雑木林を歩いていると、ササを見ることがあります。一番多いのはアズマザサですが、明るいところにはアズマネザサもよくあります。これらは葉があまり大きくありません。この写真にあるのはクマザサというササで、一枚の葉が大きく、私たち日本人がササというときにイメージするササです。
ところで「笹」という字は国字(日本で作られた「漢字」)で、中国にはありません。もっとも「篠」は漢字です。これは小さい葉のササで、パンダが食べるのはこのタイプです。日本列島で背が低く葉の大きいササが進化したのは、たいへん興味深いテーマです。このグループは学名でもSasaと呼ばれ世界共通です。
クマザサは、しかし、ほんとうの野生植物ではないようです。私のみたところ、お寺の裏庭といったところに生えており、山でみたことはありません。縁がきれいに白く縁取られており、装飾的なところからして、チマキザサなどの仲間が品種改良されたものと思われます。この写真のササもお寺の裏に続く場所にありました。中央の緑と白い縁取りの対照がきれいです。
クマザサ 2008.1.27 狭山緑地
ところで「笹」という字は国字(日本で作られた「漢字」)で、中国にはありません。もっとも「篠」は漢字です。これは小さい葉のササで、パンダが食べるのはこのタイプです。日本列島で背が低く葉の大きいササが進化したのは、たいへん興味深いテーマです。このグループは学名でもSasaと呼ばれ世界共通です。
クマザサは、しかし、ほんとうの野生植物ではないようです。私のみたところ、お寺の裏庭といったところに生えており、山でみたことはありません。縁がきれいに白く縁取られており、装飾的なところからして、チマキザサなどの仲間が品種改良されたものと思われます。この写真のササもお寺の裏に続く場所にありました。中央の緑と白い縁取りの対照がきれいです。
クマザサ 2008.1.27 狭山緑地
東京の雑木林で冬に目立つもののひとつが、ヤマノイモの仲間の果実です。たぶんオニドコロだと思うのですが、はっきりしないので、この夏の宿題です。林縁などによくあります。相撲の行司の軍配、あれにそっくりの形をしています。軸を中心に左右に楕円形の半分が広がっていますが、それが2枚でなく3枚あると思ってください。写真にとったのはそれをやや斜め上からとったもので、それぞれが中央で割れているので、「軍配」の感じが少しわかりにくくなっています。単子葉植物のもっている直線的な美しさというのがありますが、これにもその「すっきり感」があります。真上から見ると、きちんと120度に開いています。関東の冬の日射しは明るくて、トコロの果実にもあたります。それが独特の光沢を与えるのです。なにかプラスチック用品とか、パソコンの部品などにありそうな、角度によって輝きをかえるような光沢です。南国のヤシの葉などの工芸品にこれに通じる光沢があります。この「軍配」のなかに種子が入っています。
「トコロ」の果実。斜めから、上から、光沢 2008.1.5 狭山緑地
「トコロ」の果実。斜めから、上から、光沢 2008.1.5 狭山緑地
NHKの木村太郎さんという人がいますが、彼は英語でゴリラとゲリラを間違えるくせがあるそうです。ああいう賢こそうな人でもそうなんだから、私など間違いだらけです。「ケッキョク」はいつもまちがえるので、今度こそ間違えないようにと、考えて「結極」と書きます。「最終的に極めるから」と考えてしまうのです。「相違」も「相異」ではないかと心配だ。そんな具合ですから、誤字はワープロに救われたところがあります。もともとそうですが、最近は脳が老化して、自分の自宅の郵便番号が覚えられないし、携帯番号もあやしい。人の電話番号などまったくだめです。
植物の名前も学生時代に覚えたものはすっと出てきますが、最近覚えたものはあやふやです。そうでなくても、どうも覚えられないというのがあります。ジャノヒゲとヤブランもそのひとつで、どうもだめです。生えているところも似ているし、まあ全体のようすも似ています。ジャノヒゲのほうが果実が地表にかたまってつくらしい。この写真はジャノヒゲ、いやヤブランで、果実を鳥が食べるようです。以前にタヌキの糞分析をしたときに、種子がよく出てきました。
あれっ、木村太郎でなく、平野次郎だったかな?
ジャノヒゲ 2008.1.17 小平市
植物の名前も学生時代に覚えたものはすっと出てきますが、最近覚えたものはあやふやです。そうでなくても、どうも覚えられないというのがあります。ジャノヒゲとヤブランもそのひとつで、どうもだめです。生えているところも似ているし、まあ全体のようすも似ています。ジャノヒゲのほうが果実が地表にかたまってつくらしい。この写真はジャノヒゲ、いやヤブランで、果実を鳥が食べるようです。以前にタヌキの糞分析をしたときに、種子がよく出てきました。
あれっ、木村太郎でなく、平野次郎だったかな?
ジャノヒゲ 2008.1.17 小平市
私は昭和24年生まれですから、還暦を直前にしており、孫もいます。子供の頃、還暦のおじいさんといえば、何を考えているのか想像さえできない遠い存在でした。自分が大人だと思っている人たちが敬意を払っているのだから、よほど偉いのだと思っていたし、実際貫禄がありました。
私たちはいわゆる「団塊の世代」で、高校生とときにビートルズが来日し、フォークソングが流行ったのでした。私も人並みにギターを手に入れて、みようみまねで歌ったものです。その頃、フォーククルセダースというグループがありました。コミカルな歌が流行りましたが、作品のなかに心にしみ通るような歌がありました。それらは北山修という人の作詞になるもので、十代の少年の不安や純粋さが表出されていました。
高校生だった私は、自分が大人になったら、こういう歌は歌わなくなるのだろうか(大人は演歌や民謡しか歌わなかった)と思いました。中年になればまさかフォークを謳うことはないだろうし、ましてやじいさんになれば記憶さえなくなるだろうと思っていました。
ところが、最近テレビでフォークルのリーダーだった加藤和彦が歌っている歌が新鮮に心に染み、思わずギターを抱えてしまいました。これはその歌詞で、モンゴルの空が連想されました。
白い雲は流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
この限りないむなしさの
救いはないだろうか
2003年6月 モンゴル
私たちはいわゆる「団塊の世代」で、高校生とときにビートルズが来日し、フォークソングが流行ったのでした。私も人並みにギターを手に入れて、みようみまねで歌ったものです。その頃、フォーククルセダースというグループがありました。コミカルな歌が流行りましたが、作品のなかに心にしみ通るような歌がありました。それらは北山修という人の作詞になるもので、十代の少年の不安や純粋さが表出されていました。
高校生だった私は、自分が大人になったら、こういう歌は歌わなくなるのだろうか(大人は演歌や民謡しか歌わなかった)と思いました。中年になればまさかフォークを謳うことはないだろうし、ましてやじいさんになれば記憶さえなくなるだろうと思っていました。
ところが、最近テレビでフォークルのリーダーだった加藤和彦が歌っている歌が新鮮に心に染み、思わずギターを抱えてしまいました。これはその歌詞で、モンゴルの空が連想されました。
白い雲は流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
この限りないむなしさの
救いはないだろうか
2003年6月 モンゴル