拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

心の支え

2021-06-23 22:15:01 | 音楽
2か月ぶりぐらいにサ○○○ヤに行った。入るなり、「お酒を注文されますか?」と聴くからはいと言ったら「90分でご退出いただきますが宜しいですか?」だって。なるほどね。人数はお一人様だから問題なし。因みに、国はお酒は4人までという基準を設けたが、東京都は独自に2人に減らした。その減らした張本人のラーメン知事様が過労で入院。ネットには結構お見舞いコメントが溢れていてびっくり。日本人は優しいね。つうか悪口は書きづらいのだろう。罵詈雑言が飛び交う競馬関係の掲示板ですら、落馬した騎手に対してはお見舞いコメントでいっぱいになる。言論の自由があるふりをして実はない国である。私?知事様には、十分養生していただいて、一日も早く元気になっていただきたい。これは人としてのコメントである。大戦(おおいくさ)を前にして大将がいなくてなってしまった都民としてはちょっと異なり、いざという時のために「先生」と呼んでただ酒を飲ませて囲っていた用心棒が、いざ強面のお兄さんが店にやってきて「先生、出番です」と呼びかけたらいなかった、ってときのお店屋さんの気分である。そりゃあ大変だったろう。コロナ禍とオリンピックと重なって。普通の神経なら参ってしまって当然である。でも、知事様には普通じゃない人がなってほしい。メルケルさんとか、EUのフォン・デア・ライエンさんとか。思うに、あの知事様は、人心を読んで人にウケることをやって人気を得てきた人じゃないですか。でも、最近、神通力が失せてきて、得意のカタカナを並べても人がついてこなくなってきた(こないだ言ってたのはなんだっけ。「カエル」がどうのこうのとか)。だから、心が折れちゃったのかね。お気持ちはよーく分かります。私もウケを狙ってブログを書いてるからね(知事様と違って、狙ってるのは一般的なウケではなく、特殊ウケだけれども)。でも、知事様には、ウケなくてもココロが折れないような人がなってほしい。全員を敵に回してもめげずに信念を貫く人が政治のトップになってほしい。その点、亡くなったってニュースが今日一斉に流れた立花隆さんが目の敵にして糾弾した田中角栄さんなんかはどうだったのか。立花さんに金権体質を暴かれて退陣、その後ロッキード事件で地にまみれたけど褒める人はべた褒め。毀誉褒貶の激しい人だった。実は、アメリカに頼らずに資源を確保しようとしてアメリカに嫌われはめられたのがロッキード事件だったって説がある。そうだとすると、立花隆さんは、結果的にアメリカのお先棒を担いだことになるなぁ。急に卑近な話に変わって申し訳ないが、私の話。某会の幹事の役割を担っているが、私にそれをさせる原動力はと言うと、みなさんの喜ぶお顔を見るのがうれしいの♥……なーんてことはないことはないけど、結局は自分が楽しみたいのですよ。人一倍!だからがんばるのです、ワタクシ。

白いおパンツ、髪型規制と制服、師匠はローター・コッホ!?

2021-06-23 07:19:45 | 音楽


まずは昨日の記事の反省会。アップした写真の中に、短パンの中に白いおパンツのヘリがうっすら見えているものがあった。少年のおパンツなので勘弁してくだされ(おじさんのおパンツよりも数倍ましであろう)。その写真やギターを弾いてる写真では、耳がはっきり出ている。中学の音吉校長先生による髪型規制の賜物である。「髪型の自由」だって憲法13条で「幸福追求権」として保障されている。だが、人権保障にも限界がある。合理的な制約は許される。学校が規則で髪型を規制するのは合理的な制約であるとするのが裁判所の考え方である。ましてや、私が中学の頃なんてまだ戦後20年をちょっと経ったぐらい。規制が当たり前みたいな環境で育った人達が校長先生をやっていたのだろう。今ですら、コロナ禍を理由に営業の自由が制約されている。だから、当時の多くの少年たちは、高校に上がった瞬間から髪を伸ばし始めたのである。すなわち、長髪は、小澤征爾の真似ではなく、自由の象徴であった。だが、高校になってもファッションの制約は残った。昨日の写真で見る学生服は、なんだか社会主義国の人民服のようだ(当の社会主義国ですら、今、一部のトップを除いてあまりお見かけしない)。あんなものを着せられたからファッション・センスが磨かれなかったのである(なーんて、私がこれを言うのは完全な言いがかりである。私の辞書に「ファッション」の文字が初めて載ったのは、このときから数十年後に放送された朝ドラ「カーネーション」を見たときである)。さて(反省会は終わったという合図)、ワタクシのオーボエの話である。どうにも音程の悪いキーがある。そりゃあ、独学で始めて半年だから腕が悪いのは明らか。だが、絶対楽器のせいでもある。なにせ、超絶的な安物である。昨日スーパーで買ったニシンのごとしである(たしかに小ぶりではあるが、一尾88円は安い。これが半額になれば超絶的に安い。もちろん、オーボエを44円で買ったわけではない。イメージの話である。実際の価格は決して言えない)。調整に出したい。だが、そんな安物(つうかまがいモノ)を調整してくれるところがあるだろうか。昨日の学生服で指揮している写真の下の方に映っていたクラリネットは一応由緒正しきクランポン製であるが、それですら近年某有名管楽器店に持って行ったら古すぎるという理由で調整を拒否された(その後、クラリネット専門店に行ったら、これはいい楽器だから調整のしがいがあると言ってくれて、ようやく調整してもらったのである)。そうしたトラウマがあった。だが、ネットで探したら、「メーカーは問わない」と謳っている店があった。電話して「すっごく安い楽器なんだけどいいですか?」と聞くと「もちろんです」と(とっても感じがいい)。じゃあ、ここにお願いしよう。予約した時間に行くと、顧客カードを書かせられる。先生の名前を書く欄がある。独学だから先生はいない。でも、「マイスタージンガー」のヴァルターは、マイスターたちから先生は?と聞かれて、大昔の吟遊詩人であるヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの名前を挙げた。その詩を読んで独学で勉強した、という意味である。その論で行けば、私の師匠は、ローター・コッホである。カラヤン時代前期のベルリン・フィルのオーボエのトップであり、私は、オーボエの音はレコードで聴くコッホの演奏で覚えたからである。と言って「ローター・コッホ」って書いたら、もしかしたら真に受けられるかもしれない。それこそ、私が学生服を着ていた頃、コッホは存命中だったから可能性はあったからである(その点、詩の師匠は?と聞かれて山上憶良と答えるのとはワケが違う)。調整は小一時間で終わった。私と入れ替わりに、少女が「予約した者です」と言って入ってくる。この子はきっと先生欄にホントの先生の名前を書けるんだろうな。場所は新宿。高層ビルの中にお寺があった。



アジサイがきれいだった。



因みに、「コッホ」は、もともと「料理人」の意味である(そういう名字のドイツ人にはコックさんのご先祖がいらしたのだろう)。オーボエのコッホ以外でもいろんな有名なコッホさんがいるが、最近よく名前を聞くのは細菌学者のロベルト・コッホ。今、ドイツでコロナの新規感染者数を毎日発表しているのは「ロベルト・コッホ研究所」である。