自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

空き家の増加 2

2024年05月11日 | がんこおやじ
 では、なぜ「家を継ぐ」ことがされなくなったのか。それは政治の結果だったのか。そういうことを研究している人はいるはずですが、私は知りません。
 戦後、進駐軍によって古い日本社会を刷新するということの影響が小さいはずはありませんが、アメリカが日本を属国化する上で、どういうものを目指していたのかよく知りません。非軍事化は間違いありませんが、それが「家を継ぐ」という慣習を否定することになるかというとかなり飛躍があります。それよりは、日本政府自身が経済復興のために工業重視、その必然のために農業軽視を進めたことの方がありそうです。そのために家を継げない次男以下は「街に出る」選択をしました。このことは我々世代には実感とてあります。もっとも、それ以前の農業が劣悪で「農家は貧困」という実態があったこともそれを促したと思います。若者が街に出て地方が過疎化したことは核家族化を進める大きい要因にはなったでしょう。それでもそのことと「家を継ぐ」という慣習を否定することとの間には隔たりがあり、空き家の急増とはタイムラグもあるように思います。
 いずれにしても、日本社会がお供なく、しかし恐ろしい形で崩壊しつつあることの一側面をこのグラフは示していると思います。
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空き家の増加 1

2024年05月10日 | がんこおやじ
社会の変化を、できるだけ主観を配してみることが大事だと思っています(こちら)。下の図は朝日新聞の5月1日に載っていたものです。1993年以降、空き家率も十数もウナギ登りに増えています。


空き家が増えるということは、家族そのものがそこに住まなくなることで、老人夫妻が死亡することが主なものでしょうが、地方の家族が都市に移住することなどもあるはずです。このことにある最大の背景は「家概念の崩壊」だと思います。要するに「家を継ぐ」ということの意味が大きく失われました。「長男に生まれたら家を継ぐもの」とか、「嫁に入ったらその家を継ぐために生きる」ということがなくなりました。そのことが核家族化を促し、子どもは実家を出て行くようになり、親が家に残り、その親が高齢化し、死亡すれば空き家になるということが進行しているのでしょう。

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世帯の変化 3

2024年04月27日 | がんこおやじ
 このことについて2つのことを考えます。一つはヒトというサルの1種の行動・心理からして、一人暮らしというのがどういう意味を持つかということです。もちろんそれは異常なことで、精神には悪影響があるはずです。
 もう一つはその背景で、これには2つのことが含まれます。一つは、この事実は個人の選択によるのだが、それは、個人がそれを望んだのだろうかということ、もう一つは、それを実現したのは政治のせいなのだろうかということです。
 就職や結婚という人生の節目に立った時、人はさまざまな要因を考えた一つの決断をします。この時代の結婚では見合い結婚から恋愛結婚(という言葉自体が死語になったが)に移行しました。結婚の形態はこのグラフの数字には影響しないはずだから、一人暮らしが増えたのは結婚しない人が増えたのかもしれません。しかしグラフに見るような大変化は考えにくいです。おそらく高齢夫婦の死別ということが多いと思われますから、こちらは個人の選択によるものではありません。つまり個人の選択ということでは単独生活者の増加は部分的にしか説明できません。
 では政治による産業など生活に関わる社会構造で、単独生活を増加させるものがあったのでしょうか。人口の年集中はこの時代より前に起きたことです。そうなると、大半が都市生活者になって何が起きたかです。戦後に工業化を進めるために人口を都市に集中させたのは1970年代くらいまでにほぼ完了しました。そして核家族化が進みました。それらが完了した後に起きたのが単独化です。都市生活が単独化を起こしたというのはありそうですが、でも具体的にはどういうことか私にはわかりません。コンビニがふえたとか、スマホが普及したなどのこともこの時代に起きたことですが、それは単独化の原因というより、結果という気がします。

 データは極めて明瞭ですが、それが実態としてどういうことが起きたのかも、なぜそういうことが起きたかも、団塊の世代の目にははっきりしません。この国の将来は本当に心配です。

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世帯の変化 2

2024年04月26日 | がんこおやじ
 下のグラフは世帯総数とそのうちの単独世帯数を示していますが、人口が減っているのに世帯数が増えているというのは、核家族化が進んでいるということでしょうか。それと並行して単独世帯数が増えているというのは、上の折れ線と同じことでしょう。
 これらがはっきり示しているのは、1980年から40年ほどの間に、恐ろしい速さで日本の家族のあり方が単独化の方向に進んだということです。この社会では、我々団塊の世代が大きい割合を占めているので、そちらからみると30歳になった頃が1980年なので、結婚して家庭を持った頃で、それから子供が産まれて育っていった時期がこのグラフの左半分くらい対応します。その間に単独化が進んだということは、実感とは合いません。これは我々よりも10歳、20歳上の世代が連れ合いを失うということが起きたのだと思います。それと、我々の世代の子供が独立し、結婚しない人が増えたということもあるかもしれません。とにかく、一人暮らしが大幅に増えて総数の半分近くになったということです。



