基礎部分を失い始めたのだと思った。

 そしてこの数年は観光に力を入れ始め、カジノで儲けようともしている。産業の作りで言えば、作り、加工し、売るという構造を第1、第2、第3次産業と呼んだのであろうが、観光は「売る」とも違う気がしている。要するに人の顔色を見て揉み手をして生きるという産業である。その精神は土に向かって汗を流して産み出すものとは全く違う。国の一部にそういうものがあるのは構わないが、それに大きく依存する社会は不健康であり、脆弱であることを避けることができない。

 コロナ騒動は予断を許さない。これは中国からの迷惑な病気という不幸ではあるが、日本という国の脆弱さをあぶり出すことにもなった。国全体が「町」つまり消費側になってしまった。それは私の知らない戦争直後の町と同じだ。これからの日本は優劣で言えばどんどん劣位に傾いてゆくし、産み出す国は優位に立ってゆく。それは悲しいが、そうあるべきことのように思う。

 もうこの国は陽に焼けた健康な皮膚を持つことは能わず、醜悪な色白になってしまった。

<はじめに戻る こちら

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日焼けした肌 2

2020年03月29日 | がんこおやじ

承前

 日本は「町」になった。二次産業や三次産業で金を生み出して、一次産業の田舎から買う。私が知る頃になると現金収入の少ない田舎は「貧しく」なった。

 私は「町の子」だったが、夏休みと冬休みはいつも母の実家の祖母の家に行った。しばらくいると「田舎の子」になった気がした。その感覚で祖母に連れられて商店に行くと、田畑で太陽に当たって陽に焼けた祖母の褐色の肌と、店で座っているおばさんの白い肌の対比が印象的で、私には祖母がきれいでその店のおばさんが醜悪に見えた。祖母は買い物をして家に帰って家族に話す時、「なんぼ(いくら)した」ではなく「なんぼとった」と言ったが、それは商人が「取った」というより「盗った」と感じられたのだと思う。それはそうだろう。祖母の方は文字通り汗水を流し、体の具合が悪い時でも働いてようやく手に入れたお金だから、そのお金を使うというのは、恐る恐る値段を見ながら買うか買わないかを決めるような感覚だったろうと思う。一方、店のおばさんはただぬくぬくと座布団に座って来る客を待っているだけだ。私は幼いなりに、その関係は不当だと思った。

 

続く

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日焼けした肌

2020年03月28日 | がんこおやじ

今でも学校では産業を一次産業、二次産業、三次産業という分け方をするのだろうか。私たちが子供の頃に分けていたこの3つの分け方からすると、三次産業は今や一つのカテゴリーに収まらなくなっているように思える。

 この数十年、ずっと感じていたことがある。日本という国がこんなに一次産業を軽視していて大丈夫なのだろうかと。オイルショックの時に「まだ100日は持つから大丈夫」という説明を聞いた時「ああ、この国は何かあれば100日しか持たないのだ」と感じた。そうなったから余計に国外から買うために工業生産に力を入れ、日本人は勤勉だからよく働き、緻密だから良質な製品を作り、さらに「作って買う」国になった。それにより「産み出す国」との間に「買ってもらう国と買ってあげる国」という優劣関係が生まれた。少し前の国内の「町と田舎」の関係のように。ノウキョウさんは海外旅行をして爆買いし、地方行政は美術館を乱立してヨーロッパの絵画を買いまくった。なんでもアメリカに次ぐ「豊かな国」になったのだそうだ。

 私の記憶にはないが、祖母の話では戦後の町はひどかったらしい。祖母は若くして後家になり、一人で農業をして子育てをし、戦後は叔父が仕事を手伝うようになった。その頃、相対的には田舎が豊かだったそうだ。単純な話だ。町には食べ物がなく、田舎にはあった。食べることができるということは生きることができるということで、それは動物としての基本だ。

続く

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タヌキも戻ってきた

2020年03月27日 | 研究など research

詳しい論文をご覧になりたい方は こちら

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小さな本

2020年03月26日 | 研究など research

私が東北大学にいた友人が中心になって「3.11」以後の仙台の海岸の自然が復活する様子を記述する粘り強い調査をしています。9年目に「津波が来た海辺」という本ができて、本日届きました。小さな本ですが、共同研究者の強い思いの溢れた素晴らしい作品になっています。

「はじめに」に次のような文があります。

東日本大震災の後で・・・・「私たちも現実として受け入れがたい夢の中をさまよっているような呆然とした想いを抱きながら、被災した海辺に足を運びました。・・・驚いたことに、津波が来た海辺では被災後すぐの春の訪れとともに動植物が活動を始め、緑葉の展開や花々の開花、虫の羽音、鳥のさえずり、小魚の遊泳が季節のうつろい・歳月の進行とともに広がりを増していきました」

 また、あとがきにも

「私たちが自然と上手に付き合っていくには、自然の声に耳を傾け、より繊細に、ありのままを受け入れることが何より大切と気づきました」

とあり、クールな科学をする人たちの言葉ですが、まるで詩のように響きます。

そして、高校生でも読めるように内容をやさしく、わかりやすく書かれています。私も仲間が送ってくれたこの海岸のタヌキの糞を分析して論文を書いたので、この本に話題を一つ書きました。こちら

