拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

柏の怪鳥は移動の自由を謳歌

2021-06-04 05:22:45 | 日記
やはりアストラゼネカは余ってるそうだ。だが、政府はそれを台湾にあげるという。余ってるならまず自国民に……などとケチなことは言わない。全世界でパンデミックが収束しなければ元の生活は戻ってこないからである。ここはやせ我慢。日本国内でも、人口の少ない地方では高齢者への2回目のワクチン接種がほぼ終わってるところがあるそうな。だったら、緊急事態宣言が出て悪しき禁酒法がまかり通ってる東京でもっと打ってくれ……などとケチなことは言わない。そうした地方はいざ感染者が出ると病床が足りないからあっという間にパニックになる。それに、2回ワクチンを打ったんなら、もう「東京人はこっちにくるな。しっしっ」などと言わなくなるだろう。ここはやせ我慢。さて。自転車がパンクして修理不能なので認知症になるかもしれない、と書いた(どうしてパンクしたら認知症になるのかについては昨日の記事参照)。心配してくださった皆様に朗報である。え?心配なんかする人はいない、みんなお前が困った話を聞きたいんだって?そういう方には凶報である。なんとパンクが直ってしまった。実は、以前、「パンク修理剤」っていう缶からを買ってあった。ノズルを空気穴に注入すると、空気と修理剤が送り込まれて、瞬時にパンクが直り、空気がまんたんになるというブツである。大昔、まだ私が車を運転してた頃、車のタイヤがパンクしたとき同様のものを使ってケロっと直った経験があったので、自転車用のを買ったのだった。その存在に気がつき(ジークムントがノートゥングの存在に気づいたごとし)、試してみた。Augenblicklich(あっと言う間に)直った。試しに、そこら辺を走ってみたが大丈夫だった。やはり効果は絶大であった。それは昼間の話。夕方になると、ぱんぱんだったタイヤがちょっと柔らかくなっている。もしかすると、今日には再び走行不能になっているかもしれん。凶報である(皆様にとっては朗報である)。走り回れる喜び(=移動の自由)が戻ってきたのは一瞬のことだったかもしれん。かつて、村人は領主様の「所有物」であったから、移動の自由はなかった。だが、移動の自由は人間の根源的な欲求の一つであり、日本国憲法でも保障されている立派な人権である。だから、知事様は簡単に「ステイホーム」と言うけれど、もちろん、パンデミックを終わらせるためにある程度のそれは必要だということは理解できるが、それは重大な人権の制約であることを理解して言ってほしい。営業の自由の制約もしかり。飲酒の自由(はっきり憲法に書いてないけれど、13条の「幸福追求権」に含まれていると解することも可能)もしかりである。母は、柔軟剤を使って洗濯をしてもらって、一面「健康で文化的な生活」を営んでいるが、施設からは一歩も外に出られない。へたをすると、廊下をほっつき歩いてても心配されて部屋に戻される。これは仕方がない。かりに、私が母と同居して監護をしたとしても、厳しく移動の自由を制限するであろう。だが、母の身にたてば気の毒ではある。すべては認知症のせい。げに怖いのは認知症である。移動の自由と言えば鳥。鳥は、「花子とアン」の「想像の翼」ではなく、本物の翼を持ち、自由に移動する。自由にどこから移動してきたのか、今、柏に、南アフリカ原産のミナミジサイチョウが来ているという。別に人に危害を加えるような鳥ではないので、市は、とりあえず捕獲とかはしないでほっとくそうだ。柏のどのへんだろう。是非見に行きたい。たんぼで蛙などを食べ放題だという。50年くらい生きるそうだ。へえー、長寿で、ご馳走食べ放題で……だが、つがいではく一羽だけ。寂しくはないのだろうか。よし、寂しい同士だ、私がパートナーになってあげよう。因みに、この鳥名は、ミナミ・ジ・サイチョウと区切るそうだ。サイのような角がついているから「サイチョウ」。「ミナミ」は南アフリカだからだろう。では「ジ」は?私はギリシャ語の「2」を思い浮かべたが、普段は地面を歩いている地鳥なので「ジ」なのかもしれない。