柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

講釈

2015-09-13 07:45:12 | Weblog
大変だ、大惨事だ!が過ぎると、次は犯人探しです、マスコミの定番です。3.11もそうでしたが相手が天災です、その矛先は警報は出たのか、ちゃんと逃がせたのかとの行政に向きます。取材が進む(根掘り葉掘り聞き出す、誘導する)とあれこれ人は口を開きます。まさか決壊するとは思わなかった。つまり人は事が起こってから慌てだすんです、そうでない時は皆高を括ってます。だからそれではならぬのだ!と学者は後出しじゃんけんで理想論振り回すばかりですが(昨夜の特集番組で専門たる学者が大講釈垂れてました。イライラしました。それができなかったからああなったんだろうに。連中にはデータの解釈しかないのでした、現実の順番がわかってないと見えます。空講釈の典型でした)、行政がいくら早く警報出しても逃げなければ同じことです。強制に追い出すことなんでできないですからね、空振りした日にはどれだけ叩かれますか?そうわかっていて、決壊場所では避難警告が出なかった!と鬼首絶叫です。鬼怒川の東側が決壊したのですが、東側の住民に対して速く西側に逃げろと指示が出たんだそうです。西?西って、氾濫した濁流だぜ。という住民の声を拾います。したり顔で学者が解説します、日本の防災は自治体単位なのだ、もっと東に逃げればよかったのだがそこはつくば市で行政単位が違う、だから市内の西側へとなったのだろう、と溜息つけ加えて。おいおい。東の方が低いと行政は知ってたんじゃないの?もちろん足速く東へ逃げればセーフ(そう逃げて難を逃れた誰かをTVは探して喋らせてましたが)だったのでしょうが、暴れ川に向かって逃げろは、こう書くとこう聞くと確かに「んん?」ですが、あの場面でどうですかね。それほど咎めることでしょうか。こういう時が稼ぎ時なのは理解しますが、専門家や学者達のステレオタイプ、現実とかけ離れた理想論机上論言ってればいい気楽さには腹が立ちますし(昨夜のNHKの学者は言ってましたよ、昔の基準で作られた護岸装置が役に立たなくなっている、でも仮に日本中の河川の堤を嵩上げしてもそれを上回る災害が起こるのだと。何~に言ってる?大丈夫か?)、もっと怒りが湧くのはアホなコメンテイター達のクソのような一般論です。それこそ小学生でも考えるようなことを眉と声をひそめて言ってればいい仕事ですわ。こっちがTV見なければいいんですけれどねぇ。
 小泉さんが朝日新聞のインタビューを受けて言ってます、原発再稼働は間違いだ、安全・安い・クリーンは全部ウソだ、昔推進していたことへの責任は感じる、もう政治はしない、国民運動としてやっていきたい、と。左翼達に利用されていることをわかっていて、よくぞそこまで恥を知らずに変節を公言できることです。細川の殿様と組んで昔の夢よもう一度ってやってましたが、国民をバカにするなよの返り討ち喰らって、それでも懲りぬはやはり変人だったという証明です。森さんと言い、古賀さんもこの前出てきましたね、河野村山はいやでも引っ張り出されて、昔の顔が出てき過ぎですね。もう誰も見てないって。
コメント
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