自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

today 1

2011年02月08日 | その他 others
自然とは関係なくてすみません。新しい「読者」は驚かれたり、意外感をもたれたりしますが、私は動物や植物だけでなく、ことばと歌が大好きです。で、歌のことです。

毎年、年末は小田和正の「クリスマスの約束」楽しみにしている。2010年のはいきなり「Today」という歌で始まった。なつかしさがこみ上げた。歌詞はわからないがメロディーは確かに覚えがあった。今回の「約束」はよい選曲が多く、小田はほとんど話をしないでほかの歌手にまかせていた。初めてのことだが、最後に再び「Today」が歌われた。それを歌う前に小田が歌詞の説明をしたが、これも珍しいことだった。彼はだいたいいきなり歌いだすことが好きだからだ。
 翌日もTodayのメロディーが浮かんで来て、気になったので、調べてみた。私は60年代くらいから2000年くらいまでの洋楽の楽譜集をもっていて、かなりの歌が載っているので、ときどき開いて楽しんでいる。調べてみたらTodayも載っていた。これで歌詞もコードもわかったので、ギターで歌ってみた。コードはC, Am, Dm, G7と、典型的なアメリカンポップスの動きだ。ただしいくつかちょっとしゃれた動きもあって、A7が挿入されていたりする。
 これを聞いたのは高校生の頃だが、3拍子であることも日本の歌にはない新鮮さがあった。当時、私は遠いアメリカを想像した。いま思うと、「エデンの東」の主題歌とよく似ている。最初の部分はほとんど同じといってよい。それに「Try to remember」にもよく似ている。あの頃、日曜日に放映された「アンディ・ウィリアム・ズショー」という歌番組があったが、そこでアンデイが歌っていた。

*コードというのは和音のことでハ長調であればCはドミソ、Amはラドミ, Dmはレファラ, D7はソシレという同じのものです。これにFドファラがあればたいていの歌は歌えるくらいです。音楽の理屈は知りませんがA7はミとソとドのシャープ(半音高い)ですから、ほとんどドミソに近いのですが、実際にはAmつまりラドミの系統で、ドが半音上がることでなんだか落ち着かない感じになり、「落ち着いてくれ」という気持ちになるので、次に落ち着いた和音がきて着地できるというわけです。これが効果的に使われると感情をかき立てられるというか、心にざわめきが起こるように思えます。音楽に詳しい人ならちゃんと説明できるのだと思いますが、私は「歌は心だ」とか「歌は楽しければいいんじゃ」というだけで歌っているので、まちがっているかもしれません。

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餅つき3

2011年02月07日 | 植物 plants
その餅つきですが、大量のご飯を臼に入れて杵でこねこねするところから始めていたらとてもできないだろうと思っていました。それほど大量なのです。で、やはりそれはしていませんでした。たぶんかまぼこを作る機械の応用だと思いますが、炊けた餅米を入れるとニョキニョキと練られた半殺し*のペースト状のご飯が出て来ます。それを臼に入れてつくのです。たぶん70歳くらいの地元の人がぺったんぺったんとついておられました。私は所在なく話をしたりしていたのですが、少しは手伝ったほうがいいと思って、
「かえってご迷惑かもしれませんが、手伝ってもらいいですか?」
と思い切って申し出ました。
けっこうがんばって3ラウンドか4ラウンドつきました。





いま比べてみると、私と地元のおじさんでは、やはり腰の入れ方が違います。しかもこの人は前の日も一日ついていたそうです。後日談があって、私はこの3日くらいあとにぎっくり腰にあいなりました。

 それにしても、つきたての餅のおいしいこと。雑煮と、あん餅と、おろし大根と醤油で食べるものの3つがありましたが、実においしかったです。田極さんのお話では、いまは正月について乾いた餅を焼いたり、それをゾ雑煮にしたりするが、もともとは一年に何度もめでたいときなどには餅をついてできたてを食べたのだそうです。

 私は山陰で育ったので、子供のころ、冬休みに母の実家の農家で過ごしましたが、餅つきは夜に茅葺き屋根の土間でしたのを覚えています。暗い土間に湯気がたち、ぺったんぺったんとつかれた餅を祖母が大きな机において、小さくちぎると、それを丸くするのが子供の係でした。外は雪でいつも曇り空でしたから、餅を食べるのは室内でしたから、こうして明るい空のもとで野外でいただくのはずいぶん雰囲気が違うと思ったことです。

* 若い人は知らないかもしれませんが、炊いた米をついて米粒と餅が半々くらいになったものを「半殺し」といいます。
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餅つき2 せいろ

