拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

不幸のカタチ

2023-01-12 09:14:04 | 日記

朝ドラでリストラのシーンが流れる。クビを切る方も切られる方も不幸である。「悪い人が一人もいないだけに辛い」と言った朝ドラ受けの大吉さんの言に賛成である(この発言は、悪い人ばかり出てきた前作に対する当てこすりだと言ったら下司の勘ぐりだろうか)。因みに、幸せはどれも似てるが不幸の形態はまちまちと書いたのはトルストイ(「アンナ・カレーニナ」の冒頭)。その「まちまち」の中でも、予想してなかった不幸=青天の霹靂はとりわけ辛いだろう。

「青天の霹靂」で忘れられないのは、私がまだサラリーマンだった頃(20代前半)、出社途中に「本日開店」の美容室があった。花輪が出て「さあ、これから!」という意気込みが感じられた。夕方、その場所を通ると火事で焼けていた。焼け残った塀に「ご迷惑をおかけしました。被害が及んだ方はご連絡ください」との貼り紙があった。さらに遡ること15年。私が小学校に登校する途中、道に屋台を出してなんとか焼きを焼いているお兄さん達がいた。夕方、その場所を通るとお兄さん達はおまわりさんに囲まれてうなだれていた。必要な営業許可等をとってなかったのだろう。本人の過失等の責任の有無はともかくとして、まっこと「諸行無常」である。その他、どっかのワンマン社長が取締役会でまさかの解任決議をくらって「なぜだ?」と言ったとか、ホームランを打った長嶋選手がベースを踏み忘れてホームランが取り消されたとか、天皇賞秋で鞍上武豊のメジロマックイーンが一着でゴールしたのに他馬の進路を妨害したとしてビリに降着となったとか、青天の霹靂にはきりがない。

以上は人様の話。私にとっての最大の「晴天の霹靂」は、数年ぶりに一緒に暮らすことになったチロ(先代4匹のうちの1匹)がウチに戻ってきた日の翌朝死んだことである。享年19歳。

なかなかの美猫であった(食い意地ははっていたが)。その後、生後2か月でウチに来た今ニャンの2匹も、今、人間の歳にすると私と同じくらい。年月が経ったわけである。