拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ピンクレディーのこと

2018-03-21 08:40:16 | 音楽
キャンディーズ派の私としては、ピンクレディーの出現は驚異であった。♪ペッパーーーーーケイブッの声にはパワーがあった。でも、股を開く過激なフリはお色気路線でおじさんがターゲット、キャンディーズとは路線が違うと思っていた。ところがあっという間に子供達の人気者になり、「小中学校ではピンクレディーの方がキャンディーズよりも人気がある」と聞いたときはショックだった。負けないぞとキャンディーズ・ファンを貫いた私であったがピンクレディーも聞いていて、「渚のシンドバッド」は好きだった。イントロで左右に片足ケンケンをするフリが妙に好きだった。最近はっと思ったことその1。「ペッパー警部」=「sergeant pepper」ってビートルズの「サージェント・ペパーズ……」からきているのだろうか。当時は、これからいちゃつこうとしているカップルに「もしもし君達帰りなさい」などと辛いことを言うのでペッパーだと思っていたが。最近はっと思ったことその2。「UFO」を「ユーフォー」と言っている。今ではそれが当たり前だが、ピンクレディー出現の10年前、「謎の円盤UFO」では「ユーエフオー」と言っていた。その10年の間に「ユーエフオー」を「ユーフォー」と読むようになる大変革があったわけだ(シュッツとバッハの間の100年の間には、調性音楽が確立されたという大変革があった)。その「謎の円盤UFO」の原題は「UFO」。当時は「謎の円盤」を付けなければUFOがなんだか分からなかったのだろう(そんな時代だったから「ユーエフオー」と呼んだとも言える)。そのドラマにエリス中尉で出演していたガブリエル・ドレイクが色っぽかった。これを見ていたのは小学校の6年生のときで、それでもどきどきしたのだから、もし10年後に見ていたら鼻血が出たことだろう。ピンクレディーの話に戻る。「UFO」のイントロで、腕を前にして肘を左右に上げる仕草、あれはUFOを表しているのだろうか。だとすると、随分揺れるUFOだ。そういえば、ちょっと前、UQのCMにこの音楽が使われていた。このCMに出てる三人娘の一人が深きょん。この人がNHKのドラマで演じた若妻が見事におっかなくて、それ以来、私にとっての「深きょん」=「怖い女」。

好きな人に好きな人がいたので他人の買い物カゴに入れられた花束

2018-03-20 10:09:41 | 日記
「コンビナートの夜景がきれい」というのを聞いて、ふと思った。「コンビナート」って何語だ?「ナート」だから英語じゃないよな。でググったら、元ロシア語だって。なぜロシア語かというと、もともとソ連時代の工場団地を表したからだって。ということで本題。背景に「♪おー、シャンゼリーゼ」が流れるCMで、中年の男が若い女と向き合っている。背中に花束を隠し持って。次の瞬間若い男が来て女と去っていく。花束は渡せずじまい。そこに「好きな人に好きな人がいたら、あなたならどうしますか?」とのナレーションが入る。で、中年の男が一言「C'est la vie」(これが人生=人生なんてこんなもの)。この言葉が気になった。これ、ドイツ語でなんと言うのだろう。直訳すれば「Es ist das Leben」。とりあえずこれでググる。すると「So ist das Leben」が多数ヒット。なるほどね。ついでに英語では?「That's life」だって。実はこの台詞より気になったものがある。隠し持っていた花束の運命。男がそしらぬ顔をしてぽっと落とした先が他人の買い物カゴ。これってどうなんだろう。きっとCMの制作者は、買い物カゴの主が「あら、素敵。季節はずれのサンタさんありがとう」と思うストーリーを考えたのだろうが、え?なにこれ?誰が入れたの?気持ち悪いと不審がるかもしれないし、あたし花束なんか買った覚えない、でも買ったのかしら、やだもうきてると落胆させるかもしれない。因みに、私の母んとこの玄関にはリボンの付いたバウムクーヘンが鎮座ましましていて、私が行くたびにまるで毒物でも見るよう目で敵視しながら「これ、なんだかしらないけどここにある。気持ち悪い」と言う。誰かからもらったのを忘れたに違いないのだが、で、そう言う風に私も言うのだが「覚えがない」と言って聞かない。じゃあってんで私がもらってきたのだが、そのときの「ええー?お前、こんな気持ちの悪いもの食べるのか?」という母の青い顔がちらつくせいで、結局、私も食べないでいる。鎮座する玄関が母んとこから私んとこに変わっただけであった。誰か代わりに食べる?

