自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

春の訪れ 2

2020年02月29日 | 玉川上水

2月27日に玉川上水を歩いていました。まだまだ植物は少なく、おなじみの畑地雑草ばかりかなと思っていました。そうしたらあるところに白く大きめの花がありました。見るとキクザキイチリンソウでした。枯葉の中から茎を持ち上げ、葉を開き、その先に大きめの花を開きます。まだ下向き、横向きの蕾が多かったのですが、開いたものもありました。

白い花が多いのですが、薄紫色のものもありました。

 

いいものを見て、心がほっこりしました。

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春の訪れ

2020年02月28日 | 玉川上水

ちょっと古い中国を離れます。

 

 去年まで「花マップ」で玉川上水の野草を記録しました。その流れで今年は「花ごよみ」を始めました。場所は特定しませんが、玉川上水の野草がいつ咲き始めて、いつまで咲いているかを記録することにしたのです。

 暖冬のせいか、今年は花が早いようで、1月からオオイヌノフグリやナズナ、ホトケノザなどが咲き始めました。畑地雑草はたくましく、直射日光の当たるところに生えるので、地面が温まるのか、早くから咲きます。でも野草はまだです。

 真冬から咲くのに低木のヤツデ、ヤブツバキがあります。これは「冬の花」というべきものです。

 

ヤツデ

ヤブツバキ

 

春の花としてはウグイスカグラがあります。早いものは1月からありました。枝先にかわいいピンクの花をつけます。

ウグイスカグラ

 

 

 

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1986年の中国 6

2020年02月27日 | 古い写真

こういう出店も面白いものです。後ろの看板を見ると中国というのは4文字熟語が得意なのだと思わされます。「収弗合理」はちゃんとお金を受け取りなさい。「保質保量」は商品の質と量を良い状態にしなさい、ということでしょうか。左のほうは「保持衛生」「文明経済」でしょうか。簡体字なので却ってわかりにくいです。

 

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1986年の中国 5

2020年02月26日 | 古い写真

私の性癖として観光名所(それはそれで良さはあるのですが)よりも巷に惹かれるものがあります。特に当時の中国は異国という感じがして、そうでした。

 

道路工事をしていましたが、右手前のおじいさんのように人民服を着ています。何に使うのか竹を運んでいます。それと上半身裸の人もよくみました。昭和30年くらいまでの日本もそうでした。見物人がいるのも今の日本では見かけません。工事に重機を使わないで人力というのも懐かしいような気がしました。そんなことを見るには巷に限ります。

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1986年の中国 4

2020年02月25日 | 古い写真

もう1箇所観光名所に行きました。確かに風光明媚なところでした。

 

 

 建物の上から見えた屋根がいかにも支那を思わせるものでした。

 

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1986年の中国 3

2020年02月24日 | 古い写真

北京では事務手続きをしてもらうのを待つだけなので、のんびりと観光をしました。定番は天安門です。当時の中国にはまだ文化大革命の余韻が感じられました。毛沢東の威光は確かにありました。そういえば北京の飛行場にも毛の字がありました。

中華人民共和国は毛沢東が人民を解放したということになっていますが、本質的には清朝を乗っ取ったわけで、その宮廷あとは日本の城などとは比べるべくもない巨大で人を威圧するような建物です。映画ラストエンペラーを見たあとだったと思います。この国の権力とはいかなるものかを想像するだけで気が遠くなるようでした。面白かったのはその宮廷の屋根の端に黄色い(黄色は中国皇帝の色)動物の像が並んでいたことです。もちろん瓦を含め全てオーダーメイドというか、この宮殿だけのための工場があったわけです。この像はどことなくユーモラスでした。

人民解放軍の兵士が寄ってきて、一緒に写真を撮ってくれということになりました。この人たちも今は老人になっているはずです。

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1986年の中国 2

2020年02月23日 | 古い写真
当時、北京の街は自転車であふれていました。幅20mくらいの帯となって走っていて、列の出発点も終わりも見えません。その写真はないのですが、この写真にも自転車が写っています。この写真はロバで荷車をひいているものですが、積んだ段ボールがとんでもない量だったので驚きました。交通規則などゆるい感じでした。
 
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1986年の中国 1

2020年02月22日 | 古い写真
1986年といえば33年も前のことになります。私はパンダの調査に参加して、四川省に行きましたが、入国は北京経由でした。北京の飛行場は「これが首都の飛行場か?」と驚くほど小さく、木造でした。
北京の街も古い支那の雰囲気が感じられました。北京五輪の時に壊されてしまったようですが、古い町並みがありました。



ロバがのんびり歩いていました。



今のように発展するとは全く思えませんでした。
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馬で駆ける

2020年02月21日 | モンゴル
モンゴルにいるとモンゴルの人を羨ましいと思うことがあります。その中でも馬に乗って草原を走る人を見ると憧れのような気持ちを抱きます。特に子供が馬を自分の体の一部のように扱ってのびのびと駆けるのを見るのは感動的です。

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ミルクを運ぶ

2020年02月20日 | モンゴル
モンゴルの牧民のイラストをもう一つ。私たちが訪問する夏の牧民の日々では乳搾りが重要です。一番よく見るのはウシの乳搾りですが、ウマでもヒツジでも行います。母牛に子牛を近づけると、泌乳が促されて子牛に少し吸わせてから離してあとは人が絞ります。まさに「搾取」です。
 少しずつですが、ミルクがたまり、桶にいっぱいになると結構な重さになります。作業は家族総出で行うことが多く、みんなでゲルまで運びます。このおばあさんは桶を2つ運んでいますが、こういう力持ちもいます。


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