いつの時代にもどの社会にも泥棒はいる。人が努力して得たものを楽をして盗むから悪いこととされる。それだけで言えば、盗むという行為にいいも悪いもないのだが、しかし農作物や家畜を盗むというのは、お金や商品を盗むのとは異質な気がする。少なくとも、私たちが子供の頃には聞いたことがなかった。もっともお腹を空かした子供が柿を盗んだとか、トマトを食べたというような話は聞いたが、稲刈りをしたお米とか、ぶどう園のブドウをトラックを使って大量に盗んでいくなどという話は聞いたことがない。農地、特に田んぼは神聖な場所というか、子供がふざけて入れば厳しく叱られる空間だった。いたずらをすれば大人が叱るものだが、その大人の叱り方の質が違った。「してもいいことと悪いこと」というのがあって、農地に入るのは後者だった。いつもニコニコしている穏やかなおじさんが真剣な顔で叱るのを見ると、子供は「これは大変なことなのだ」と心に響いてシュンとなった。
人が育つ過程で馬鹿正直な生き方をする人ばかりではないし、環境が真っ当な生き方をさせないこともあることがわかるようになる。だから窃盗をする人がいることも理解する。それでも、「盗人には盗人の仁義」のようなものはあって、金や商品は盗んでも、農作物は盗みの対象にはならなかった。それがこの10年くらいだろうか、あるいはもう少し前からかもしれないが、起きるようになった。違和感を感じるとともに、深いところから腹が立った。「してはいけない」ことをする奴が現れた、そういう人間をうむ社会になってしまったという嘆きのようなものが湧いた。
今回、関東地方での家畜の盗難の容疑者がベトナム人であったと報じられた。おかしな話だが、「日本人でなかくてよかった」とおかしな感想を持った。それは国籍による差別だとも思うし、誰が盗んでも盗まれた農家にとっては同じことだということも理解する。だが、この社会で育ったものが農作物を盗むはずはないと信じたいという気持ちが裏切られなかったような気持ちがあったことは確かだ。