自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

泥棒の足跡? Footprint of a thief?

2007年09月30日 | 植物 plants
 わが家は東京の西、小平にあります。けっこう緑が残っています。すぐ近くに「小平霊園」という広い墓地があります。彼岸の頃になると多くの人が墓参に来るので、小平駅には出店が出て、お祭りのようになります。
 霊園といっても暗くて怖いような雰囲気はまったくなく、広く明るい感じです。その一角に直径50mかもう少しあるくらいの雑木林があります。クヌギやコナラ、それに太めのアカマツがあって、ちょっとした自然を楽しめます。

 小さい林なのでそれほどいろいろな植物はありませんが、雑木林の「常連」はひととおり揃っています。この季節になるとフジカンゾウが咲きます。私は仙台が長くて、この植物には会った記憶がなく、初めてみたとき花がかなり大きく淡紅色なので、何に仲間なのか見当がつきませんでした。でも近づいてみるとヌスビトハギとよくにた果実があり、わかりました。

エンドウ豆をマメ科果実の代表とすると、これらは豆が2つあって、ひとつひとつの「部屋」がくびれているわけです。ヌスビトハギの「盗人」が、盗人つまり泥棒が抜き足差し足であるいた足跡というのは、実にユーモラスでいいネーミングだと思います。実際に抜き足差し足ならつま先の跡がつくように思いますが、これは足の外側のことのようです。道路標識の「スリップ注意」は写真のあとが交差していますが、そんなはずはありえないのに、なんとなくそのほうがスリップっぽい、それに似ています。
 フジカンゾウ(上)とヌスビトハギ(下)の豆を並べてみました。けっこう大きさが違いますね。フジカンゾウの果実を「ひょっこりひょうたん島」のダンディーさんのサングラス(例えが古い?)とすると、ヌスビトハギは幼児のビキニの上のほう(これも例えがよくないか?)を連想しました。それにしてもフジカンゾウという名前はなんだかふさわしくないように思います。


I enjoy walking in a small wood in a graviyard near my house. I found a legume in it. It was strange to me who studied botany at Sendai, northern Japan. However, I noticed it belongs to Desmodium from the fruit shape. It was larger and different from the fruit of Desmodium podocarpum which is common in the north. The Japanese name of D. podocarpum means "footprint of a thief" from the shape of the fruit, which is my favorite.
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台風イッカ Colors on canvas

2007年09月28日 | 自然 nature
 少し前になりますが、大きな台風が来ました。わが家の娘が小学生の低学年の頃、「台風イッカって、台風にもお父さんとかお母さんとか子供がいるの?」とかわいいことを聞いたことがあります。もうひとりの娘が幼稚園で働いていましたが、ある子が上野動物園に行ったあと「楽しかったネ、こんどは下の動物園につれていってネ」と言ったとか。子供は音で聞きますからね。
 さて、台風一過の翌朝、大学のキャンパスのアスファルトにカツラやイチョウの葉が落ちて、その形の組み合わせがなかなか楽しいデザインでした。その写真を撮ったのですが、今みつかりません(見つかったらまた送ります)。ただし、その連想で思い出したことがあります。数年前の11月上旬に岩手県に調査に行ったときのことです。思いがけず雪になりました。ときならぬ雪に驚きましたが、11月上旬はまだ落葉の少し前です。木によっては落葉したものもありますが、紅葉や、緑の残った葉をつけたものもあります。それらの葉が強い風に吹き落とされ、白い雪の上に落ちていました。

 ふつうは枯葉の上に雪が積もるわけですから、順序が逆です。枯葉の上に落ち葉が重なってもめだちませんが、白いキャンバスのような雪の上に落ちた葉は色もさまざまで実に楽しく、美しいものでした。この写真ではミズナラ、コナラ、ブナ、ケヤキなどが見えます。中央のカエデはコミネカエデかな?

I met snow fall in early November several years aaago in Iwate Prefecture, which was unexpectedly early. Many trees had leaves on their branches, and therefore newly fallen leaves fell on the white snow. The usual order is leaf fall and then snow fall, but snow fell earlier and thereafter received fallen leaves. It looked like a canvas.
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A friend in need is a friend indeed