テナーの充実ぶりが際だったフィアツェンのコンサート

2018-03-19 05:11:37 | 音楽

バッハといえば14。これをそのまま合唱団名にした「フィアツェン」のコンサートを聴きに行く。曲目はBWV39,101,182。この合唱団は、以前はテナーが少なくて、充実したSAB+優秀なテナーのソリスト達といった感じだったのだが、最近、コンサートに行くたんびにテナーが増えていって(知り合いも増えていって)、今回、テナーの充実ぶりが際だった。首都圏のいいテナーがみんなここに集まってるのかって感じ。合唱って、テナーがいいと映えるんだなぁ。特にBWV182の最後から2曲目(Jesu,deine Passion)は、どのフレーズも歌い出しはテナーから。これがバチッと入るから聴いてて心地よい。すっかり幸せな気分になりました。因んだ話その1。BWV182はヴァイマール時代の作。既にレチタティーヴォが登場している(ミュールハウゼン時代のカンタータにはレチはない)。それでも全体からすれば初期の頃だから、「歌いまくる会(カンタータの会第二)」で遠からず歌うことになりそう(予定どおり進めば今年の年末)。その2。フィアツェンはアルトにカウンター・テナーが3人いて、いっつも「いいなぁ、カウンター・テナーでアルトを歌わせてもらって」と羨んでいたが、気がつけば私だって(季節的な所も含めて)7つの団体でカウンター・テナーを歌わせてもらってる。そのうちの二つは本番が間近。そ、足もとでがんばらなければ。ということで、次回の第一の練習はお休みします(本番が近いところと重なったので)。ここ休むの入ってから初めてだ。その3。フィアツェンのコンサートが終わってKMCの練習に向かうべく東銀座を歩いていたら「ぐんまちゃん」なるものと遭遇。へー、こんなところに群馬県のアンテナショップがあったんだ。時間があれば寄ったところだが、また改めて。

全盲のスキー選手から勇気をもらう

2018-03-18 09:06:04 | 日記
テレビでパラリンピックをつけたら二人のスキーヤーが滑降している。普通よりゆっくり。二人がくっついてる。スピーカーを通したような声が途切れずに聞こえる。なんだと思ったら全盲のマレク・クバツカ選手(スロバキア)の競技であった。前を滑っているのはガイド役で、聞こえた声はガイドが背中に背負ったスピーカーから出たものであった。この声を追って選手が滑るから、二人の距離が近かったのだ。ゴールまできっちり滑りきった。すごい。目が見えなくなったからスキーを滑らないではなく、目が見えなくても滑りたいからがんばる、で実行したわけだ。こちらが勇気をもらう(でも、がんばらなきゃだめなわけだけど)。勇気といえばもう一つ。テニスの大坂選手が世界ランク1位の選手を破った。いや、十分すごいけど、言いたいのはこの後。日本人が1位の選手を破ったのは22年ぶりだそうだ。覚えていますとも。キミコ・ダテが当時世界に敢然と君臨していたシュテフィ・グラフに勝った一戦。テレビで見ていた。応援席では松岡修造さんが観客を巻き込んで大応援を繰り広げていた。グラフ選手にとっては完全にアウエーでやりにくかったろうが、伊達さんも「うるさいなー、誰?」と思ったそうだ。いや、これもすごいけど言いたいことはここから。この後すぐ引退した伊達選手がなんと37歳で現役復帰。そこから10年間がんばった。これですよ、言いたかったのは。歳とったからやめるじゃなくて、歳とってもやりたきゃがんばればいいって。カンレキを前にしてまだまだ歌ののびしろを信じる私は山ほど勇気をもらいました。で、勇気をもらいすぎて、減らすはずの合唱団が増えてしまってスケジュール調整がままならない。某日と某日、私、どっちへ行けばいいのだろう。伊達元選手がやってるパン屋さんでパンも買いたいし。

ピカルディ終止の逆(微笑み返し)

