自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

玉川上水の予想 アキカラマツ

2020年06月25日 | 標本
仙川のタヌキで分かったことをだいたい書きました。これについては改めて取り上げることになると思います。

6月24日に玉川上水を歩きました。夏の花が増えてきました。これは秋カラマツで、玉川上水の明るい場所にはえる代表的な野草の一つです。

 
アキカラマツ 20.6.24
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仙川のタヌキ 仙子は仙子

2020年06月24日 | 標本
最初に撮影されたタヌキを母親だと信じて仙子という名前をつけ、後で撮影し、撮影頻度が低い方を仙吉としました。しかし考えてみれば、そのことを確認したわけではありません。タヌキは雌雄がほとんど違いがない哺乳類で、写真で性別はわからないからです。
 そう思ってきたのですが、撮影した動画に注目すべきことが写っていました。

 6月15日の夜にいつものように食物を探しに外出し、戻ってきて土管に飛び上がったのですが、その直前の写真のお腹に乳首が見えたのです。お腹といっても、胸から腹にかけて3対くらいの乳首が見えました。
 これで仙子が確かに母親であることが確認できました。

仙子のお腹に乳首が見えた。
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仙川のタヌキ 持ち上げる

2020年06月23日 | 標本
それから土管に向かってヨイショとばかり向き合いました。

子供を持ち上げようとする仙子

この後見事にジャンプして土管に上がりましたが、大変そうでした。

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仙川のタヌキ 親が来る

2020年06月22日 | 標本
それからまた2時間ほど経って仙子が戻ってきました。子供をくわえようとしますが、前のように一口でくわえてすっと持ち上げるという感じではありませんでした。くわえるの角度を色々変えたりしてから首のあたりをくわえ、重そうに持ち上げて土管の下まで運びました。

子供をくわえたせんこ 20.6.10   20:42
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仙川のタヌキ 子ダヌキ2

2020年06月21日 | 標本
同じ子ダヌキだと思いますが、2時間後にまた写っていました。この間に親が来てくわえて持ち上げることは記録されなかったので、カメラの射程の外でウロウロしていたものと思われます。
このショットはおもしろくて、この子はトコトコ歩いていたのですが、上空に蛾が飛んできたのです。そうしたらこの子は蛾を見上げて、後ずさりしました。
 たまたま私には10ヶ月くらいの孫がいるのでみていると、その子にとっては初めてのことというのが色々あります。というよりほとんどのことが初めてのことなわけです。だから興味を持って触ったり、口に入れたりします。このタヌキの子を見て同じだなと思いました。

蛾を見上げる子ダヌキ 20.6.10  19時過ぎ


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仙川のタヌキ 子ダヌキ歩く

2020年06月20日 | 標本
新聞騒ぎを離れて日常に戻ります。仙川のタヌキです。

6月10日の動画に子ダヌキが落ちているのが写っていました。かなり大きくなっており、前の時のように落ちた衝撃で動けなくなるようなことはないみたいでした。
 短い足でトコトコと歩いて1メートルほど行ってはまた戻ってきました。

子ダヌキ 20.6.10 17時過ぎ
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それどころな こと

2020年06月19日 | 標本
 17日にシカのことと童謡の歌詞のことで新聞に取り上げられた。思えば、今は「それどころではない」時だ。各界のリーダー的な人がコロナについて、ポストコロナについて色々発言している。シカや童謡どころではない大変なときなのだ。
 だが、私はそのご時世に「それどころではない」ことでない話題 − つまり「それどころな」話題  の提供者になったことを悪くないと思っている。思うに、変化することに関心を持つ人と、逆に変化しないことに関心を持つ人は意外とはっきり分けられるのではないか。これは大きく言って、人に評価されることに関心があるかないかに対応するように思う。「時代の寵児」が時代を超えた存在であるかどうかは微妙なところで、必ずしも一致しない。
 少し話が大きくなるが、ブッダは布教をしたわけではないそうだ。もちろん何も書き残してはいない。それなのにその教えはアジア全体に広まり、人々の生活に深く定着した。思えばテレビもネットもない時代にどうしてそれほど広まったのだろうと不思議に思える。それどころではない、文字を読める人もごく限られた時代に国境をこえて広まったのだから驚くべきというほかはない。それはそれだけ人の心に届くものがあったからであろう。
 そう思うと、広報機能が発達した現代は実体と宣伝との区別が難しくなっている。マスコミに繰り返し取り上げられれば、本当はくだらないことでも、重要なことのように思い込まされてしまう。

 思うに私は時事とか人の評価に関心が薄かったように思う。子供のころ「ブーム」があって、ある程度のせられたこともあったが、そういう作られた流行よりも昆虫採集の方が肌にあった。それはずっと維持され、興味は植物や森林や里山に拡大したが、要するに生き物の素晴らしさに魅力を感じてきた。そしてそれを記述したいと思ってきた。極端に言えば、その成果は人によって評価してもらえば、それはそれで嬉しいが、それよりも自分が自然を正しく捉えているかを自然に答えてもらいたいという気持ちが強い。私はこの動物をこう捉えたが、それは正しいですか?とその動物なり、「お天道様」に答えて欲しいような気持ちがある。そういう気持ちでいると、人による評価は、それほど重要なこと、本質的なことではないと思える。
 新聞が取り上げてくれることはありがたいことで、光栄でもあるが、それがその時代にとって「それどころ」であることは、私がそういうことを考えてきたことの証しだということであろう。そのことに満足できる気がする。
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歌詞の動植物