2007年09月28日 | 研究など research
 研究室に辻大和君がいます。7年間もこつこつと金華山でニホンザルの研究を続けてきました。彼はサルの追跡をするだけでなく、実に地味な植物の調査もがんばっておこなってきました。本命の調査は木の実の結実とサルの順位によって食べられる食物に違いがあり、それが出産などにも影響とすることを示したことで、何年ものデータをとらないと結論できないことです。
 そうした調査のあいまに、サルが木の上から落とす枝を食べにシカが木の下に集まるのを観察していました。そういう観察を積み重ねるうちに、辻君は、どうもこれはシカにとってかなり魅力的なエサになっているようだと思うようになりました。記録をまとめてみると、シカがサルのいる木の下に集まるのは冬の終わりから春にかけての時期に集中していることがわかりました。この頃はシカの食物がいちばん乏しいときです。考えてみれば地表で食物を探すシカは、すぐ上にある木の上には食べたい食物がたくさんあるのに口が届かないという「不本意」を抱きながら生きているのです。エサの乏しい時期には「ああ、こんなとき木から枝が落ちてこないかなぁ」と思って(?)いるはずです。そこにサルが「棚ぼた」を落としてくれるという関係が生じたようなのです。
 これはおもしろいから論文にしようということになったのですが、お茶を飲みながらその話をしていえるとき、私がふと思いつきました、
「論文のタイトルは、[シカの枝落下がサルにおよぼす影響]みたいなカタいのじゃなく、A friend in need is a friend indeedがいいな。"Deer " friendでもいいかも」。
 どうも研究論文のタイトルは硬いものが多く、とくに日本ではそういう傾向が強い。欧米ではときにウィットのあるものがあり、最近も植物の季節性を論じた論文に「Time after time」というタイトルがついていました。
 辻君もこのタイトルが気に入って「Acta Theriologica」という雑誌に投稿したら受理されました。私は「あのタイトルのおかげだナ」と主張しますが、レフェリーはそうはいってなかったようです。
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アカボシゴマダラ

2007年09月27日 | 動物 animals
町田里山のうち小山田緑地というのがあって、これがなかなかよい。アサザ池にはその名のとおり、アサザがあふれるほど浮かんでおり、そのわきにはツリフネソウが群落をなしていました。山をのぼっておりてきたら、民家があり、庭先に見慣れない蝶が飛んでいました。一瞬「アサギマダラかな」と思いましたが、あきらかにようすが違います。目をこらしてみると、たしかアカボシゴマダラといったはずの蝶です。子供の頃から見慣れた図鑑の後ろのほうに迷蝶としてでていたような記憶。あとで確認することにしてしっかり網膜に残像を残そうとにらむように見ました。私はそれをマダラチョウの仲間だと思いこんでいましたが、あとで図鑑で確認するとゴマダラチョウと同じ属でした。どうりで飛び方がタテハチョウっぽい力強さがありました。「温暖化による亜熱帯蝶の北上」と思いこんでいましたが、図鑑によると、神奈川県では1998年以降記録があり、奄美などのタイプと違って大陸系のもので、どうやら飼育個体の逸出らしいとのことでした。小山田緑地にはオオムラサキがいるらしく、エノキもありました。蝶が好きな気持ちはわかりますが、外国の蝶が定着することはさまざまな複雑な現象、ときには取り返しのつかない問題を起こすことがあります。不用意な飼育や放逐は慎まなければなりません。
 「大発見!」でなかったのはいいとして、ちょっとがっかりしました。証拠写真をとる余裕はありませんでしたが、信じてもらってよい情報です。
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緑陰 Green shade

2007年09月27日 | 町田里山
町田の里山には、いわゆる谷津田が残っています。細長い谷に田んぼが入り込んでいます。今はかなり減反されて、現役の田んぼは少なくなり、荒れたものもありますが、宅地化されることなく残されています。田のある沖積地とそれを挟む尾根が接しているために森林の生物と湿地の生物が近いところに暮らしており、そこに「にぎわい」が生まれます。このことばは慶応大学の岸由二さんが提唱されたもので、今ふうにいえば「生物多様性」のことですが、それよりずっとふさわしく、岸さんらしい詩情さえ湛えていると思います。その里山を歩くと、あぜ道のようなところを歩いたり尾根を歩いたりと、さまざまな地形を通過することになり、そのたびに違う自然が繰り返し現れることになりますーー明るい草原のようなところ、池、雑木林という具合に。そのたびに違う群落があり、そこに生きる小動物にも出会うことができます。私としてはオニヤンマの勇姿を見たのがうれしかった。ずいぶん久しぶりのような気がします。あの透明感のある深い緑色の大きな目玉に少年の頃の胸のときめきが蘇りました。
 あぜ道にはコナラやクヌギなどの気があり、影を落としています。通り過ぎてから振り向いてみると、谷津田を背景にした淡い緑に黒々とした木の幹が印象的でした。農作業をした農民が一息入れたに違いありません。
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ベリーの季節 Season of berries