2018-03-17 14:34:36 | 音楽

すぐに見つかるものだと思って近くの水路に猫柳を探しにいったのだが、鯉はたくさん泳いでいたが、猫じゃらしのような猫柳は皆目見つからなかった。さて、キャンディーズの「年下の男の子」のフリで、私は片手をくるくるして下げる仕草が好きなのだが、あのくるくるは頭を撫でる仕草?頭を撫でられるのは人間も猫も嬉しい。うちのお嬢たちも大好きで、ケメ子は無言で頭を私の手に押しつけてきて催促するし、ワサビは撫でるのをやめるとニャーと言って継続をアピールする。その後の下げる仕草は、撫でてる相手が年下であることを表しているようでもあり、出る釘は打たれるの図のようでもある。以上、長年生きてきて、今日初めて湧いた感想であった。さて、キャンディーズの最後の曲の「微笑み返し」。実は私、この曲が最初に出たとき、なんだかこれまでの曲の寄せ集めのような感じでいまいち好きではなかった。唯一、最後の「それぞれの道を歩いてゆくんですねーーー(Gdur)ーーーー(Adur)の和音進行には泣けたが(今も泣ける)。でも、今聴くと感慨も新た。さすがは阿木耀子さん(作詞)だと思う。お引っ越しでこれまで住んでいた家を出ていくという設定はもちろんキャンディーズがもうじき解散することが背景にある。引越のために家具をどかしたら見つからなかった「ハートのエース」が出てきたって?私んとこもお引っ越しをすれば行方不明になったバロック式のリコーダーが出てくるだろうか。そんなことよりも、「お引っ越しのお祝い返しは今度は二人別々ね」に私はどきっとした。これって離婚のことじゃん。もちろんキャンディーズがファンの前から「お引っ越し」をするほかにメンバー同士でもさようならとする、そのことを言ってるのだろうが、一般的にはこれは離婚だ。どきっとしたのはそのせいだ。この曲を聴いていた当時、まさか自分がバツイチになるなんて考えもしなかったもんな。さて、バッハの曲などで、ずっと短調だったのに、最後の終止だけ長調になることがよくある。ピカルディ終止というそうだが、「微笑み返し」は逆。ずーっと長調なのに最後だけ短調。なんだかとことん悲しい曲に思えてきた(同時に、すごいいい曲だと改めて思った)。

ダメンズウォーカー(年下の男の子)

2018-03-17 09:16:13 | 音楽
学生の頃、特にドイツ語の歌詞は呪文だった。発音ばかり気にして、意味は二の次だった。当時に比べて初見歌唱能力が落ちたと嘆くことしきりの私であるが、考えてみれば、今は初見で歌ってる最中から歌詞の意味を考えてるから脳の作業量は増えている。大体とちるのは歌詞の意味でひっかかったときだ。昔は、意味を考えようにもドイツ語が分からなかったから考えようがなかった(知らぬが仏)。だからモーロクしたわけではないのかもしれない(と自分を慰める)。ということで、愛唱歌である「年下の男の子」も今聴くと新鮮な驚きに満ちている。まずしょっぱな。「まあっかなリンゴをほおばる」。真っ先に思ったこと=歯が丈夫じゃなきゃほおばれない。歯は大事にしなきゃ。それから。問題の年下の男の子は、寂しがりやで生意気で意地悪……だめじゃん。なのに「好きなの」。歌の主はダメンズウォーカーであった!よりによってなぜ?母性本能ってやつ?と思ったら作詞者は男であった。なーんだ。こんなお姉様がいたらいいという願望かぁ。因みに、キャンディーズの最後の曲の「微笑み返し」の作詞は阿木耀子さん!でもその話は次回以降に。そういえば、「年下の男の子」の男の子の立場から見た歌があった。♪と~うぉ~しぃ~~~~~う~えの、ひいいいとぉ~~と書いてみたが、森進一の歌を文字で表すのは不可能だ。因みに、「ほおばる」=「頬張る」=頬が張るほど口の中につめこむ……ガッテン!

「こうして踊ろうよ」(トントントンは合ってた)

