自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

晩冬の林7 真を写す?

2009年02月28日 | 自然 nature
 樹形のことを書いていて、木の大きさが写真ではわからないと書いた。ひとつには背景を空にしたことがある。比較するもの(スケール)がないから大きさがわからない。丸いボールの写真をとるとき、野球のボールとサッカーのボールなら模様でも違いがわかるが、のっぺらぼうのボールだとわからない。鉛筆などがおいてあるとそれがわかる。木の場合も家などがあればわかるのだが、空がバックだとわかりにくい。
 しかし考えてみれば、わりにくいほうがむしろ自然なはずだ。スミレの花でもブナの大木でも数センチ四方の中に閉じこめるのだから、それで大きさがわかるのは、われわれが本物のスミレやブナの木の大きさについての「常識」があればこそであり、写真家や画家はそれを利用しているといえる。
 その常識にとらわれていない子供は違うとらえかたをする。我が家の長女が3歳くらいのとき、動物園につれていった。彼女は生まれて初めてゾウを見たのだが、そのとき顔を真っ赤にした。どうやら、絵本でウサギもイヌもゾウも同じくらいの大きさだと思っていたらしい。絵本から入ったから、彼女にとってはそちらのほうが「常識」であり、実物のゾウは常識破りの大きさだったわけだ。
 そういう意味で子供が絵を描くのはおもしろい。三女は保育所で働いているので子供についていろいろなことを教えてくれる。子供の中には大きな人を小さな紙の中になんか描けないという子がいるという。なるほどその通りではないか。しかし大人はそれを笑い、「こうして描くのだよ」と、有無を言わさず自分たちの「常識」を教え込む。この「常識」は縮小した上に三次元のものを二次元に置き換えるのだから一種の嘘であるに違いない。そかし子供は次第にそれを常識と思い、「うまいね」といってもらい、そのルールに従うようになる。教育とはそういうものかもしれない。
 おもしろいことに、絵を描くことを「教えられた」年齢になった子、とくに絵が「うまい」子は、ネコの彫刻を作るときに、逆に当惑するという。そして教えられた「常識」にのっとって平坦な粘土でネコの平面図のようなものを作った上で、その脚を下に向けたという。初めから立体的な胴をつくり、脚を出すのではないらしい。もし子供に絵描きを教えないでいきなり立体的なネコを作らせたらどういうものを作るのだろうか。
 写真は「真を」「写す」わけではなく、我々の常識を錯覚として利用しているにすぎない。


1993.3.9 岩手県五葉山
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晩冬の林6 樹形3

2009年02月27日 | ごあいさつ Greetings
エノキとクヌギを比較して、クヌギのほうがスリムだと書いたがそうでもないようだ。ふつうに見かけるものについてはそういえるのは確かだが、コナラやクヌギは20~30年程度で伐採され、再生した若い木が多いせいでスリムなのだが、ときに大樹があり、それを見るとなかなかどうして、エノキ以上に横に張った堂々たる樹形になる。この二本は手前がコナラ、奥がクヌギで小平霊園にある。写真ではその大きさがうまく伝わらないが、見ていて手を合わせたくなるような存在感がある。右側にあるのがマツの木で、それでも4,5メートルの高さはあるが、ずいぶん低く見える。


コナラ(手前)とクヌギ 2009.2.22 小平霊園
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晩冬の林5 樹形2

2009年02月26日 | 自然 nature
 エノキはケヤキと似ているのだが、枝の分かれ方がケヤキがV字とすると、エノキはU字である。子供にとってはエノキのほうが登りやすい木だ。もう一枚の写真はクヌギで、これも枝がU字的に出る。ケヤキやエノキよりも全体に細長い。




エノキとクヌギの樹形 2009.2.11 狭山丘陵
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晩冬の林4 樹形1

2009年02月25日 | 自然 nature
冬になると樹形が気になるようになる。梢の先までの、次第に細くなるようすが空を背景にするとレースかなにかの繊細なデザインのようで美しい。なかでもケヤキは文字通り欅、掌を空に向けて開いて両手を伸ばしたよう*で、気持ちがのびやかになるようだ。若いケヤキは逆三角形、あるいはイチョウの葉のような形をしているが、大きなケヤキ(槻の木というのだろう)になると球形になる。

 *この文章を書きながらふと思ったのだが、一青窈の「ハナミズキ」は「空を押し上げて、手を伸ばす君」とあるが、あれはケヤキの樹形をあらわすのにぴったりだと思う。


ケヤキ 2009.2.15 小平霊園
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晩冬の林3 水滴?

2009年02月24日 | 自然 nature
 同じ雑木林にあった低木に水滴でもついているようだったので近寄ってみると、それは水滴ではなくアリマキの翅だった。体はオレンジ色で脚は黒、なかなかしゃれた配色だ。もう少しよく見ると翅のないのもいる。こちらは体色が白かった。こいつらも昨日の陽気で動き出したのかもしれない。林は一見、冬枯れのようすだが、確実に春の準備が始まっていた。




アリマキ 2009.2.15 小平霊園
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晩冬の林2 ウグイスカグラ

2009年02月23日 | 植物 plants
林を歩いていたら、ウグイスカグラが花を咲かせていた。ウメが咲いたのは気づいていたが、これには驚いた。晩冬というより初春というべきか。


ウグイスカグラ 09.2.15 小平霊園
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晩冬の林1

2009年02月22日 | 自然 nature
2月14日は春を通りこして初夏の暖かさだった。静岡のどこかでは26°にまでなったという。電車にのっていて暑くて困った。翌日はそこまでではなかったが、春めいていたので、また小平霊園に行った。枯葉が厚くつもり、クヌギの幹とのコントラストがなかなかいい感じだった。


林床 09.2.15 小平霊園
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氷の穴

2009年02月21日 | その他の調査地
氷の「ある部分」と「ない部分」とがモザイクをなすのだが、「ない部分」のほうが小さいのもきれいだった。水が冷えて氷という結晶になるのだが、その物理変化は状況によって雪になり、氷になり、氷の厚さや形や、融け方で無限の形の多様性をもたらす。



ほんとの蛇足:ちょっとかっこよく終わったつもりですが、思い出したことがあります。ずっと昔、なんとか小唄というのがはやって、「富士の高嶺にふる雪も~」とはじまって「とけてしまえば皆同じ」というのがありましたが、今思えばなかなか哲学的です。
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残雪

2009年02月20日 | その他の調査地
太陽を受けて雪はとけ、シャーベット状に残っている。薄くなって穴があいたところもあれば、周りが融けて残っているものもある。キラキラ光るものもある。



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べっこう飴2

2009年02月19日 | その他の調査地
もっとも自然界の「べっこう飴」は大きさが違う。大きいものになると五〇センチ四方くらいある。その造形も複雑だ。

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