2007年09月26日 | 植物 plants
私はこの4月から麻布大学に奉職することになりましたが、キャンパス(相模原市)の近くに町田の里山があります。東京都とは思えない、時間が止まったような空間です。今日はそこに学生と観察会に行きました。暑さもほどほどになり、秋の花や果実が見られ、楽しかったです。ムラサキシキブ、ガマズミ、エノキなど果肉を鳥に食べてもらって種子を散布させるベリーが実りはじめました。動けない植物がさまざまな工夫をして種子を散布させようとしているうのを見るのは楽しいものです。

クサギは青い果実を支えるように赤いガクがあり、2色のコントラストがどぎついほどの鮮やかさでした。

こういう食べられるベリーのほかに「にせ果実」もありました。ゴンズイです。ゴンズイは果実部分は多汁質ではなく、「袋果」と呼ばれます。そして黒い種子はその先端にチョンとついています。これもツートンカラーでよく目立ちました。

これから冬鳥が渡ってきてこれらのベリーを食べて種子を散布させることになります。
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ミズヒキの名前

2007年09月26日 | 植物 plants
ミズヒキについて高校時代(鳥取の米子東高校)の岡田君という友人がコメントをくれました。ひとつは、水引は鎧の一部にある細長い紅白の飾りのことで、そこから祝儀袋の水引ができて、それから植物名になったという説明、もうひとつは水引というのが水の流れをコントロールするという説明でした。
 ミズヒキはとくに水辺に咲くわけではありません。そういうところにもありますが、林の中にもあります。水の近くに咲くのをみて、その名前との関係を考えると、なんとなく斜めにのびた穂が水のほうを向いていて、水に向かってこっちに来て欲しいと意思表示をしているのかな、などと感じることはあります。岡田君の説明だと水の流れを「引く」ので、もうすこし違うことかもしれません。
 鎧のことについては違うな、と思います。スミレの名前の由来を「墨入れ」という大工の道具に由来するという説明がありますが、これと同じで違うと思う。そういう道具ができたのは室町とか鎌倉時代でしょうが、植物の名前のほうがはるかに古くからあったはずです。時間的な順序が逆だし、それにスミレファンとしては、大工道具からあの花を連想はしないといいたい。ミズヒキも、順序が逆だと思う。ミズヒキの花が角度によって紅白が入れ替わることに印象づけられていた人が、贈り物に添えたのではないかと思います。何かを人に贈るとき、ちょっとしたメモや添え物をしたいのは自然な気持ちです。でもいつでも、どこにでもミズヒキがあるわけではありません。そこで気持ちは維持しながら、それを象徴するもので代替品を考えるというのもありそうなことです。赤と白を組み合わせ、それが洗練されて、あの水引ができたのだというのが、私の想像です。
 それができてしまえば、水引が植物のミズヒキから離れて鎧の飾りに紅白が使われたから、「あ、これ水引に似ているから、そう呼ぶべし」となるのはありそうなことです。
 それにしてもミズヒキとはヤマナラシとか、植物名には色や形の特徴だけでなくさまざまな背景でつけられたものがあります。
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区切り

2007年09月25日 | 動物 animals
私は哺乳類の研究をしていますが、お察しの通り植物も好きです。それだけでなく、実は昆虫も大好きなのです。図書を書架に並べてわかったのですが、昆虫の本をずいぶん買い込んでいました。生物学の本だけでなくエッセーの類もかなりあります。
 話が突然変わるようですが、「赤みがかった」というのを、ある作家が「赤みが勝った」と表記しているのをみて、「オヤ?」と思いました。そしてまちがいだとわかりました。というのも「勝った」なら終止形は「勝つ」であり、「赤みがかつ」とはいわないからです。正しくは「赤みがかる」ですから、たぶん「懸かる」か「掛かる」のはずです。つまり「赤みが+かった」ではなく「赤み+がかった」の区切りがまちがっていたということです。
 昆虫好きにはユーモリストがおり、北杜夫はウスバカゲロウを「薄翅+蜉蝣」ではなく、「薄馬鹿+下郎」と思っていた(はずはないのだがふざけてそう言った)し、敬愛する奥本大三郎はホテルで蚊を「このやろう」と追いかける自分をたとえて、カニクイザルを「蟹喰い+猿」ではなく、「蚊+憎い+猿」といって、私を笑わせるのです。
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ツユクサ