2018-03-16 14:39:45 | 音楽
いやあ、ブログに書いてみるもんだ。お陰様で疑問が解けた。フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」ん中の「♪ソドミレドソソソ、ソドミレトドラララ」を小さい時なんで見たか聞いたかしたんだっけという疑問にK田さんが答えてくれた。NHKの「みんなの歌」で、1966年12月から1967年1月に放送された「こうして踊ろうよ」であった。私が8歳になった頃だ。そこでググってみると、出てくる出てくる。歌詞も出てきた。「あしぶみトントントン」(ソドミドソソソ)。さぁ、答え合わせ。私はどういう歌詞を想像していたか。「右見てシャンシャンシャン」「右見てトントントン」「かかとをつけてトントントン」。おおっ、「トントントン」は合ってる!さぁ、これで心置きなくキャンディーズの記事の続きに行ける(その後、ピンクレディーも控えている)。まて(Doch,halt!……フィデリオより)。なんだかまた疑問が出てきた。「トントントン」「パンパンパン」の後、♪ファレシー、ソミドー、シーラソファミレドと続くのだが、このメロディーを歌うと自然と「アイ・マイ・ミー、アイ・マイ・ミー、あーあおもしろい」が口をついて出てくる。これはなんなんだろう。「みんなの歌」にはそんな歌詞はない。私の頭が勝手に別々に聴いた曲のメロディーと歌詞をつなげてしまっているのだろうか。因みに母は(と書きたいのにパソコンはしばらく「ハハハ」としか変換してくれなかった)二つの全然違う話をくっつけて新しいストーリーを生み出すのが常で、私は勘弁してくれよー、と言うのだが、自分も同じか。因みの因み、私が母に「お母さん、ボクもね。大酒を飲むと前の日のことをきれいに忘れちゃうからね、気持ちは分かるよ」と言ってやると「あたしは酒なんか飲まない」ってそういう話をしているのではない。

「年下の男の子」「春一番」

2018-03-16 09:00:27 | 音楽

イントロ当てクイズ。「♪(タンッタタッタ)ミ」「はいっ」「はい、いーじまさん」「年下の男の子」「ピンポーン。もうちょっと長く聴きましょう。♪(タンッタタッタ)ミ-、ミファソミー、ファミレラー、ラシド♭ミー、ミーレード。次の曲。ラ」「はいっ」「はい、いーじまさん」「春一番」「ピンポーン。もうちょっと長く聴きましょう。♪ラッドー、ミソーラー、ドッシー、ラソーミー……」これは約40年前に室内合唱団の宴会で実際にあった光景。そう、私はキャンディーズのファンであった。「年下の男の子」をセンターで堂々と歌うランちゃんが片手をくるくるして下げる、その下に頭をうずめたかった。ランちゃんは3歳上(学年は4つ上)だと知って、全然いけるじゃん、と思った青年の私であった。「春一番」はキャンディーズを好きになったきっかけの曲。今朝、久々に聴いた。♪ゆきぃーがぁとけてかわぁーにぃなぁって……猫がびっくりして見てる。ランちゃんがそこにいると思ったのだろうか。言葉がものすごく明瞭(「きぃ」「がぁ」とかの歌い方は古楽の先生なら怒るだろうが)。昔よりずっと詩を聴いてる私。いい詩だなぁ、今の季節にぴったり(写真は近所の運河沿いの河津桜)。途中「?」と思ったところ。「かえるのこが、水をけぇって、およいでゆきます」。「かえるの子」っておたまじゃくし?「おたまじゃくし」だと字余りになるから「かえるの子」にしたのかなぁ。でも、おたまじゃくしは水をけれないよなぁ。すると、カエルになったばかりのミニガエルか?あと、歌詞に「ネコヤナギ」が出てくる。これって春の訪れを告げる草木なんだって(知らぬは私ばかりなり)。画像を見たら猫じゃらしみたいだった。

「夕べの祈り」(の話がいつのまにかバッハの話になる怪)

2018-03-15 18:17:12 | 音楽
パラリンピックで金メダルを獲った村岡桃佳選手は早稲田大学の学生だそうだ。トップアスリート入試で早稲田に入ったそうだ。早稲田は素晴らしい学生を獲った。私は大学のスポーツ選考は大賛成。なにも机の上で勉強するばかりが学問ではない。アスリートは自らの体でスポーツ科学を実践してるんだから偉いものだ。最近は「いい歌はスポーツをする体から流れ出る」とすら感じる。私は自転車をこぐことくらいしかしてないが。そういえば、大昔、江川投手が高校を卒業するときドラフトのせいで巨人に行けなかったのでKOの試験をいくつか受けてどれも不合格になったっけ(因みに、私の合唱仲間にはKOのOBが結構いる)。さて。ずいぶん「ヘンゼルとグレーテル」(オペラ)の話を書いたが、次を最後にしよう(ホントかな)。楽しいメロディー満載のこのオペラの中で、異彩を放つ祈りの二重唱。中間部で歌われる「Abendsegen」(夕べの祈り)だ。なんてきれいなんだろう。心が洗われるよう。「Abends will ich schlafen gehn(夜、眠りにつく。♪(移動ド)ドーミーミーソーラーソーソー)Vierzehn Engel um mich stehn(14の天使が私の回りに立っている。♪ドーソーソーミーミーレドレー)……って感じ。「14」!合唱仲間が「バッハだ」と反応している様が目に浮かぶ(アルファベットの順番はB=2、A=1、C=3、H=8で全部足すと14)。

