拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

さすらい(ではないと思う)

2023-01-11 08:55:47 | 音楽

NHKの「犬育て猫育て#6」の再放送を見た。ヴォランティアさんが預かる子猫に脳障害がありご飯を食べない。結末は見えていて慟哭を禁じえない。もはや反則である……と思ってるところに、ニャー(ねー)、ニャニャニャー(よそんちの猫見て泣いてる暇があったら)、グルワー(あたいたちにご飯ちょうだいよ)との催促。そうだ、普段、おみゃーらのことを「泥棒猫」とか呼んでるが、ご飯を食べてくれるだけありがたいと思わなきゃね。

同じくNHKのあさイチの今朝の放送で、冬場に毛細血管が消失して不調になる話をしていた。他人事ではない。私は、冬場、手の指が氷のようになる。明らかに毛細血管が消失している。暖房をけちってるからかもしれない。わが家のエアコンの設定温度はドイツ政府ご推奨の19度である。それで寒くないかって?寒い。だから手指が冷えて、しもやけにもなるし、おできもできるのであろう。まさに、なんとかの冷や水。反省。設定温度を上げた。20度。暖かーい!

さて。シューベルトの歌曲集「美しき水車屋の娘」の第1曲の話である。タイトルは「Das Wandern」。「さすらい」と訳されている。この訳ではたしてよいのだろうか。「さすらう」の意味を大辞林で調べると、「目的地を定めず、あてもなく歩き回る」とある。ボケ老人の徘徊のイメージである。それに対し、「Wandern」は、たしかに「さまよう」「流浪する」の意味もあるが、「ハイキングをする」「徒歩旅行をする」のようにしっかり目的地を定め、大地を踏みしめて歩く意味もある。はたして、この曲の「Wandern」はどうだろうか?歌詞は「Wandernは粉屋の愉しみ」で始まる。おお!愉しみならハイキングだってありだ(補注1。「Müller」を「粉屋」と書いたが、「水車屋」の意味もある。粉屋は水車で粉を挽いたから水車屋でもあるのである。補注2。「ハイキング」には低山登山も入る。高尾山登山なども含まれる。だから、先週、私が相模湖から城山を経て高尾山まで歩いたのなどは典型的な「Wandern」である)。しかも、このいきいきとしたピアノ伴奏を見よ!

あてもなくぶらぶら彷徨う風ではない。早足で低山をざくざく進む、まさにハイキングの風である。だが、早とちりは禁物。もう少し先を読もう。

「Wandernが嫌いな粉屋は悪い粉屋」とまで言っている。いくらなんでも趣味まで強要されて、粉屋はみな休日にハイキングをしなければならないってことはないだろう。参考になるのはドイツの職人史である。ドイツの職人の卵が親方んとこで修行をしてある程度の腕になると、たいがい修行の旅に出て腕を磨く(グリム童話に出てくる若者もみんなそうである)。どうやらそれっぽい。すると、この場合の「Wandern」は、たしかに具体的な行き先は決まってないが、「別の粉屋」(新たな修業先)という目的はあるから、少なくともボケ老人の徘徊とはまるっきり異なる。だったら「さすらい」と言うよりも「遍歴の旅」である。

そして、歌詞の最後は「親方ー、おくさーん、ボクを行かせて!」。まさに、旅に出して!である。「さすらい」は「冬の旅」の第1曲にこそに相応しい(タイトルは「おやすみ」だが)。ピアノ伴奏もとぼとぼ歩く風である。

因みに、ワタクシの次なるWandernだが、先々週、先週と連闘で、さすがに疲労が残ってる感じ。しかも、次回は、やはり高尾あたりを狙ってるのだが、6時間半の長丁場を予定しているので、今週は英気を養うために家にいて「Das Wandern」は歌にとどめておくつもりである。