リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ごまかさないクラシック音楽(2)

2024年06月01日 11時58分41秒 | 音楽系

例えば武満の若い頃の作品「2つのレント」を音楽以前だと評論した評論家Y氏。一説にはY氏はピアノもろくすっぽ弾けなかったそうです。私が若い頃、偉そうに古楽を論じていた中京地区のX氏、偉そうに音楽論をぶつX氏に若い演奏家はみんなヘコヘコしていました。文筆対文筆で「勝負」するのならまだしも、音楽を創造している人たちに対しては彼らこそヘコヘコすべきです。

彼らが楽譜から音楽を「聴き取り」それで評論するのならまだしも、評論の元は録音やライブである以上クリエイター側に依存しているわけです。バッハ以前の音楽に対して評論の鋭さが見られないのは録音点数、ライブ件数がぐっと少なく、音楽自体を楽譜などの資料から「聞き取れ」ないからでしょう。

バッハに関しても思い違いをしているような記述がありました。

P.313 岡田氏『バッハの音楽は感情表現ではなく、フーガとかカノンとか、「完全なるシステム」だからなぁ。機械論的な音楽の極致だ。人間なんていなくても勝手に作動する音楽のイメージ』