スカートをはいたブリギッテ・ファスベンダー

2018-03-15 08:33:20 | 音楽
パラリンピックのスキーの選手は、スキーをはくと健常者の何倍も速い、雪原で追いかけっこをしたら普通の人は絶対適わない、すごい、と思った。さて。「ヘンゼルとグレーテル」(オペラ)の私のお奨めのヘンゼルはブリギッテ・ファスベンダー。その相手役(グレーテル)は、映像ではグルベローヴァだがCDではルチア・ポップ(指揮はどっちもショルティ)。グルベローヴァとルチア・ポップなんて私にとってはまるでサ○○○ヤかガ○ト!(「大好き」という意味ですから。念のため)。その偉大なプリマたちをとっかえひっかえ相手としたブリギッテ・ファスベンダーは、ズボン役で一時代を制した名メゾ・ソプラノ。この人がオクタヴィアンを演じると、冒頭のベッド・シーンなんかも、ホントは女+女だから「危険」はないはずなのに実に怪しくなる。ゾフィーのルチア・ポップと二人でカーテン・コールに出てきて頬を寄せてたりすると「あー、ポップがファスベンダーに食われる~」と叫びたくなる。しかし、この人は実にレパートリーの広い人だったから、女性の役だって歌う。ベームが最後に録音したコシのレコード・ジャケットのファスベンダーはスカートをはいてるし、なにより私が唯一ファスベンダーを生で聴いたときの曲が「冬の旅」で、選曲はさすがファスベンダー!なのだがドレスを着ててなんか変な感じがした。さて、そんなファスベンダーは、今ではオペラの演出家になっている。騎手が調教師になったようなものだ。この道でも相当成功したようで、現在、いろんな劇場や音楽祭の総裁を務めてる。最近、顔をみるとすればインタビュー。こないだもグルベローヴァと2ショットで昔話をしていた。それがまさに「ヘンゼルとグレーテル」の話。件のビデオを撮影したときが40歳くらいのときで、限界だったらしく、それが最後のグレーテルになったと言ってた。

オペラが先で童謡が後って例も

2018-03-14 11:41:32 | 音楽
前回の記事のためのリサーチで分かったこと。フンパーディンクのオペラ「ヘンゼルとグレーテル」の冒頭のグレーテルの歌はドイツの童謡そのものであった(ちょっとメロディーを伸ばしたりしてるけど)。それが最初から分かっていれば、元の曲は何なのだろうとルチア・ポップのCDを聴く必要はなかった(でも、「アイア・ポパイア」という別ヴァージョンを知ったという収穫はあった)。するともう一つこのオペラの中で気になってる曲(移動ドで♪ソドミレドソソソ、ソドミレドラララ)の調査も楽勝のはず。オペラの歌詞がそのまま童謡の題名だと思えばいい。するとこの曲は「Brüderchen komm tanz mit mir」という童謡に違いない。で、Youtubeで検索。たくさん出てきた。で、聴くと……あれーえ?メロディーが違うぞ。移動ドで♪ソドドドシレソ、ソレレレドミソ。いくら待っても♪ソドミレドソソソが出てこない。で、あれこれ調べた。すると、なんとこの曲については、童謡の歌詞だけ借りてメロディーはフンパーディンクが新規に作曲していた。童謡をそのまま引用したのは冒頭の曲を含めて三つ、他は「後から」童謡になったのだそうだ(Wikiのドイツ語版より。最初からこれを見ていれば早かった)。じいさんに、なってもしらぬ、ことばかり(誰が「じいさん」だ(怒)って自分で言ってる)。今回もいろいろ目から鱗であった。いや待て("Doch halt!"~フィデリオより)。冒頭の曲も、「Brüderchen」にしても、日本でどういう曲だったか(私が小学生のときどういう風に歌ったり吹いたりしたか)がまだ判明してない。冒頭の曲はあきらめるとして、♪ソドミドソソソはどうにかして思い出したい。いろいろ歌ってみる「右見てシャンシャンシャン」「右見てトントントン」「かかとをつけてトントントン」……なんだか創作の世界に入って来た感。

