自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

雑草?

2009年05月30日 | 植物 plants
麻布大学のキャンパスは、まあ例にもれず、園芸植物がほとんどです。日本の造園学もホンモノは自然の植物を使いますが、たいては「きれいな」植物を植えればいいと思っているので、ケバいツツジなどを植えて満足しています。それはまあいいとしていますが、そうした中にも目さえ光らせていればささやかな自然があります。イチョウの木の根元にツメクサが生えていて3月から花を咲かせます。これもよく観察すると午前中は咲かないで昼頃に開くのです。なんといっても花がきれいです。そうしてときどきながめていたのですが、5月のある日、なくなっていました。「雑草刈り取り」をされたのです。
 思えば枯葉はゴミとして処理されます。「それはないだろう」と思いますが、考えようによってはたしかに邪魔なわけで、ツメクサも目のない人にすればただのつまらない雑草だから抜いたということでしょう。私にすればけばけばしいツツジを抜いて、ウツギとかガマズミなどを植えたほうがよほどいいと思うのですが。
 大学は地球共生とか環境問題とかを標榜していますが、足下の自然について鈍感です。理念だけの環境論は、そのことを口にするだけにやっかいで、そうであるなら何も語らないほうがまだましだという気がします。身近な自然を大切にすることなしに、地球のことが考えられるはずがありあません。

ツメクサ 2008.3.26 麻布大学
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「草原」

2009年05月30日 | 自然 nature
モンゴルの草原を見てしまった者にとって、「日本には草原というようなものはない」と思うようになりました。広い空間に立ったときに感じるえもふしぎな感覚は魂の深いところで「何か」を呼び起こします。暗い森から出たときに感じる「何か」もあれば、逆に林に入ったときに感じる「何か」もあります。それは私たちヒトのDNAに刻印されたものなのだろうと思います。それにくらべればあまりにささやかではありますが、ときどき行く狭山丘陵にちょっとした空き地があり、ナガハグサなどが生えていました。ちょっと「草原」を連想しました。


2009.5.18 東村山市
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コバンソウ

2009年05月29日 | 植物 plants
名前がコバンソウですから、江戸時代以降についた名前に違いありません。あるいは明治以降の帰化植物のようなので、そうならもっと新しい名前ということになります。いずれにしてもふつうのイネ科の花と違い、花がえらくめだちます。日本人には直感的に「小判」です。実際にさわってみるとなんだかカスカスした感じで、その思いがけない軽さに驚きます。細い柄についていますから、少し風が吹いてもゆさゆさと揺れます。「モビール」みたいです。よくみると緑色の筋がついたりしていて、なかなかおしゃれな感じです。

コバンソウ 2009.5.18 東村山市
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双葉より

2009年05月28日 | 植物 plants
5月の中旬に麻布大学のキャンパス内にあるセンダンが花を咲かせました。近づいてみてその花のけっこうハデなのにびっくり。それに香りの強いこと。夜、帰るときにはちょっと大げさにいうと息苦しいほどでした。でもそれは香りが強くなったためなのか、暗くなると人の嗅覚が鋭敏になるためかわかりません。でも翌日にはずっと弱くなっていました。「センダンは双葉より芳し」はもちろん葉の香りですが。この植物の種子がたいへん大きいことは、ヒヨドリの吐き出しからわかった話は12月28日、29日の本欄で書きました。
 
センダン 2009.5.12 麻布大学
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コナラに風

2009年05月28日 | 自然 nature
風の強い日でした。山全体が風に吹き付けられて木が揺れていました。コナラは葉の裏が白っぽいので、風が吹くとその白い葉裏が見え、いつもと違う表情でした。
昔うたった歌が思い出され、口ずさみました。

けれど 木の葉を 震わせながら
風は通り過ぎてゆく


2009.5.18 東村山市
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エゴノキ

2009年05月27日 | 植物 plants
今年の5月はなんだか湿っていて「風薫る五月」というのとはほど遠い感じです。エゴノキが咲く季節になりました。川辺に咲いていたので落ちた花が水に浮かんでいました。

エゴノキ 2009.5.18 東村山市
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野菜泥棒?

2009年05月23日 | 植物 plants
麻布大学のすぐ近くによい緑地が残っています。授業が忙しいですが、あいまをぬって植物を見にでかけます。4月のあるうららかな日、バイクででかけました。実は去年の同じころイチリンソウをみつけていたのです。でも花の時期が少し過ぎていました。それで今年はタイミングをみはからって来たのです。ちょうどいいくらいの花が咲いていました。周りにはニリンソウもありますが、花の大きさがまるで違います。大輪でたっぷりした感じです。去年見つけた場所にあったのはアズマネザサの中にあったので、写真にはよくありません。そこで「直感」で「この奥にありそう」とアタリをつけて行きました。しばらく丘を歩くと先のほうから声がします。なんだろうかと思ってそちらをみると、老人が寄ってきて
「何をしてるんだ」
と少し険しい顔をしています。
「花の写真を撮ろうと思って来たんです。好きなもんで」
すると急にやさしい顔になって、
「あ、そういうことか。おりゃぁまた、野菜を盗みに来る奴がいるもんだからさ」
とのたまう。
「昼間にですか?」
「いや、夜だけどね」
「はあ」
「んで、どんな花だい?」
と話題を花のほうに転じる。
「ええ、これです。イチリンソウっていうんですが、きれいですよね」
「あのさ、おたくだから教えるけどさ」
と、さっきは泥棒扱いしていたのに、急に「特別ゲスト」扱いになって
「たくさん咲いているとこがあるんだ。ついて来な」
と畑の奥にある林の縁につれていってくれた。なるほどなかなかの群落だった。数枚写真を撮らせてもらってお礼をいうと。
「昔はもっとたくさんあったんだけどね」と懐かしむような表情をした。実際、このあたりは開発の波をかろうじて逃れたものの、周りは団地や市街地に囲まれて「島」のように残された緑地である。イチリンソウたちには、よく残っていてくれたと愛おしいような気持ちになった。