2020年06月18日 | 標本
新聞に載るなど年に一度ありやなしやのはずなのに、あろうことか1日に二度も載るという稀有なことがありました。荒川のシカの取材(こちら)の少し前に電話取材がありました。農水省系の人が童謡の歌詞に使われた動植物や景色の言葉の数を調べて、何が多かったかを分析した論文が公表されたので、解説をしてほしいということでした。論文を送ってもらったら、英語のものでした(こちら)。いわゆる「理系」の雑誌だから、検定法や図表は理系の論文によく見るものですが、多い少ないと言っても「動物が多い」のは正しくは「動物の歌詞が多い」ので慣れない感覚でした。しかし著者の認識は「歌詞によく出てくるということは人々の自然認識を反映しているはずだ」ということにあります。それはおもしろいことだと思いました。

 実は私は日本人に愛唱される唱歌「故郷」について似たような試みをして『唱歌「ふるさと」の生態学』(ヤマケイ新書)という本を書きました(こちら)。ただし、「定量的」なアプローチはせず、例えば冒頭に「ウサギ追いし」とあるが、そもそもウサギを追うどころか、見たことのある人がどれだけいるだろうか。なぜこういう歌詞があるのだろうか、という設問をして、それを生態学的にときほぐしました。自画自賛で恐縮ですが、動物も植物も生態学も歌も好きという人はそうはいないので、これらすべてが好きな私でないと書けない本だと思っています(こちら)。そういうことでコメントを求められたようでした。
 シカの取材とも重なるのですが、日本人が「都市生活者」になり、日常から自然が遠ざかってしまった現在、「故郷」がこれまでと同じようには歌われなくなる可能性があります。すでにこの30年ほどは、「故郷」ができ大正時代の人々が抱いたのと同じ共感を持てなくなっています。これは思いのほか大きな問題かもしれません。

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朝日新聞 天声人語

2020年06月17日 | 標本
今朝の朝日新聞の「天声人語」に私のコメントが載りました。


5月下旬に荒川にシカが出現し、数日後に警察に捕獲されました。テレビではシカは人を物ともせずに軽々と逃げてしまい、なかなか捕まらないなどと報じていましたが、シカの動きを見れば緊張していることがわかります。また捕獲直後の様子を見ると呼吸が速く、ストレスが極めて強かったことがわかりました。結果として無事に捕獲され、死なせないで済んだようですが、ギリギリだったと思います。これはシカという動物の生物学的性質を知らないためです。
 ところで、シカが出たらなぜ警察が出てくるのでしょうか?警察というのは犯罪者を取り締まるのが仕事ですが、シカは犯罪者ではありません。このシカは害獣としての捕獲申請が認可されたから、山に戻すわけにはいかないという説明を聞いて、違和感を持った人が多かったと思います。これは日本の野生動物についての法体系を知らないからです。
 そして「殺処分もありうる」と報じられたら、「可愛そうだ、私が引き取りたい」という声が殺到したそうです。声を上げた人はシカを飼育するのがどういうことであるかを知っているでしょうか。シカは草を1日5キロくらいも食べます。その確保は大変です。毎日1000粒くらいの糞をします。秋になればオスジカは気が荒くなり、飼育者に対しても攻撃を仕掛けることがあり、手がつけられなくなります。
 こういうことを考えると、この一連の騒動は、多くの人がシカのことを知らないために起きたことがわかります。
 インタビューを受けた時、そういう話をしました。私が強調したのは、現代の都市社会は、自然との距離を持ってしまったため、生活実感として自然を知ることがないということでした。そのためにシカは可愛いとイメージし、殺すなどとんでもないと反応します。しかし、現実には埼玉で2500頭、山梨では1万頭以上、東京でさえ数百頭のシカが殺処分されています。そのことも多くの人が知らないことです。
 そして、今、里山に野生動物が増えて、一触即発の状態にあります。つまり、シカやイノシシがいつ都市に出てきても不思議ではないのです。だから、今後、今回のようなことは度々起きるはずで、その度に大騒ぎをし、シカを殺さないでという大合唱が起きることになります。そうではなく、社会として野生動物にどう向き合うかを合理的に考えて体制を整えるべきだということが私のメッセージでした。
 天声人語は限られた字数にまとめなければいけないので、担当者はうまくまとめたとは思いますが、それだけを読んだ人はここに書いたようなことまでは読み取れなかったと思います。

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仙川のタヌキ 育つ

2020年06月16日 | 標本
下水管の前に置いたカメラにはたくさんの写真が撮れており、主に仙子が上下する動画、通過する仙子と仙吉が大半ですが、6月9日に仙子が子ダヌキをくわえて歩く写真が撮れました。これを見ると子ダヌキがかなり大きくなったことがわかります。


仙子がくわえた子ダヌキ。かなり大きくなった。

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