アイア・ポパイア(ドイツの童謡)

2018-03-14 08:28:47 | 音楽
ほうれん草をエネルギー源とするポパイの話ではない。オペラ「ヘンゼルとグレーテル」(フンパーディンク)は、壮麗な序曲の後、グレーテルの歌で始まる。(移動ド)♪ソーラソファミミミレドレミーーーーーー、(ド)ソーラソファミファミレドレドーーーーー……この曲、絶対小学生のとき音楽の授業で歌ったか笛で吹いたかした(フレーズの最後のミやドはこんなに伸ばさなかったが)。何の曲だったかどうにも思い出せない(歌詞も出てこない。当時から♪ソーラソファと歌った覚えがある)。この際、調べてみよう(国会中継で耳に付く言葉=「この際」。私、この言葉は「ちょうどいい機会だから」というニュアンスだと思っているのだが、国会では、場面を変えるとき(質問者が変わる、延会にする等々)「この際」と言う。なんか不自然。私が変なのか?)。調査対象=ルチア・ポップの「ドイツの子供の歌」。元はドイツの童謡だと当たりをつけて。で、1曲目から聞くのだがなかなか出てこない。おっ、出たーっ。♪アーイアポパイア……「アイア・ポパイア」という曲であった。「アイア・ポパイア」は子供を寝かしつけるときの「ねんねんころりよ」みたいな言葉だそうだ。調査を続行。な、なんと、この曲には「アイア・ポパイア」の部分が「SUSE LIEBE SUSE」(ズーゼ、可愛いズーゼ)になっている別ヴァージョンがあった。なんだ、このオペラの歌詞と同じじゃん。「元はドイツの童謡」ではなくて「ドイツの童謡」そのものであった。その後に続く歌詞は両ヴァージョンとも同じ。藁の中でもぞもぞしてるのは裸足のガチョウだった、靴屋には皮はあるが木型がないので靴を作れない、だからガチョウは裸足だった、という歌。ヘンゼルとグレーテルに共通する貧困の世界……おお!だからしょっぱなの曲がこれだったのか。

「ひもじい時にまずいものなし」(ヘンゼルとグレーテル)

2018-03-13 09:13:41 | 音楽
パラリンピックに出てる成田緑夢選手の名前の読みは「ぐりむ」。なるほど、グリーン+ムでグリムか!その(って成田選手には関係ないが)グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」のオペラ(フンパーディンク)の英語版の映像サイトを教えていただいた。おおっ。お父さんが「Hunger ist der beste Koch」(腹ぺこは最高の料理人」と歌うとこ、「Hunger makes the finest sauce」(空腹は最高のソース)と歌っている。さすが兄弟言語、うまくはまるものだ。もし英語版の「finest」がオリジナルの直訳の「best」なら音が一個余ってたところだ。ん?実は英語でもホントは「best」?今ググったらそれしかヒットしない。ってことは、このオペラのためだけに「finest」にしたってことか?「sauce」の部分はドイツ語と同じ意味の「cook」でもよいようだ。日本では「空腹は最高の料理人」よりも「空腹は最高のソース」の方が一般的だろう。と言っても、日本には昔はソースなんて言葉はなかったわけで、ことわざとしては「ひもじい時にまずいものなし」と言うそうだ。でもこれではオペラの歌詞にはならない。日本語で上演するときはどう言ってるのだろうか。ある上演では「Hunger ist der beste Koch」を2回繰り返すところで一回目に「はーらさえ、へってれば」、2回目に「なーんでもうーまいさ」で完結させている。でも、オリジナルみたいに一回で言えないかい?故斉藤晴彦さんなら早口で音にはめこんだことだろう。お!これはどうだ?♪はーらぺこは、よいコック!ちょっとこれよくない?(悦悦)因みに、Y先生とS藤さんご夫妻の白井少年少女合唱団でこのオペラをやるそうだ。脚本はS藤さんだそうだ。どういう風にするんだろう。興味津々。