イチリンソウ群落 2009.4.16 町田市小山田
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大樹

2009年05月22日 | 自然 nature
ケヤキが幹の真ん中で無惨に伐られているのを見るのは心が痛むものですが、それでもその電信柱になったような幹から枝が伸びてきて、しばらくすると―本来のものとはずいぶん違った樹形にはなりますが―、街路樹として生きています。命を奪ったわけではないのだから、伐採してコンクリートで固めるよしはましなのかもしれません。しかし、こういう大人の行いを子供はよく見ています。そして、よくも悪くも、目の前で見たことを当たり前のことだと理解していきます。
 少し前になりますが、3歳くらいの女の子が電車の中で「ポニョ」を歌い始めました。のびやかな声でした。ところが、お母さんが慌てて止めました。
「どうして?」
それはそうでしょう。いつもは「じょうずね」と褒めてくれるお母さんが、同じように歌っているのにやめなさいというのですから。そうしたことの繰り返して、電車の中では歌は歌わないものなのだと覚え、人前で歌うことも恥ずかしいと「学んで」いきます。
 ところで、最近は事情があって行けなくなりましたが、しばらく前はスリランカに行く機会がありました。印象に残るのはスリランカの街角には大きな木があることです。その幹の太さたるや六畳くらい部屋ほどもあるのも珍しくありません。熱帯の強い日差しの中でこうした巨樹の作る日陰はありがたいもので、人々は樹下で涼をとります。そういう木にはしばしば仏像が置いてあり、また木そのものにしめ縄のようなものがあったりします。よくあるのは菩提樹*の木です。仏様がその下で悟りを開いた木ですから、そのことで神性をもつと信じられているということもあるでしょうが、スリランカの人々の大樹に対する敬愛は仏教以前という気がします。もちろん枝を折ることはしませんし、ましてや幹を伐るなどということは考えられません。そういう社会で育つ子供は自然に大樹に畏敬の念を抱くようになるはずです。若い女性が木の前でお祈りをしている姿は真に美しいものだと思いました。
 日本の自動車会社は地球を大切にするエコカーを作っているのだそうですが、そうした会社を支える日本社会は大樹を伐ることを平気でおこなっていて、そうする大人を見て子供は育っています。「エコ」が聞いて呆れます。


菩提樹の大樹 2005.4.12 スリランカにて

*ヨーロッパの菩提樹はシナノキの仲間でまったく違うものです。スリランカやインドにあるインドボダイジュの葉は丸い形ですが先端が尾のように長く伸びます。その形が少しシナノキに似ています。インドボダイジュの属すイチジク属はFicusといいますが、その名もFicus religiosa、つまり「宗教のイチジク」です。

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目白のケヤキ

2009年05月21日 | 植物 plants
以前指導した大学院生の結婚式に招かれました。とてもさわやかな披露宴でした。会場も古い建物で、おちついた雰囲気でした。その建物は由緒あるもので、明治時代はやんごとないひとが使ったものだったそうです。式を終え、自分の若い頃のことを思い出しながら会場をあとにしました。往路で気づいていたのですが、道の真ん中にわりあい大きなケヤキがあり、道路は木を囲むように左右にふくらんでいました。式のあいだに施設から説明があり、これは馬車を回転させるためのものだったそうです。そのケヤキには簡単なしめ縄がついていて、地元のひとが崇めているようでした。こんな時代、まして都心で道の真ん中にある木など自動車の邪魔になるという理由で伐ってしまっても不思議ではありません。でも、このケヤキは大切にされていることがわかりました。木が大切にされているのを見るのはうれしいものです。
 というのも、私は小平にすんでいますが、このあたりではときどき無惨な形で大樹が伐られているのを見ることがあるからです。ある駐車場にふたかかえもあるような立派なケヤキがあり、春の新緑や秋の茶色の葉を楽しんでいましたが、ある朝、ばっさりと伐られてそこはコンクリートになってしまいました。そうでなくても高いケヤキの幹の真ん中で、まるで電信柱のように伐られているのはよく見ます。あれで再生するのだろうかと心配になりますが、なんとか枝を出します。でも、その再生ケヤキは、ケヤキ本来ののびのびとした枝振りではなく、かろうじて生きているという感じです。そういうケヤキはいたるところにあります。なんとかもう少しいたわりのある伐り方はできないものかと、いつも思います。


道の真ん中にあるケヤキ 2009.5.16 東京都目白
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ケヤキ樹皮

2009年05月20日 | 植物 plants
八ヶ岳が続きましたが、ひとまず終えて、少しさかのぼります。3月の中旬に散歩をしていてケヤキの樹皮が目に付きました。パッチワークの魅力です。東京や周辺にはケヤキが多く、中にはかなり立派な木もあります。そういう大樹を見るとなんだか触ってみたくなるものです。樹皮の下を勢いよく樹液が登っているのかななどと想像します。そうして一年に数ミリかもしれないけど肥大するわけです。そうであれば外側の「死体」である樹皮は「脱皮」しなければなりません。内側の圧力に抗すことができなくなって外側のパッチがはずれるのでしょう。3月に目に付いたのですが、もしかしたら樹液が登っていく春に肥大するのかもしれません。ときどき観察してみましょう。


ケヤキ 2009.3.15 小平市
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