自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

ドロボウが盗むもの

2020年10月31日 | がんこおやじ
いつの時代にもどの社会にも泥棒はいる。人が努力して得たものを楽をして盗むから悪いこととされる。それだけで言えば、盗むという行為にいいも悪いもないのだが、しかし農作物や家畜を盗むというのは、お金や商品を盗むのとは異質な気がする。少なくとも、私たちが子供の頃には聞いたことがなかった。もっともお腹を空かした子供が柿を盗んだとか、トマトを食べたというような話は聞いたが、稲刈りをしたお米とか、ぶどう園のブドウをトラックを使って大量に盗んでいくなどという話は聞いたことがない。農地、特に田んぼは神聖な場所というか、子供がふざけて入れば厳しく叱られる空間だった。いたずらをすれば大人が叱るものだが、その大人の叱り方の質が違った。「してもいいことと悪いこと」というのがあって、農地に入るのは後者だった。いつもニコニコしている穏やかなおじさんが真剣な顔で叱るのを見ると、子供は「これは大変なことなのだ」と心に響いてシュンとなった。
 人が育つ過程で馬鹿正直な生き方をする人ばかりではないし、環境が真っ当な生き方をさせないこともあることがわかるようになる。だから窃盗をする人がいることも理解する。それでも、「盗人には盗人の仁義」のようなものはあって、金や商品は盗んでも、農作物は盗みの対象にはならなかった。それがこの10年くらいだろうか、あるいはもう少し前からかもしれないが、起きるようになった。違和感を感じるとともに、深いところから腹が立った。「してはいけない」ことをする奴が現れた、そういう人間をうむ社会になってしまったという嘆きのようなものが湧いた。
 今回、関東地方での家畜の盗難の容疑者がベトナム人であったと報じられた。おかしな話だが、「日本人でなかくてよかった」とおかしな感想を持った。それは国籍による差別だとも思うし、誰が盗んでも盗まれた農家にとっては同じことだということも理解する。だが、この社会で育ったものが農作物を盗むはずはないと信じたいという気持ちが裏切られなかったような気持ちがあったことは確かだ。
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コウヤボウキ

2020年10月30日 | 植物 plants
狭山丘陵にハイキングに行きました。花は少なかったですが、コウヤボウキがけっこうありました。地味ながらキラリと光るおしゃれ、といった感じです。

コウヤボウキ
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ノコンギク

2020年10月29日 | 標本
ときどき絵が描きたくなることがあります。

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伐採と剪定

2020年10月28日 | 標本
玉川上水の樹木が大量に伐採されそうだと知り、なんとかお願いして、かなり抑制されることになり、ほっとしました(こちら)。その後、伐採が開始されましたが、確認にいったら写真のようなケヤキがありました。


これを「剪定」というかどうか。安全確保が目的なら、本当にここまで切らないといけないのか大いに疑問です。主要な枝を5本ほど残しても、危険なはずがありません。この辺りも、安全確保というのであれば、実際に樹木の性質などを考えて、どのように切るのが必要十分であるか、検討してもらっていいと思います。
 気になるのは、こういう容赦のないやり方に平気になってしまう私たちの心のありようです。欧米人は哺乳類や鳥には心があるが魚や昆虫にはないから殺してもよいと真面目に考えているそうです。イギリスの法律ではタコは殺すとき苦痛を与えない方法を取らないといけないが、魚はその必要がないとしているそうです。それは間違いです。私には、動物どころか、この木も痛がり、苦しんだことがはっきりわかります。

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ノガリヤス

2020年10月27日 | 標本
私がイネ科の花をきれいだと言った時、ある人が真顔で
「どこがきれいなのですか?」
と聞いたので、返答に困ったことがあります。これはどうでしょうか。

ノガリヤス
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果実4

2020年10月26日 | 標本
そのほか草本類の果実もいくつかありました。

ヤブミョウガ

ヤブラン(少し遅かったみたいで、果実が残り少なくなっていました)。
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果実3

2020年10月25日 | 標本
玉川上水にはつる植物が多いのが特徴の一つです。果実もいくつかありました。


ヘクソカズラ

ヒヨドリジョウゴ

シオデ




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果実2

2020年10月24日 | 標本
低木もいくつか結実していました。

イヌツゲ

ムラサキシキブ

ノイバラ

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果実1

2020年10月23日 | 標本
玉川上水によく行きますが、季節が急速に移りつつあります。あの暑かった日々が去って、花が減り、果実が増えました。果実をいくつか紹介します。

ゴンズイ

シロダモ

カマツカ
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クマの出没3

2020年10月22日 | 動物 animals
承前

クマ出没とそれに伴う悲劇に対して、背景にあるものを考えないで十年一日のごとく「猟友会の出動で殺処分」という局面対応が続いていることの問題点を考えた。そして、その解決のためには、クマやドングリを実らせる樹木の生物学的知識だけでなく、農村社会や都市についての知識や理解が不可欠なこと、そのことを試みた「けものが街にやってくる」(羽澄俊裕)を紹介した。
 それに加えて以下に書くのは、まことに主観的なことである。

 日本だけではないが、今、人間社会はコロナ禍の中で巨大な閉塞感に押しつぶされそうになっている。これは人が野生動物の領域に入り込んで、しなくてもよい感染をしたからだという説があるが、私は納得ができるようなできないような気持ちでいる。科学としては疑問だと思う。人と野生動物の距離はこれまでの人間社会の方が接近しており、むしろ現在は都市化によってその距離は大きくなっているという方が実態であろう。ただ、心情的には、人が自然に対して入り込んではいけないところまで入り込んで迷惑をかけているだろうということはわかる。そういう「申し訳のなさ」は確かにあり、そういう傍若無人さのバチが当たったのだという心情的な説明には首を縦に振りたい気持ちがある。

 東日本大震災はプレートの接点にある日本列島の宿命として受け入れざるをえない。天災としての大地震は辛いけども受け止めるしかない。だが、原発事故は人災である。これは原発を慎重に運営すれば起きなかったし、そもそも原発がなければ起き得なかった。それをしてしまった日本社会は、これこそ辛いことだが、自業自得といえなくはない。これも天罰だと言われれば否定できない気がする。

 そう考えた上で、改めてクマ出没を考えてみたい。クマは野生動物の常として、できるだけ効率的に栄養を摂ろうとする。冬眠を控えて体内に脂肪を蓄積するためには脂肪に変換しやすいデンプンを摂るのが有効であり、それは自然界ではドングリということになる。そのドングリがなければ苦し紛れに、里山でトウモロコシなり、イモなりを食べることになる。クマがそういう行動をとった理由が、山の林が落葉樹林から針葉樹林に作り変えられたことだとしたら、これは人が起こした現象だということになる。そのクマを極悪犯のように射殺して「一件落着」としているのが現代社会だということになる。
 もし神様がいて、日本列島を空から俯瞰して判決を出すとしたら、
「人よ、お前たちは、この列島の山を金を生み出す空間とみなして、金の儲かる木を植えた。そのためにクマは食べ物を失って里山に出て、知らない場所に来てパニックになって人を襲った。そのクマは罰されるべきだが、しかしその原因はお前たちにあることをよく考えてみよ」
となりはしないだろうか。今回の悲劇を天罰だということは決してできない。被害に遭われた方は紛れもなくクマに襲われたのではあるが、しかし100%クマが悪いともいえない、クマを追い詰めたこの社会の犠牲者という面もあるのではないか、というのが私の偽らざる心情である。

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