2011年02月06日 | 研究など research
行ってみて驚いたのはつく餅の量のすごいこと、何升もの餅米が用意されていて、セイロで炊かれています(いや炊くのは釜か。セイロはその上にあって、、、あれ?よくわかっていない)。燃料は薪で、釜も4つも5つもあって、休みなしです。釜も鍋も昔懐かしいものでした。たくさんの人が集まって忙しそうに働いています。
 なにか今の都会では失われてしまった地域共同体というか、人のつながりが感じられて不思議な感動がありました。




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餅つき1

2011年02月05日 | 研究など research
私たちの研究室では大学の近くにある町田の里山でも調査をしています。なんといってもすぐに見に行けるというのは生き物をよく観察するのに便利です。ここは東京都歴史環境保全地域に指定されており、地元の人たちが田圃を復活させ、すばらしい里山が残っています。研究室の学生は昨年度は哺乳類と昆虫の調査をしましたが、今年はカエルの好きな女子学生がカエルを調べてくれました。そして田植え、稲刈りもお手伝いしました。そういうわけで餅つきに参加しないかと声がかかりました。そこで12月19日に私も出かけました。そのお宅は丘の上にあり、伝統的なとても立派な家ですが、家だけでなく背後にあるシイの木がじつに見事です。二抱えでも足りないくらいの大樹です。大きなお宅ですが、この木にくらべると小さく見えます。

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ハクチョウゲ

2011年02月04日 | 自然 nature
この日、見た霜の中で一番きれいだったのはこの低木でした。ハクチョウゲというのだと思いますが、ちょっと自信がありません。花が咲く時期に確認します。濃い緑の、小振りな葉の縁に白い霜。なんとなくヨーロッパ的な雰囲気があります。これに赤い実をそえたら、クリスマスにふさわしいのでは?
霜は日があたると惜しげもなく消えてしまいます。



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枯葉に霜

2011年02月03日 | 自然 nature
芝生にはケヤキの枯葉が飛んで来ていました。ケヤキの葉は大きめのギザギザがあり、そのひとつひとつもたいへん美しいです。このギザギザは鋸葉(キョシ)といいますが、ケヤキのそれはほんとうにノコの歯のようです。霜はその鋸葉を縁取るように端正についていました。

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2011年02月02日 | 植物 plants
霊園の芝生に霜が降りていました。12月18日のことです。霜が降りるといつも見ている景色がまるで違って見えます。

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凋落、2月のご挨拶

2011年02月01日 | 植物 plants
雑木林のわきに大きめの草本が枯れてヘナヘナとなっていました。ヨウシュチョウンアサガオです。ついこのまえまで葉が横を向いていましたが、霜がおりて凋落してしまいました。葉だけでなく、果実も下を向いてしまいました。子供のころ、この実をしぼって「インク」にして遊んだ人もいるはずです。


ヨウシュチョウセンアサガオ 2010.12.18

2月になりました。実は昨日が卒業論文の提出締め切りで11人の学生が無事提出を終えました。当然ありうることですが、ぎりぎりまでかかる学生がおり、やきもきさせられました。このブログは1月も「皆勤」でしたが、実はあやうかったのです。古い世代の人のために少し説明しておくと、今は卒論の厚い束原稿を提出して指導教員がアカを入れるという形をとりません。学生は電子原稿をメールで送って、できたところまでを添削するという形をとります。そうするとどういうことが起きるかというと、夜中だろうが休みの日だろうが次々と原稿が届きます。私はすぐに反応するほうなので、1月も下旬となるとまったく余裕がなくなってしまいました。「自分の書いた文章が読む人にはわかりにくいかもしれない」ということがわからない「著者」とのつきあいは相当消耗するものです。その意図を想像し、「こういうことが言いたいんではないの?」と添削するわけです。いろいろなテーマの原稿がいろいろな段階で届くので、頭の切り替えがたいへんでした。というわけで、床に就く直前まで添削し、朝起きると朝食前に添削するという状態でした。ですから本来ブログどころではなかったのですが、「アファンのネズミ」シリーズがおもしろくなってしまい、加えて訪問者が増え、コメントも頂戴するようになったので、そちらも手が抜けなくなりました。それで、時間がとれるときに、まとめて文章を書いておき、それを毎日出すということにしました。見る人は、私が毎日書いていると思われるかもしれませんが、実際は「まとめ書き」をしていました(忙しい主婦がまとめて調理をして冷蔵庫に入れておいてチンするのと似ているかもしれません)。
 ところで卒論執筆に戻しますが、そうして悪戦苦闘した学生とのやりとりはたいへんではありましたが、おもしろくもありました。その成長ぶりには目を見張るものがありました。「叱咤激励」といいますが、私には妙にきびしいところがあり、少ないデータでわかったようなことを書くときびしく叱咤しました。逆に本人はあたりまえのことしか書いてないつもりでも、その短い文章の背後に大きな努力があることがわかるときは激励しました。そうした日々が2ヶ月ほど続き、気がつけば日が長くなって春が近づく気配が感じられるようになりました。
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