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世帯の変化 1

2024年04月25日 | がんこおやじ
新聞が示したデータが語る日本の社会の変化について、経済の一面を考えましたが(こちら)、もう一つ、家族の在り方についてもいいデータがありました(4月13日、朝日新聞)。世帯に占める家族の形の推移です。当然、親子が一緒に住むと思いますが、1980年にはそれは40%余りで、20%は独り暮らしだったそうです。一人暮らしが意外に多いのだと思いましたが、グラフが示すのはそれが劇的に増えたということで2000年には30%近く、2010年には30%を超え、今は40%近くになり、今後は40%をも超えると推定されています。これに伴い、夫婦と子が一緒に暮らす世帯は減少して現在は30数%で、今後は20%ほどになると推定されています。



つづく

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日本の「豊かさ」

2024年04月20日 | がんこおやじ
知識人の論評に頷いたり反発したりしますが、データそのものは説明しなくてもずしりと重いものがあります。3月27日の朝日新聞に以下のデータが載っていました。



私たち「団塊の世代」には、高度成長期以前の戦後の貧困な日本の記憶があります。それが段々にどうも日本は豊かになってきたらしいとなってきて、そしてそれは確認になってきました。普通の市民が海外旅行に行けるようになったという事実そのものがそのことを雄弁に実証していました。そちらの方は受け入れやすかったのですが、豊かとは言われていない東欧の国などに行って、街並みや人々の様子を見て「日本が世界で2番目に豊かって本当か?」と感じることはありました。
 そうこうするうちに、どうも日本は必ずしも世界トップクラスの経済大国ではないらしいということになってきました。それでも「そうはいっても、豊かな方であるには違いない」という思いはあります。
 ところがこのグラフを見れば、日本だけが全く違う動きをしていることは否定のしようがありません。豊かになったときは、そうだと受け入れたくせに、貧しくなった時の方では、「そうかなあ、そうではないんじゃないか」と思うのは、何か人間の心理のあり方として重要なことのような気がします。でも、事実を事実と認めないというのは恐ろしいことでもあります。

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関ヶ原

2022年05月26日 | がんこおやじ
よい戦争などあるはずがないが、今回のウクライナ戦争ではひどすぎると思うことがよくある。それについては多くの論評があるので控えるが、最近の報道で本当に「これはいけない」と思うことがあった。それは農業地帯が戦場になって小麦の輸出ができず、農家が今年収入が激減して来年継続できなくなるということであった。影響はロシアとウクライナを超えて世界全体に波及することになる。

 それで思ったのは日本の「いくさ」は農地を避けたのではないかということだ。もちろん応仁の乱のような都市を戦場としたものもあったであろうが、ドラマなどでよく見るのは草原のような場所で戦うシーンであるし、そのような絵巻物も見る。この戦いはいわば武力の戦いであり、武士同士が戦う。思えば、農地を戦場にしたら、戦後の生活が打撃を受けることになり、敗者はもとより、勝者でさえ生活に困ることになる。そのため、いくさは武士同士のものを基本としたのではないか。
 そう思うと「関ヶ原」という地名はもしかしたら国と国の境界(せき)にある草原で、農地ではなく、かといって森林でもない場所であり、いくさのために管理されていたのかもしれないなどと夢想する。

 司馬遼太郎を読んでいたら、戊辰戦争であったか、農民にいくさのことを聞いたら、自分たちのくにでの戦いであるにもかかわらず「それはお侍のされることだから」と人ごとのように語ったという意味の記述があった。これは農民にとっていくさは農地を荒らさないという意味で自分たちに直接関わるものではないと思えたのかもしれない。
 以上は、もしかしたら日本では武士は農地を避けていくさをしたのではないかと思ったということである。

 その意味で、戦争はよくないことであるという前提ながら、ロシア軍とウクライナ軍が戦うのは構わないが、市民を殺害したり、農地を破壊したりは、「してはいけない」ことだと思う。そう書いて、いや生きるか死ぬかになれば日本の武士でも同じことをしたのかもしれない、とも思う。
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ウクライナにも緑

