自宅からそう遠くない川へ行ってみました。そこには、源氏の滝という小さな滝があります。
そのすこし下流に、蛍はいました。
たくさんではありませんが、対岸の木々の茂みにも飛び交って光が流れています。
誰もいない静けさ。
ただ、流れの音が響くだけの闇・・・・
す~っと尾を引いて流れる光を見ていると、とめどなく涙がこぼれました。
去年、蛍を見た頃からはじまった苦しい時間から、いまは開放されて、穏やかな幸せのなかに身を置いていられることのうれしさに、胸がいっぱいになったからでした。
体調が良くないので、今年が最後かも知れないなどとふと思いつつ、それでもいいと、幸せをかみしめていました。
この幸せをくれた大切な人と、苦しい時間を支え続けてくれた大切な友と、仕事が忙しくて疲れていても、母に蛍を見せようと連れ出してくれた大切な息子に、心からの感謝を捧げつつ・・・・
そのすこし下流に、蛍はいました。
たくさんではありませんが、対岸の木々の茂みにも飛び交って光が流れています。
誰もいない静けさ。
ただ、流れの音が響くだけの闇・・・・
す~っと尾を引いて流れる光を見ていると、とめどなく涙がこぼれました。
去年、蛍を見た頃からはじまった苦しい時間から、いまは開放されて、穏やかな幸せのなかに身を置いていられることのうれしさに、胸がいっぱいになったからでした。
体調が良くないので、今年が最後かも知れないなどとふと思いつつ、それでもいいと、幸せをかみしめていました。
この幸せをくれた大切な人と、苦しい時間を支え続けてくれた大切な友と、仕事が忙しくて疲れていても、母に蛍を見せようと連れ出してくれた大切な息子に、心からの感謝を捧げつつ・・・・
写真は撮影されなかったのでしょうか?
私もまた見てみたいです。
ふたつ、どんぐり屋さんの優しい詩心に触れたこと。
みっつ、どんぐり屋さんの今を納得出来たこと。
蛍がひとつ点き、消える間もなくふたつ、みっつ、点滅する姿に口をぽかーんと開けた状態になり、その場に立ちつくします。
何度見ても静かな感動に包まれます。
でも、貴女の心は蛍の光のようにチラチラと苦悩の色に光っていました。
貴女の声に呼ばれたと思いました。
まるで恋と同じですよね。惹かれたと言うほうが正しいのかもしれません。
今年の蛍を穏やかに見てくださったこと心より嬉しいと感じています。
ありがとうと言いたくなるほど、いろんな方々に囲まれている貴女はやはり綺麗です。
龍人さん、高校は長野だったのですね。辰野の蛍祭りはご覧にならなかったのでしょうか?
私は、蛍と花火は写さない(写せない?)のです。
消えるからこそ心に残る一瞬を、私には、自分が感じた以上に表現できるとは、どうしても思えないのです。
アウルさん、気持を言葉にしてしまうと、なんだか違っているような気がして、恐い時があります。
でも、この記事は(日記かも)素直に書けたと思っています。
共感してくださってうれしいです。
ひとりごとさん、うれしいコメントありがとうございます。
心の安住できる場所をやっとみつけたと思ったけれど、しょせんは幻でしかなかったのかと、深い悲しみに落ちていた去年でした。
でも、私の気持しだいでは、居場所はちゃんとあることを教えられた今年・・・
穏やかな幸せの温かさというものを、生まれて初めて味わっています。大切にしていきたいと思います。
高校生ですから、歩いていける範囲くらいしか出掛けませんでした。
蛍は思いっきりマクロで寄って撮ってみたいのです。
飛んでいるところの写真を時々見かけますが、ああ言うのは今ひとつ撮る気がしません。
健康は病気になって初めてありがたさがわかりますね。
私は死ぬ一歩手前まで行きましたので、その辺のことは良くわかっているつもりです。
死神を見てしまったのに生きていられるなんて、ラッキーだと思っています。
龍人さんなら、おもいっきり幻想的なホタルをいお撮りになれるのでは?
色々経験すると、人の「寿命」を信じてしまいます。
生かされている命、今日も大切にいたします。
私は森のどんぐり屋さんに~あこがれています。{ちょっとてれますが}