麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

伊勢物語六十段をもとにする小小説

2023-10-15 08:44:30 | Weblog
   一

 むかし或る所に一組の十姉妹のつがいがいた。小鳥は互いに愛し合い、むつまじい日を過ごした。彼らの飼い主である夫婦は、アンリとシメジといった。アンリはたくましく優しい男であり、妻のシメジは美しく、また夫の感情の起伏をよく心得ていて、いつも彼を支えた。二人の信頼は何よりも深かった。
 小鳥達は竹かごの中から見える、アンリとシメジの愛し合う姿を美しいと思っていた。そして、自分達が今度生まれ変ったなら、人間の男女になり、アンリとシメジのように愛し合えたならどんなにいいだろう――と思うのだった。
 小鳥達は幸福の中(うち)に、ちょっとした病でともに死に、それから間もなく疫病が流行り、アンリとシメジも死んだ。

   二

 十姉妹のつがいの二つの魂は黄泉国で再び出会った。彼らは、その暗い洞窟の奥に、蝶のように舞う、ほの明るい神に祈った。
 ――私達が今度生まれる時には、どうか、人間として生まれさせて下さい。
 ほの明るい神は二人の愛情の純粋さを腹の中で嘲笑しながら――そんなことはお安いご用だ――と言い、それから彼らに約束をした――お前達は三日後に人間の姿で生まれ変るだろう――
 黄泉国の闇の中の三日は、我々の日常でいう数億年に相当する。三日と数億年――大した差ではない。
 ところで、時間は環である。宇宙は、ほの明るい光の中から、退屈し切った人間の叫び声のように突然に始まり、やがて再びすべての形が消え、ほの明るい光だけが漂うようになる。このプロセスが「歴史」という思い出である。
 二つの魂が降りて行ったのは、日本の、平安時代とよく似た、つまり、数千回目の平安時代であった。
 二つの魂が黄泉国から出ようとした時、女の魂は、なんだか、これから起こることがひどくつまらないことのように思えてきた。
 精神的な、無目的な愛が、女という、本来生産的動物である魂に疑いを起こさせたのである。
 こうして人間となった二人は、けれど一緒にいなかった。女は新しい男とめぐり会うように、都から離れた国で生まれ、男は都で官吏となるよう、その筋の家に生まれた。
 黄泉国から見れば針の目ほどの隔たりであるが、人間の男と女には、とおい、とおい距離だった。
 男は前世のことをパノラマのように思い浮かべては、女が傍にいないのを嘆き――自分の愛情が足らなかったのだ――と自を責め悲しみにくれた。
 女は、黄泉国から降りてくる途中に持った疑念のせいで、全てを忘れていた。美しく育った娘は××国の役人の妻となり、もう前世のような強い愛も知らず、平凡のうちに老いていった。
 二人が四十を越えた頃――この頃ではさすがに、男の前世の記憶もうすれ、ただ小鳥であった頃の女への愛が、溶け切らぬ氷のように胸に残っているだけだった――男はある夜、夢を見た。
 ――夢で、男は黄泉国にいた。
 ほの明るい神は、女の裏切りを心の底で笑いながら、けれど真剣そうな口ぶりで男に告げた。
 ――女は××国の役人の妻になっておる。
 男は狂喜した。会いたい、会いに行きたい、と目覚めてから泣いた。 その朝、彼に、宇佐へ行くように――との命が下った。コースには、女のいる国も含まれている。男は黄泉におわします神の計いに感謝し、旅立った。

   三

 女はいまだ美しかった。男はその顔を見ると、前世と今との間の数億年の時間が、夢の中の秋のように、感覚から、そげ落ちるのを感じた。
 女は初め、気づかなかった。けれど、やはり、なつかしい人だ、と思った。どうしてだろう? 初めて会った男を、なつかしいと感じるなんて・・・・・・
 男が感動のあまり落した涙によって、全ては了解された。女も泣いた。黄泉国から降りてくる途中の自分の裏切りをも思い出した。男は狂おしい程の喜びから、女は、自分の罪を恥じ入る気持から泣いた。
 男は、――きっと迎えに来よう――と言い残し、都へ帰って行った。 
 女は憎んだ。このような悲しい茶番劇を演じさせる全てのものを。どうして私は、私達は、「無いもの」ではなく「在るもの」なのだろう? どうして私達は消え去ることすらできないのだろう? 宇宙中にある物は何故「在ってしまっているもの」なのだろう何故宇宙には「外」がないのだろう? 何故私達の意識は、永遠に死ねないのだろうか?
 女は、男が去った次の日、夫の説得も聞かず、髪を下ろした。そうして、自分の意識が消滅するよう、一心に祈った。けれど彼女の、この悲しい願いも「エネルギー保存の法則」によって、むなしく絶たれた。
                          
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