そよ風つうしん

小さな自然の発見をご紹介してきましたが、転居で環境が激変。内容を一部変更し日々の雑感を綴ったりもしています

人生に無駄な経験など一つも無い

2022年05月14日 | 心に残っている言葉
先日のブログの文章の続きになるでしょうか・・・

古いものですが2000年2月22日 朝日新聞夕刊の「追憶のカルテ」というコラムの切り抜きが手元にあります。
河野博臣さんという外科医が書かれた言葉が、切り抜きは色あせていますが内容は今も胸を打ちます。

その記事よりもさらに40年も以前の事。
いつものように、妻と二人の娘に見送られて河野さんは出勤なさいました。
ところが、それから一時間もしないうちに、次女が電車にはねられたという知らせが届きます。

それからの過酷な日々を、河野さんは耐えに耐えましたが、耐えきれずに心を病みます。
高名な精神分析家の精神分析を受けること5年におよび、ようやく「娘の死は私の死である」ことを理解なさいます。

>私の死。それは若い外科医として慢心し、がん患者が死んでいくのを見送りながら、それも医学的には当然と思い込み、患者、家族の苦しみを共感しようとしなかった自分を思い改める、ということだった。つまり私は予期しない娘の死に遭遇してみて、初めて患者と家族の想像を超す苦しみが分かるようになったのだ。
そのことに気づき、私は自らの道が開けたような気がした。そして救われた。まるで娘が、お父さんは人間として、医師として、患者さんに奉仕しなさい、といってくれたように思えたのだ。

やがて河野さんはガンにかかります。ずいぶん以前のことですから、それは死の宣告のようであったことでしょう。

娘さんを亡くされた直後に、牧師さんがおっしゃった「神のなさることはいつも時にかなって美しい」という言葉が、河野さんのお心にすとんと落ちるまで、長い年月がかかりましたが、
今回ご自分に病を得られて、その言葉を再度受け入れる決心をなさいます。

>患者になって苦悩を実際に味わってみよとの使命を与えられたのだとも感じている。
その使命を果たすことが、娘の死にこたえることにもなるとも思うのだ。

このようにコラムは結ばれています。

人生には無駄な経験はなに一つ無い」ということをしみじみと感じさせてくださるコラムでした。
こんな大きな深い悲しみも、苦しみつつ人生に活かす知恵が人にはあるのだと、深く感動したことを思い出します。その想いは、それからの時間の中で耐えがたいと思える苦しみに出会ったときに、私の心を支えてくれました。


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写真は、以前見晴らしの良いところに住んでいたときに見た、タンジェントアークです。
薄いですが太陽柱も見えています。
そこに住んでいた頃は、おりおりにこんな自然現象が心を癒してくれたものでした。

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