2007年09月23日 | 植物 plants
今年の夏はほんとうに暑かったですが、それでも少しは涼しくなってきました。しばらく前からですがツユクサも目立つようになってきました。この花の青は独特のストレートな青で、花の質がやや透明感があります。おしべが黄色なのでその組み合わせもきれいです。この花をよく見るといろいろおもしろいことがありそうです。花びらは大きい2枚がミッキーマウスの耳のように目立ちますが、実はもう1枚白く小さいのが下にあり、全体で3枚あります。黄色いおしべですが、6本あって、花びらの近くにある目立つ3本は実はおしべの本来の役割である花粉作りをせず、目立つために黄色い色をしている「だけ」で、それより長い2本は少し花粉を作り、一番長い1本がたくさん花粉を作るのです。



 花を横からみると花を支える半円形のものがありますが、これは苞で、花はここから抜け出て咲きます。この苞の中をのぞいてみると、果実が隠れていました。私は知らなかったのですが、ツユクサの花は半日の命なのだそうです。ということはたくさん咲いているツユクサの群落の花は咲いては消え、消えては咲いているのですね。




 ツユクサは全体がみずみずしく、「露草」はイメージ通りと思っていましたが、古くはツキクサと呼んだそうです。それは「色がつく」ということで、布の色染めの下絵にこの青を使ったからだそうです。この青は水洗するとすぐに消えるので、はかないことにたとえられ、失恋の歌によく使われたようです。あるいは古人は短い花の寿命を知っていたのかとも思います。
 しかし私はもっと単純に、あの半円形の苞を「月」とみたのではないかと勝手に想像しています。このほうが子供が直感的に名付けそうな気がします。
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ジュニア新書の表紙

2007年09月22日 | 研究など research
ジュニア新書には思い出があります。私はずっと以前から木村しゅうじという人の動物が好きでした。線がシャープでためらいがなく、動物学的に正確で、しかも標本ではなく、動く、生きた動物の姿を的確に描いているのです。それで表紙カバーをどんなものにするかという話になったとき、木村さんの絵を希望しました。それもカラーではなくモノクロの線画を希望したのです。私たちが子供の頃は、印刷は基本的にモノクロの絵で、写真なら格が上、カラー写真なら「豪華」な印象がありました。しかし今の子供にとってはカラー写真はあたりまえで、むしろモノクロの絵のほうが新鮮なのだろうと思ったのです。
 希望を聞いた編集者は会議で提案したら、「今さら木村しゅうじは古い」という意見が大勢で、もっと新しい人というのでクマの絵をもって来ました。ところがそれはひどいもので、デッサン力はなし、本物の動物を見ていないことはあきらかで、そこに描いてあったのはぬいぐるみのクマのようなお粗末なものでした。私は温厚だといわれるほうですが、こういうことになると自分でも驚くように頑固になり、
「古いとはどういうことですか。そもそも正確な絵に古いも新しいもないでしょう。木村さんは確かに歳をとって人気のピークは過ぎたかもしれない、しかしその絵はちっとも古びてなんかいません。こんな絵を使うくらいなら私の写真を使います。」とかなりの勢いで言いました。担当者は私の剣幕に驚いたらしく、「わかりました、わかりました」といってその日は帰りました。
 1週間ほどたってその編集者がいうには。木村さんは体調を崩して今は絵が描けないが、クマの絵は昔たくさん描いたから、探しておくということだったそうです。それで楽しみにしていたら、2週間ほどして、また来て言うには
「先生、いい話ですよ。木村さんは古い絵を探していたけど、貸したままになっていたり、どこに置いたかわからないとかで、最近は体調もいいからいっそのこと描きおろしたよといって、この絵を見せてくれたんです。」
 そしてできたのがこのカバーに使ったツキノワグマの絵です。なんでもかつて1年間、ツキノワグマだけを描いた年があって、そのときにどういう姿勢のクマでも描ける境地にまで達したのだそうです。そして
「久しぶりに描いてみて、まだ描けることがわかって嬉しかったよ」
とも言っていたそうです。木村さんは江戸っ子のきっぷのよい言葉遣いをすることは以前、聞いたことがありました。
 よく見ると、明るい部分は毛を少なくして立体感を出し、暗い部分は今度は逆に黒地に白い線で毛を描き込んでいます。考えてみれば、真っ黒な動物に立体感を出すのはむずかしいわけで、そのための技術があるのですね。
 というわけで、長年の夢であった木村さんによる、しかも描きおろしのツキノワグマが表紙を飾ってくれることになりました。よい思い出になりました。
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