リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

織田信長と西洋音楽

2024年06月16日 12時29分27秒 | 音楽系

今年のバロック音楽の旅17講座の第2回目(10月13日)で秀吉が聴いたヨーロッパ音楽についてレクチャーをする予定です。レクチャーはきちんと御前演奏の資料が残っている秀吉についてが中心になりますが、信長についても触れる予定です。

よく信長は「安土のセミナリオを訪れて生徒達が演奏するオルガンを聴き入っていた」なんて説明がありますが、これはきちんとした根拠がある話なんでしょうか。そもそも当時の政権トップがふらふらと(だったかどうかはわかりませんが)セミナリオに行ってオルガンを聴くなんてことはありえることなんでしょうか。

安土セミナリオは当時来日していたオルガンチノ神父が信長の許しを得て1580年5月に開講した神学校です。そこではキリスト教理、ラテン語、修辞学、音楽などが教えられていました。

しかし1582年6月に本能寺の変が起こり信長が死亡すると安土城と共に廃墟になってしまいます。信長が西洋音楽に触れたとするとこの2年あまりのことでしょうけど、この2年間で信長がどういう戦をしていたかを調べてみました。

信長の合戦年表があるサイトをみてみますと、なんとこの時期石山本願寺平定を始めとして10近くの戦をしています。25ヶ月で10回の戦ですから、移動や作戦を考えるとほぼ連続的に戦をしていたように思えます。とても安土セミナリオでオルガンをなんて余裕はないと思われます。

信長が西洋音楽に触れるとしたら、この安土セミナリオ以外の場所ではありえないでしょうから、恐らく信長と西洋音楽の接点はなかったのでしょう。

当時日本にやってきたポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが書いた日本史の日本語訳が出ています。文庫本で全12巻ですが、その第3巻「安土城と本能寺の変」に信長が西洋音楽に触れたという記述があるかもしれません。第1巻は持っていますが第3巻はありませんので早速アマゾンで注文しました。