夫婦喧嘩がメルヘンに

2018-03-12 11:26:51 | 日記
グリム童話にはこんな話もある。ある貧乏な夫婦の物語。働いても働いても豊かにならない。あるとき妻が寝ている夫に「もし私が1グルデン(お金の単位)見つけて、誰かが私に1グルデンくれて、私が1グルデン借りて、で、あんたが私に1グルデンくれて4グルデンになったら、それで雌牛を買おう」と提案。「宝くじに当たったら」的な話。夫は「ボクが君にあげる1グルデンをどう工面していいか分からないけどいい考えだ」と賛成。ここまではまだ平和。夫が続けて「そしたら毎日牛乳が飲める」。それに対して妻が「牛乳はあんたのためのものじゃないんだよ。牛乳は仔牛に飲ませるんだから。で大きくして売り飛ばすんだから」。少し雲行きが怪しくなる。「だけどボクが少しくらい飲んでも減るもんじゃないだろう」「誰がこの話を思いついたと思ってんのさ。減るかどうかなんて関係ないさ。あんたが逆立ちしたって牛乳は一滴も飲まさないからね」。おおっ、怒ったとかの状況説明などなくても台詞(こういう台詞の訳はすらすら湧いてくる)で雰囲気の悪化が手にとるように分かる。この後罵り合いとなってとうとう取っ組み合いの大げんか。妻が夫の髪をつかもうとするが、夫はかわして妻の顔を枕に押しつける。え?いったいどうなっちゃうの?「ホントは怖いグリム童話」の本領発揮で妻は窒息死?それとも肉弾戦の末、劣情を催して合体?(実際にありそうだし、それが一番平和な解決方法だがメルヘンだしなぁ)そしたら「妻は疲れ切って寝てしまった」だって。かろうじてメルヘンに踏みとどまった。さて、この後、話はどう展開するのか?わくわくしながら先を読む。「翌朝、妻が目覚めて口げんかを続けたのか、それとも1グルデンを見つけに行ったか、das weiß ich nicht(私の知ったこっちゃない)」でまさかの"Das Ende"。なんと、ある晩の夫婦喧嘩だけを描いたメルヘンであった。ところで、「私の知ったこっちゃない」の"ich"は誰なのかというと、これはグリム兄弟が聞き取り調査をした相手なのだろう。そう、グリム童話は兄弟がいろんな人から聞き取った話を集めたものだ。だから「ist」が「ischt」と綴られているとしたら、聴き取りの相手がそういう方言で話したのだろう。

お釜

2018-03-11 23:09:33 | 日記
今日の合唱練習の後の当初の選択肢その1。ガストでチーズインハンバーグを食す。その2。とっとと帰ってできあいのものを食す。すると突然第三の案が降ってきた。ちょうど駅前のスーパーで総菜の値引きが始まる時間。しかもこのスーパーのポイントでもうじき失効するやつがたまっている。値引きした総菜をポイントでゲット=2倍お得。ということで、久々にこのスーパーの餃子を食している。以前はしょっちゅう買っていて、で、タレが余分についていて、それがどんどんたまっていたのだが、最近の自家製餃子ブームでどんどん消化して残りわずかになっていたのだった。一昨日はアルカディア合唱団、昨日はシュッツを歌う会、で、今日はKMC。先週はシュッツを歌う会の代わりにカプと歌いまくる会だった。母に「最近どうなんだ?」と聞かれて「合唱で忙しい」。すると「歌っていくらかもらうのか」。ぼけるのもほどほどにしてほしい。で「逆だよ、会費を払って歌わせてもらうんだよ。お母さんがここ(施設)の「歌謡教室」に行くのと同じだよ」「なんだ、もらうんじゃなくて払うのか。かっかっかっかっ(水戸黄門のような笑い)」。ある日、その歌謡教室の先生が母を呼びにきたとき部屋で鉢合わせした。私に気づいて「ご一緒にどうですか?」。冗談じゃない。これ以上歌う場を増やしてたまるか。で丁重にお断りしたのだが、ふと「私、カウンター・テナーです」と一発かましたくなった。だが、施設の中で「いーじまさんの息子さんはお釜らしい」という噂ががたつと母がまたおかしくなって1時間ごとに「お前、お釜か?」と電話をかけてくるのも困るので言わないでおいた。いや、この時代、恋愛相手のジェンダーを問わない人がそこかしこにいるからお釜が悪いということではないが、年寄りには理解不能だろう。因みに私にそのケはないので(あってもよいのだが)、FBの「恋愛対象」は「女性」にしている。