拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ボーイソプラノとカウンターテナーの邂逅/歌いまくる会の例会(チャレンジャーの度が過ぎる私)

2021-06-13 09:47:12 | 音楽
このご時世にあっても音楽活動は活発に継続している方だと思うが、本番は、麹味噌合唱団(仮名)以来2年振りである。味噌煮込合唱団(仮名)の一員として(私は団員のつもりなのだが、みんなが「来てくれてありがとう」とあんまり言うところをみるとエキストラの扱いなのだろうか。たしかに、団員と言うにはおこがましいくらい練習には出てなかった。出損なって江戸川べりを散策したこともあった。あの日はお天気もよくいい一日だった)、三つの団体の合同コンサートにアルトで出たのだった。曲は「海鳥の詩」。たいそう気持ち良く歌うことができた。古楽から合唱に入った私は日本の曲をからきし知らないが、日本の曲に開眼させていただいた。まっことよい経験であった。20分くらいの舞台であったが、本番ってやつはやはり(充実感を伴う)疲労感がある。しかも、ワタクシときたら、その夜、歌いまくる会で使うヴァイオリンとクラリネットを抱えて白井駅と白井文化会館の間を一往復したから肉体的に(心地よい)疲労感もあった。参加団体は、味噌煮込み(混声)のほか、某ブラボー(男声)と少年少女合唱団。他団体のときは客席で聴いているのだが、少年少女合唱団で、かなり背丈の大きな男の子くんに目がとまった。見事なボーイソプラノである。なんと、そのボーイソプラノくんが、休憩時間に私んとこに来た。横に女子1名がついていた。主宰者から「大人の男性でアルトを歌う人が来るよ」と聞いていて、で、雰囲気的にはその世話焼き女子に引っ張られてやってきた風であった。何を言おう。偉そうなアドバイスなんてできるはずはないし。とりあえず、「素晴らしかったよ。声変わりしても女声は歌えるからね。この後、もっと良くなるからね。続けなね」と言っといた。そうである。この少年少女合唱団の指揮者が、「この子たちは、今年演奏会を開けなかったら来年ってわけにはいかない。卒業があるし、男子は声変わりをする。私がこの子達を振るのは今日が最後だ」と感極まってらっしゃったが、感動的なスピーチだったが、一点異議あり、声変わりをしても、相当年齢がアルト(高い)になってもアルトを歌える。そのことを言ってあげられてよかったと思う。同時に、中学に入りたてくらい(?)の少年と身近に接したとき、たまに施設の母に会うときと同様の心配が顔をのぞかせる。「菌を移す」という心配である。母には、外で拾ってきてないとは言い切れないコロナ菌を移す心配、この純粋な男の子くんには、半世紀に渡って汚れきった世間をくぐり抜けてきて感染した「女好菌」「お金好菌」「にもかかわらずちっともお金がたまらない菌」「馬好菌」を移してはしまわないか、という心配である。さて。終演後、踵を返して東京に向かう。歌いまくる会の例会である。この日のお題はBWV69。第1曲は、もともとはオーボエ3本、トランペット3本の曲で、それをY先生が木管トリオ(この日の編成は、オーボエ1、クラリネット2)用に編曲してくださり、なかなか賑やかな趣きとなった。ソロ・コーナーも一層充実。あちこちでご一緒していてもはや親戚みたいな感じのK美女はこの会は初参加。早速芸達者ぶりを披露して下さった。Mま美女との「猫の二重唱」は、二匹の猫の性格の違いが際立っていて抱腹絶倒。「What's Michael」に、深窓の令猫にマイケルが言い寄るエピソードがある。それを思い出した。私?相変わらずのチャレンジャーぶり。チャレンジしては撃沈の繰り返し。毎回、直後は謹慎しようと思う。だが、遅くても2,3日絶つと病気が再発する。記憶力が欠如しているのだろう。チャレンジャーにつける薬はない。多分、「「本番」はうまくいかなくて当たり前」という宜しくない免疫のせいで重症化しないことも影響していると思う。