「動物を守りたい君へ」を読んでの感想を頂戴しました。ご本人の了解を得て、紹介したいと思います。
高槻 先生
昨日、岩波ジュニア新書『動物を守りたい君へ』を拝受しました。ありがとうございます。
一読後、高槻先生の子どもに向けた語り口は、とてもやさしく感じました。わたしの家の娘が、ちょうど、今、中学3年生で、将来の事をあれこれ悩んでいるようです。ちょうど娘に語り書けるようで、読んでいて、暖かくなりました。
わたしは、この本を読んでいて、特にペットや家畜のところでは、アフリカの猟師マルセルのことを思い出しました。マルセルは猟の獲物も、生きた家畜も等しく<ニャマ>と呼んでいました。アイヌや琉球の猟師は、食肉と生きた家畜は区別したのでしょうか? 実は、わたしも、アフリカの村人の見方に習ってニワトリを「冷蔵庫の要らない生きた鶏肉」と呼んで(まさか、原稿に書いたのではありません)、ある編集者さんから呆れられたことがありました。しかし、「呆れるほど奇妙なものの見方」と言うより、アフリカと日本の価値観の差のように思っています。それには経済力もあるのでしょうが、根本的な人間観や自然観の差があるのではないかと疑っています。
チンパンジーの認識は、ヒトとは違います。その事を言い換えれば、チンパンジーとヒトで、「住んでいる世界が違う」と言うことになります。いちばん大きな違いは、たぶん象徴性を持つか持たないかということです。ヒトには象徴性があるから<ことば>があり、記憶がある。しかし、チンパンジーには、少なくともヒトのような象徴性がみられません。
わたしたちは保全という考え方が世界の共通認識のように「誤解」しているのですが、実はヨーロッパの考え方のような気がします。「ヨーロッパの考え方」とは、キリスト教的な世界観ということになるのでしょうか。猟師マルセルにとって、我われが野生動物や食肉やペットと区別して認識するものも、全て<ニャマ>です。そのかわり、我われには見分けの付かない火に、いくつもの種類があるのだと言います。その内のある火は、いのちある野生動物を肉に変える火です。火を起こせるか、起こせないかは、一人前のおとなとして、プライドが懸かっているのかもしれません。
などと、愚にもつかない事を考えながら、読んでいました。いつかまた、わたしからも贈れるように、がんばって書きます。ありがとうございました。
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これを寄せてくださったのは三谷 雅純さんで、チンパンジーの研究者です。感想はさまざまですが、その人にしか書けない感想をもらうとほんとうにうれしいものです。自分の書いた文章が読んだ人をある世界に引きずり込んで、そこに思考や想像を産み出すとしたら、なんとすばらしいことでしょう。三谷さん、ありがとうございました。