拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

バッハ・コーナー

2021-06-18 07:50:13 | 音楽
こう見えて私は女好きである。え?どこからでもそう見える?ならばよし。女性のパートナリンをゲットしようと張り切っているワタクシにとって、イージマさん=オホホ説は障害。火消しに躍起なのだ。もう一つ。こう見えて私は法律職のはしくれである。当ブログには微塵もそういう話は出てこないがもう30年やっている(開業20年のときは、会から表彰してやるから総会に来い、と言われて、めったにいかない総会にのこのこ出かけて行ったら誰もいなかった。1週間日にちを間違えていて、後から表彰状だけ郵送されてきた)。だいぶやったのでぼちぼち商売替えを考えている。法治国家はなにごとも法律に則って手続が行われるから法律の手続のお手伝いをすることは立派な仕事には違いない。だが、これは国家があって、法律があっての仕事である。次は「前国家的」な仕事をしてみたい。例えば、料理人。美味しい料理は国家がなくてもおいしい。その意味では音楽家も前国家的である。国が違って言葉が違ってもいい音楽はいい。だからチンドン屋になるのも選択肢の一つだったが、こないだテレビで見たチンドン屋さんの技量がものすごくて無理だと思った。だからってわけではないのだが、仕事関係の本を大量に処分した。法律は日々改正されるから、20年前のものは役に立たない。だが、多くの士業の先生は、応接間を飾るためにたくさん本を並べている。テレビカメラの前で解説をするのも大抵本の前である(ショルティ指揮の「バラの騎士」の映像には、第2幕の冒頭、バラの騎士を迎えるゾフィーの邸宅で、格好をつけるために、広間に「本を描いた絵」を急ごしらえで貼り付けるシーンがある。かように、「本」は見栄の道具としても使われる。因みに、この映像のゾフィーは、当時、20代で日本で無名だったバーバラ・ゾフィー。初めて見たその日から、私は「ボニ子ちゃん」と呼んでボニー推しになった。評論家は、例によって聞く耳をもたないから、マルシャリンのキリ・テ・カナワのことしか書かなかった)。それに、専門書籍はばか高い。タイ米……昔、米不足のとき大量に輸入したが人気がいまいちで余った。でも、パエリアにはいい……じゃなくて、大枚叩いて買った本を処分するのは忍びないのである。だが、私んとこはお客さんを招く応接間なんかないし、とにかく、今自分にとって一番必要なのはスペースである。だから、今回思い切った。処分した本はこんな感じの量である。



これをゴミ集積場に持っていくのは至難の業。エレベーターのない4階である。だが、神は、乗り越えられない試練は与えない。3往復で運びきった。これで、相当筋力がついた事だろう(つうか、もともと筋力はある(婚活アピール))。ところが、運び終わった後、集積場で本がくずれて脚を直撃。15センチの裂傷を負った。痛い。だが、これも神が与えたもうた試練である。オイメー。オイメー。ありがたや。ありがたや。

さて、本を処分したので、書棚にかなりスペースが生まれた。



よし、ここをバッハの楽譜で埋めよう。カンタータを歌うたびに、ネットの楽譜をプリントアウトしたものがたまっていた。さらに楽器のパート譜(切り貼りしたり、ミュゼスコアで作ったりしたもの)もかなりの量である。もちろん、受難曲、ミサ、モテットの楽譜もある。これらをバッハ箱に入れておいたのだが、取り出すのが大変だった。BWVごとにクリアファイルに入れて順番に並べて見よう。



ということで、バッハ・コーナーの完成ですっ!悦悦!バッハ・コーナーって言うと、歌いまくる会(毎回バッハのカンタータを一曲決めて3回通す。その合間にソロ・コーナーがあって、各人が好きな曲のソロを演奏する)のバッハを歌う時間帯だと思われたかもしれない。その歌いまくる会の番外編として、ソロ・コーナーの部分だけをやる日を設けました。ご興味がある方は、メッセでご連絡ください!