拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ろたんちょう

2023-01-28 21:46:11 | 音楽

今日、J.S.バッハのミサ曲ロ短調を聴きに行った。

冒頭、チェンバロがソロで弾き始め、あれ?ロ短調ミサの他に別の曲があったっけ?と思ったら、ロ短調のミサの導入だった。音取りの意味があったようだ。そうやって始まったミサ曲はテンポがかなり速い。だが、最近はやりの古楽奏法とは一線を画していて、とーっってもSanft(優しい)な音。心に染み入りました。終わった後も、直後に「ブラボー」と叫ぶような輩はおらず、もう、このまま、ほんわかした心持ちで家路についてもいいくらい、と思ったのが、じょじょに拍手が湧いてきて、なんだかドイツの演奏会のようでありました。

あらためて、クレドなどは物語だなー、と。「Ex maria virgine」(乙女のマリアから生まれて)、十字架にかけられて、悲しい和音が響く。だが、はじっこではおもむろにトランペットが起ち上がってる。そう、この後は華々しい復活のシーンであった。思わず「Ex maria virgine」はドイツ語でどう訳すんだろうか?と考える。「ex」=「aus」は問題ない。マリアも固有名詞である。問題は「virgine」。ドイツ語の直訳は「keusch」だが(そういうことばかりよく知ってる)、意訳で「Jungfrau」にする、という手もありそうだ。

この公演で、目立ったのは、男性のソリスト(CT、T、Bs)のズボンが細かったこと。もともとおみ足が細くてらっしゃるんだろうが、ズボンもあえて細くしてるんだろうか。それが昨今の流行なのだろうか。因みに、私の高校生、大学生の頃はベルボトムが流行っておりました。

曲名について。普通で言えば「ミサ曲ロ短調」なのだろうが、「ロ短調ミサ曲」ということがある。おろ?ちらしもそうなってる。これって、業界の人が「チーズ」を「ズーチー」と言うノリ?まあ、ベートーヴェンの「運命」だって「ハ短調交響曲」と言うものね。作曲者を言わずに「ろたんちょうみさ」と言っても、ほとんどの人はJ.S.バッハと分かるだろう……が、ホントにそうだろうか?他のロ短調のミサ曲でいい曲ってなかったっけ。まず、ミサ曲がさかんに作られていたルネンサンス期はそもそも調性の概念がない。ジョスカン・デ・プレのミサ「パンジェ・リングァ イ短調」なんて誰も言わない。そもそも言ってはいけない。あの頃、ピッチは場所によって違うし、そもそも主音は刻一刻と移り変わるから調性の概念はない。調性が確立した後、ハイドンとモーツァルトがたくさんミサ曲を書いている。たが、手元の資料にはロ短調は見当たらない(ハ長調がやたらと多い。あの圧倒的な「ジュピター」も(ミサではないが)ハ長調である)。だから、一般に、「ロ短調ミサ」と言うと、J.S.バッハのミサ曲を思い浮かべるのである。

因みに、室内合唱団のわれわれの代で「ディー・ヒムメル」(Die Himmel)というと、シュッツの「宗教的合唱曲集」の中の一曲を思い浮かべるのだが、そうはうかうかしていられない。同じ詩編を歌詞に持つ曲はバッハのカンタータにもあるし、ハイドンのオラトリオの中にもある。さらにでござる。シュッツだって、結構同じ詩編に複数回作曲している。例えば、「Die mit Tränen」だって「宗教的…」のほか、若い頃の「ダヴィデ詩編曲集」の中にもある。もしや、Die Himmelも?ありましたぞな。その後の歌詞は違うけど、冒頭「Die Himmel」で始まる曲が!

さて、幸せな気分につつまれてホールを後にし、時間がまだ早かったので、ひたすら西に向かって歩く。途中、けっとばし屋を見、

新大橋で隅田川を渡り、

4駅間くらい歩いたところで観念して、地下鉄に乗って、綾瀬まで戻ってイタリアン。「本日のジェノベーゼ・ピザ」をいただきました。

もちろん、お1人様。カウンター席を勧められたんだけど、テーブル席を希望してそっちに座ったら、後から来たお一人様の女性客が私が座るはずだったカウンター席に陣取って、なじみ客らしく店員を相手に延々とここ数日身に降りかかった不幸話をしていた。その店を後にしたワタクシは、さらに4km歩いて帰宅。

そう言えば、私がいた頃の室内合唱団の団内誌のタイトルは「ハモル」だったっけ。もちろん「ロ短調」と「ハモる」をかけたものである。


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