2022年05月23日 | がんこおやじ
連日ウクライナの報道が続く。心が塞ぐことが多い。
4月に伝えられるところでは灰色と褐色の景色ばかりで、緯度が高いことを知らされたが、5月に入ると緑が出てきた。しかしウクライナの人々は1年前の緑を喜んだ時とまるで違う気持ちで遅い春を迎えたに違いない。
 ロシアはひどいことをすると思うし、報道は中立であると思いたいが、しかし納得のいかないことが多い。ウクライナ軍は西側の武器援助により防戦し、ロシア軍を追い返す場所も多いと聞くが、そうであればなぜマリウポリが陥ちてロシア化が進むとうことがありえるのか。報道は相当ウクライナ偏向があると考える方が客観性があるのではないか。そうでないと思いたい心理はあるが、しかし現実は必ずしも報道が伝えるようにはいかないのではないかという不安がある。正しかろうがなかろうが、強いものが奪い、その後歴史を正当化するというのが現実に起きた歴史なのではないか。
 「多数を一時的に騙したり、一部を長期に騙すことはできても、多数を長期に騙し続けることはできない」「最後に正義が勝つ」などは美しい、感動的なことばで、それがどこかで一時的に「真理」であったことはないとは言わないが、「強いものが多数を長期に支配した」事例や「正しくなくても強いものが勝った」事例は枚挙にいとまがない。私たちが知る戦後の日本の方が特異な事例であったのかもしれない。
 それにしても、この悲劇がこの同じ時間に起きているということが、どうにもスッとは入ってこない。だが、4月までの無彩色な映像は過去の録画にも繋がるところがあったが、今の映像が映す新緑は否定しがたいリアルを伝えてしまう。

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ウクライナ 真珠湾攻撃

2022年03月15日 | がんこおやじ
この文章は16日の夜に書いています。今ゼレンスキー大統領がアメリカ議会で演説をしています。冒頭で言いました。
「アメリカも空から攻撃を受けました。1941年12月のことです。また9.11の時も突然空から攻撃を受けました。私たちは今、同じようにすでに2週間、空から攻撃を受けています」
アメリカ人は、ヨーロッパ人は鮮烈な歴史的事実として我が国による不意打ち的攻撃を覚えており、不当な被害の第一に取り上げることと位置付けているということです。

ジャレド・ダイアモンドは信じられないほど公平で、差別をしない人で、日本に対しては強い理解と親愛を示してくれますが、しかし、日華事変につぐ太平洋戦争について、謝罪をせず、自らを被害者として位置付け、加害を棚に上げていると厳しく批判します。

 私たちは国際的に、世界史的に、自分に甘すぎることを正しく認めるべきだと思います。

 今、演説が終わりました。これは歴史に残る名演説だと思います。印象に残ったことはたくさんありますが、最後の部分は英語で話しました。その部分で、自分は45歳になったが、今日100人の子供が死んだ、そのことを止めることができないのであれば、リーダーとして生きる価値がなく、これ以上年齢を重ねられない、と言ったことが最も印象的でした。心を揺さぶられました。
 
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ウクライナ 音楽

2022年03月14日 | がんこおやじ
連日報じられる報道が正視しがたいものになってきた。このことについては多くの人が書いていると思うが、私が書いておきたいことがある。わからない方のことだ。

 一つはウクライナの人々の勇気だ。少し考えればわかることだが、兵士と民間人が闘うなど危険すぎる。相手は技術的にも精神的にもいわば破壊と殺人をするように教育され、訓練を受けている。私だって自分の国が危機になれば守りたいと思うだろうが、兵隊と直面する戦闘をする勇気はないと思う。勇気というより、無謀さというものだろう。ウクライナ人はそういう教育を受けて育ったのかもしれないが、正直、信じられない気がする。

 もう一つは音楽の意味または存在だ。明日にも街が攻撃されるという状況の中で、ある音楽家は地下でバイオリンを演奏し、別の人たちは広場で合奏をしている。音楽で市民を勇気づけるためというが、その状況でそう考え、行動できるものだろうか。また本当に当該の市民がそれを聞いて力づけられるのだろうか。私も音楽、特に歌は大好きだが、それは心が平穏でいられてはじめて楽しめる気がする。心が平穏であれば歌うことや、聞くこともできるが、戦争の最中(さなか)というのはとても楽しめるものではない。ヨーロッパ人にとっての音楽というのはちょっと違うのかもしれない。
 心穏やかではいられない現在ではあるが、それでも私の心はウクライナの人に比べれば申し訳ないほど安穏としたものに違いない。その心で5、6歳の少女が歌った「アナと雪の女王」を聞いた。はじめの1フレーズで心に染み渡った。歌い終わってちょっと恥ずかしそうな表情をしたが、大人は拍手喝采し、ブラボーと叫んでした。私も心の中で大きな拍手をした。
 どうかあの子が、平和になったウクライナで地上の青空の下で歌って欲しいと思った。
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