ルネサンス期の合唱曲を歌うのは心地よい。声が自然に出る。そもそも、この時代のアルトはカウンターテナーが歌っていた。だから、曲との相性が良いのは当然である(筆者はカウンターテナーである)。
ところで、一口にルネサンス音楽と言うが、その正体はなんだろう?もともと、ルネサンスとは、フランス語の「ル・ネサンス」=「再+誕生」であり、人間性を押さえ込んでいた中世から脱却して、芸術において本来の人間性を蘇らそうという運動である。例えば、中世時代の絵画において人間は無表情で動きがないが、
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ルネサンス期のダ・ヴィンチは、解剖によって人間の骨格を研究し、そこから学んだ人間の自然な動きを絵画に活かした。だが、ルネサンス音楽となると、ときの作曲家は特に「復興」を意識して作曲しておらず、単に、ルネサンス期の音楽だからルネサンス音楽と呼ばれるだけ、と言われることがある。だが、私などは、やはり、音楽においても、意識されたかどうかはともかくとして、その内容は「ル・ネサンス」である、と思う。それは以下のように考えるからである。
太古、ギリシャ時代には豊かな音楽文化が花開いていた。だが、中世になって、教会音楽は単旋律になった。きれいなもの=耳目を愉しませるもの=気持ちのいいものは信仰の妨げになると考えられたからである。楽器も、そういう観点から教会での使用が禁止された。だが、そうは言っても、元来、人間は快楽好きである(プラトンが説く「エロス」は美しいものを求める欲求である)。そうそう単旋律で我慢していられない。まず五度(ドレミファソのソ)の対旋律が現れた。さらに、当時不協和音とされていた三度(ドレミのミ)も加わった。声部も増えて、ポリフォニー(多声部)の音楽が開花した。これがルネサンス音楽である。だとすると、中世において、人間が欲する形態とは違うカタチに封印されてきた音楽が、本来の美しいもの=聴いて気持ちのいいものに再生されたのだから、まさに「ル・ネサンス」と言うに相応しい、と考えるのである。
因みに、古いカセットのデータ化をやってたら、どこかの合唱団の練習風景を録ったヤツが出てきた。そこで鳴っている若干プリミティヴな和音は五度。時代的には三度が登場するちょっと前、中世からルネサンス期に至る途中あたりである。こんな時代の音楽を歌う合唱団が身近にあったっけ?あった!SM合唱団だ!創始者のオルガニストが同団を去った後、別の指導者のもとで、一時期このあたりの音楽を歌っていた。私はこの頃、同団からほとんど足を洗っていたのだが、一回合宿に行ったことがあった。そのときの録音だろう。同団は、この曲をひっさげてコンクールに出た(私は参加しなかったが)。一等賞はとれなかったけど、審査員の中でただひとり、皆川達夫先生だけが絶賛されたという話を聞いたっけ。
さらに、デュファイのミサ曲(アヴェ・レジナ・チェロールム)の録音も出てきた(デュファイこそはルネサンス音楽のパイオニアである)。これは一聴してSM合唱団と分かった。グローリアとクレドの先唱が私の声だったから。
因みに、上掲の写真は、中世の吟遊詩人のヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの肖像画である。1300年頃の作というから、中世絵画の範疇だろうが少し表情があって来るルネンサンスを予告してるかのよう。この詩人はヴァーグナーのマイスタージンガーにその名前が出てくる人で、いっとき私が当ブログのタイトルをころころ変えてた頃、一瞬、その名を名乗ったことがあり、その際、フェイスブックのプロフィール写真に同人の肖像画を採用したのだが、タイトルを昔ながらのバロン・オックスに戻した後も写真を変更しないでいた。このたび、ようやくフェイスブックのプロフィール写真もバロン・オックスにして、ブログのタイトルと歩調を合わせることができた。その写真がこれである。
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バロン・オックスらしく、人間味があふれている。因みに、「オックスの人間性」とは、「食好き」「酒好き」「女好き」である。
そう言えば、箱根駅伝の通り道に、ユネッサンという温泉施設がある。「湯」+「ネサン」=「湯の誕生」ということか。上手いこと名付けたものだが、語尾の「ス」はどこに行ったんだろう。