拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

マサシのクレド

2023-01-09 09:41:00 | 音楽

一昨日、久々に作った餃子。材料は、豚肉挽肉とキャベツのレギュラー陣に毎回ゲストが加わる。そのゲスト、一般的にはニラ、私的にはこれまでは大葉だったが値上がったので、代わりに売るほど冷凍庫に眠ってる自家製バジルを使った。レギュラーだってうかうかしていられない。値上がった豚肉の代わりに鶏の、しかも胸肉の挽肉を使う日が刻一刻と迫っている。もう一つ、検討が必要なのが皿。並べた餃子の円周よりわずかに小さい。だが、わが家にあるこれより一回り大きい大きいヤツはフライパンにかぶせるとき端がひっかかる。間のサイズの皿が欲しいのだが贅沢を言ったらバチが当たるか。小さいパンツをムリしてはくごとく、小さい皿を使い続けよう。

かようにケチっていても、例えば昨夜のU会の反省会で「はい、飲んだ人は5000円」と声がかかったとき、それは誰あろう私に対する通告である。節約したってそんなに飲んでたら元も子もない?そもそも「飲むために」けちっているのである。飲まなかったら、なんのための歌であろうか。歌と酒はセットである。Jシュトラウスのワルツにも「酒、歌」(下記参照)というのがある。とは言いつつ、5000円を、10円20円の節約で償却するのは大変である。いくらスーパーが価格維持に奮闘努力しても円安によって努力が一瞬にして無になるごとしである(ただし、円安にも歯止めがかかりそうな昨今ではある)。

「酒、歌」と書いたワルツのタイトルは、ホントは「歌、○、酒」だが、「○」は私には無縁だからカットした。「無縁」と言えば、上記の反省会で、フランス文学のO先生が、「イージマさん、つかぬことをお聞きしますが、ご家族は?」とお聞きになる。あれま。ご存じなかったのね。だから「30年近く前に、妻に逃げられまして」と応える。もしここに某お姉様がいらっしゃれば、「O先生、実はね」で詳細な解説が入るところであるが、残念なことに某お姉様は同席されておらなかったので、O先生の脳裏には私が申し上げた事実のみがインプットされた。よかよかばい!

因みに九州馬の「ヨカヨカ」は早々に引退し、近くお母さんになる。競馬界に新旧交代はつきものである。昨日のシンザン記念で勝ったライトクオンタムは、「男馬を蹴散らして勝った」「ディープインパクトの子供である」点で、わが愛しのジェンティルドンナとかぶるから以後注目しよう。だが、テレビ局が「ディープインパクトの最高傑作(最高の子供)へ」と言ってるのは気に食わん。ディープの最高傑作はジェンティルドンナである(あと、短距離ならグランアレグリア)。おかしなことを言い出したら、一瞬にして私はアンチになるからね。なお、「ライトクオンタム」は物理学で言う光量子のことだそう。「クオンタム」(quantum)は「量」を表すラテン語で、ルネサンスの宗教曲に出てきそうな言葉だが、その場合は「クワントゥム」と発音する。トスカがスカルピアに「いくら?」(いくら払えばカバラドッシを助けてくれる?)と聞くときの「Quanto」の語源であるのは明白。因みに、「いくら?」と聞かれたスカルピアはお金ではなくトスカ自身を求めて果物ナイフで刺されて絶命する。

いろいろ話が前後するが、昨夜、久しぶりに、わが家で一番体格のよい娘をU会に連れ出した。ソロ・コーナーで弾くためである。

この写真は、娘のタッパが私の頭上よりどれだけはみ出てるかを見るために撮った。天井の低い駅の構内だと、娘の頭がゴツンとあたるおそれがあるからである。そう言えば、大昔、渡辺謙が笑っていいとものテレフォンショッキングに出たとき、「子供を肩車すると、ときどき子供の頭が天井にあたる」みたいなことを言っていた。その「子供」とは当時まだ小さかった杏さんのことだろうと思っていたのだが、大さんという息子さんである可能性もある。因みに、渡辺謙さんは私より一個年下である。私の娘の話に戻る。やはり、ときどきは人前で弾くのも必要である(習い事の発表会も同じ意味で有意義なんだろうな)。で、上手くいったか下手に弾いたかは自分の心の中で自分自身で判断し、粛々と次に備える、それが最近の私の信条である(偶然、最後に「信条」が来たので、今回のタイトルとなった。ネタを自分でばらすのはみっともないが、あえて言うと、これは「イァーゴのクレド」(ヴェルディのオテロより)をぱくったものである)。