そして、セイタカアワダチソウ! 秋のアレルギー鼻炎の原因がまだまだ続くのでつらいです。マスクが放せず、肺活量が少ない身には悩みの種。
右目は、見えにくい範囲が広くなってきたようで心配です。
来週は、網膜の専門医の診察があるので、もしかしたら注射?
まあ、覚悟しておきましょう。
飛蚊症も相変わらずですが、無視することにしています。
でも、まとまって現れてウロウロされると、足元が危なかったりするので、これまた困りもの。
老人が生きるのは大変です。
まあ、老人でなくても生きるのが大変な人はたくさんいらっしゃいますから、グチを言っててはダメですね!
Twitterでフォローしている中学生も、イジメやパニック障害で毎日生きているのが苦しそう。
家庭的にも過去からつらい事情が続いているようです。
おばあちゃまと二人暮らしのようですが、おばあちゃまもあまりそういったことへの理解が深いわけではなさそうなので、大変でしょうね。
母親とお兄さんが、別の所で暮らしていて、父親もまた別の所に居る。
自傷もしているし死にたい、消えたいと・・・
お医者さんにもかかっているらしいけれど、うまく相談に乗ってくれないようで、困ったものです。
私は専門家ではないので、フォローはなかなか難しいですが、できるだけ悲しみ苦しみに寄り添うことを心がけています。
励ましは無用と思いますので。
高校時代に、その頃にすでに生きる希望を無くしていた彼を自死で亡くし、何十年もかかってその喪失感や自分の無力感に私も負けそうになりながら、なんとか乗り越えてきたので、そういう人をTwitterとはいえフォローしていくことの危険さは承知しています。
それでもやっぱり、無視することはできない・・・・
私もまた、親子関係に原因する多くの傷を抱えて生きてきたからでしょう。
どう展開していくかはまったく解りませんが、自分の目とともに希望を捨てないで行こうと思っています。
右目は、見えにくい範囲が広くなってきたようで心配です。
来週は、網膜の専門医の診察があるので、もしかしたら注射?
まあ、覚悟しておきましょう。
飛蚊症も相変わらずですが、無視することにしています。
でも、まとまって現れてウロウロされると、足元が危なかったりするので、これまた困りもの。
老人が生きるのは大変です。
まあ、老人でなくても生きるのが大変な人はたくさんいらっしゃいますから、グチを言っててはダメですね!
Twitterでフォローしている中学生も、イジメやパニック障害で毎日生きているのが苦しそう。
家庭的にも過去からつらい事情が続いているようです。
おばあちゃまと二人暮らしのようですが、おばあちゃまもあまりそういったことへの理解が深いわけではなさそうなので、大変でしょうね。
母親とお兄さんが、別の所で暮らしていて、父親もまた別の所に居る。
自傷もしているし死にたい、消えたいと・・・
お医者さんにもかかっているらしいけれど、うまく相談に乗ってくれないようで、困ったものです。
私は専門家ではないので、フォローはなかなか難しいですが、できるだけ悲しみ苦しみに寄り添うことを心がけています。
励ましは無用と思いますので。
高校時代に、その頃にすでに生きる希望を無くしていた彼を自死で亡くし、何十年もかかってその喪失感や自分の無力感に私も負けそうになりながら、なんとか乗り越えてきたので、そういう人をTwitterとはいえフォローしていくことの危険さは承知しています。
それでもやっぱり、無視することはできない・・・・
私もまた、親子関係に原因する多くの傷を抱えて生きてきたからでしょう。
どう展開していくかはまったく解りませんが、自分の目とともに希望を捨てないで行こうと思っています。
どうか少しでも見えておられることを祈っております。
私はツィッターは自分のアカウントが知らぬ間に乗っ取られており(それ自体怖いですよね;)見ることは出来ても自分から発信したりフォローしたりは出来なくなっています。
つまりはツィッター側から、あんた、しないでねと警告が来る始末;。
どう対処してよいやら分かりません;(なんせ英語で言い返せないし 笑)
そんなことはどうででも。
中学生さん、どうにもして差し上げようがないですが、良い方へ舵を切れることをこれもまた祈る思いです。
ひとさまの邪魔をしてよろこぶという、ゆがんだ感性を持つ人が、これまた相当数居るらしいというゆがんだ社会、悲しいです。
別のアカウントを立ち上げることは出来ないのでしょうか?
中学生の事も、気に掛けていただいて有難うございます。
あおぞらさんに祈っていただけるのは、大きな力になることでしょう!
しかし、それも、後何週間かで終わり、蝶も幼虫も見掛けなくなると思います。
肉親との相克、私は大した経験が無いので、実感がありません。
幸せなことなのでしょうけど。
家庭内が震源地になる人生の激震は、経験が無いのは大きなお幸せです。
そういう家庭で育ってみたかったと、思わなくはないですが、これは自分の運の問題なのでしょう。
産まれるところがお金持ちの家か貧乏な家かを選べないのと同じように。
でも、私も自分なりに一生懸命生きてきたので、しんどかったけれど、これはこれで良かったのだと思っています。