 植物、動物だけでなく、海岸の人々の生活や歴史なども入っています。

なお 事情があって現時点では非売品です。近い将来出版される運びだそうです。

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敵に勝利する

2020年03月25日 | がんこおやじ

習近平が「戦いに勝利する」と言い、トランプも「敵に勝つ」と言った。その真似をして我が首相も同じことを言って「完全な」オリンピックをするために延期すると偉そうに言った。この人は誰にでもしっぽを振る。

 ウィルスが敵で、人はそんなちっぽけな生き物は敵として殲滅し、勝利するのだという。これについて誰も違和感を持たないのだろうか。

 私は感染症(伝染病)は災害だと思う。災害ということは台風とか地震とか大規模な自然変動である。それは人智をはるかに超えたもので、人が管理したり、抑制したりできるものではない。できるのは防災、防ぐことである。感染症は台風や地震とは違うが、しかし全く違うといえるだろうか。勝利するというのは相手を互角とみなすことであり、防ぐのではなく抑え込むということであろう。ウィルスに対して実際に行うことは、病理学的な知見により発病の原理を解明し、ウィルスの特性を捉え、対策としての処方を開発することになるだろう。それは天気予報などと共通する。これは防ぐことなのか抑え込むことなのか。

 日本人の大半が農民であり、漁民であった時代、人々は天を恐れ、災害を逃れようとした。自然に対する知識はないから、防ぐというよりは逃れた。そしてその災いが来ないように祈った。祈ることは自然科学としては無力だといえるが、天を敬い、畏れる心は重要だと思う。キリスト教の影響を受けた欧米は当然、人が自然を管理すべきだと考えるからウィルスを敵とみなし、それに勝つと考えるだろう。中国のことはよくわからないが、政治的には人民が一致団結すればできないことはないという感覚であろうか。だが、日本人にはコロナウィルスの猛威は災いだと思える。管理するというよりは、防ぐものだと感じる。

 首相は言葉の意味に鈍感であり、ただ言葉を飾ればいいと思う人だから、深い意味を考えることなく猿真似をしたのであろうが、大半の日本人は戦って勝利するというよりは、懸命に防ぎたいと考えていると思う。がんこおやじは、自然に対して傲慢になってはいけないと思う。傲慢さは言葉に表れる。

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アマナのうた- たまゆら草

2020年03月24日 | 植物 plants

毎年4月の第1週に行くことにしている場所があります。玉川上水に接した雑木林で、そこにアマナが花を咲かせるのです。何年か続けて見ていましたが、3月には葉があるだけで、4月に入るのを待つように咲くのでした。こういう花はまだ他の植物が芽吹かないうちに伸びて花を咲かせ、林の木が葉を開いて暗くなる頃にはもう生産物を地下に転流して枯れてしまいます。

 黒い土の中から現れてすぐに消えてゆくので「春の儚いもの」spring ephemeralと言われます。これを私は「たまゆら草」と呼びたいと思います。たまゆらという言葉は「玉響」と書くそうです。勾玉が触れ合って出すかすかな音から、儚いものという意味に使われるようになったとのことです。それならば「玉揺」の方がふさわしいと思います。アズマイチゲやカタクリも「たまゆら草」です。

 そのアマナが今年は3月中旬から咲き始めました。小さいし、花も大きくは開かないので目立ちませんが、実に清楚です。毎日のように見に行きましたが、曇りの日は花を開きません。

 ある日、午後4時頃に行ったら、太陽がやや低くなり、斜めから光が射してアマナの花が光を発しているようでした。

 

 

 アズマイチゲにせよアマナにせよ、不思議に心惹かれます。明るい場所でバリバリとたくましく育つ植物とは対照的な、遠慮がちな生き方に共感するからかもしれません。

 

 

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あと幾たびの

2020年03月23日 | 自然 nature

高校時代の同級生が永眠しました。昨日告別式がありました。前の日まではまだだった桜が咲いた暖かい日でした。難しい病気で治る可能性はないということで、自宅で家族に見送られたと説明がありました。70歳でした。

 読経はいつも意味はわかりませんが、一言、人の人生は儚いもので、花がなんとかという言葉が私の耳を捉えました。彼とは高校の教室でよく議論をし、当時はやっていたフォークソングを一緒に歌ったりしたものです。その同級生が帰らぬ人となったことを考えていたのと、お寺の桜のことがあったので、頭の中でそのことがぐるぐる巡っていました。

 私は今、仲間と玉川上水の花の花ごよみを作っていて、よく玉川上水に行き、先週はアズマイチゲを見つけました。玉川上水ではそれほどの群落にはなりませんが、アファンの森では見事な群落になります。黒々とした土の中から葉を出し、その先に純白の花をつけます。そして初夏には全て枯れてしまいます。

 私は18歳の時に鳥取県から仙台に行き、初めてこの花に出会いました。そして毎年春になると出会いを楽しみにしています。東京にはないと思っていましたが、高尾の森林科学園にあって喜びました。そのあとで、それどころか玉川上水にもあってさらに喜びました。

 花は変わることなく毎春同じように咲きますが、私自身は変化します。この花にも十代に出会った時とは違う受け止め方をするようになりましたが、この年齢になると、あと何回春の野草に出会えるだろうかと思うようになりました。

 

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投網

2020年03月22日 | 古い写真

成都の街を歩いていて、川で見かけた風景です。投網で魚を採っているようでした。「支那」の風情を感じました。

 

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