マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

コロナ禍の車事情 そして 『主はカインにしるしを付けられた。』・・・『どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。』

2021-02-15 10:00:00 | 
2月15日。月曜日。雨のち曇り。

今日は雨の止んだ間に車を始動させました。

 

             自粛生活で外出のなくなった日常。
          公共交通手段に乗ることなく何ヶ月がたつだろう?
             車にも乗ることが殆どなくなった。

          運転をしないでバッテリーが上がってしまっては大変と
          久しぶりにエンジンをかけて、始動、近所を走りました。


             コロナウイルス終息の後には、
    車だけに限らず、”ビフォーアフター”で、生活様式がすっかり変わってしまいそうです。
        あるいは、”喉元過ぎれば熱さを忘れる” となるのだろうか。

      コロナ禍で学び、考えたことを、コロナ後は必ず生かしたいと願っています。
      まるで違った『人生』が始まるだろうかと、期待しています。 感謝!感謝!


そして。

今日は2月15日。年間第六月曜日。 


   今日は、旧約聖書も新約聖書も、『しるし』について述べます。
      聖書においては、
『しるし』は 『超自然的な意味を担うもの』 として使われることが多いのです。
            『聖書思想辞典』より


まずは。

『今日の旧約聖書 創世記』

       『さて、アダムは妻エバを知った。
   彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。
 
        彼女はまたその弟アべルを産んだ。
     アべルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

  時を経て、
     カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。
 
      アべルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。

       主はアべルとその献げ物に目を留められたが、
      カインとその献げ物には目を留められなかった。

        カインは激しく怒って顔を伏せた。

     カインが弟アべルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、
 
           『カインとアベル』       ルーベンス作品

          カインは弟アべルを襲って殺した。

カインは主に言った。
     「わたしの罪は重すぎて負いきれません。

   今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、
わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、
   わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」

主はカインに言われた。
 「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
     主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、
        カインにしるしを付けられた。』

           創世記 4章1-15節


   神は、弟を殺し殺人者、放浪者となったカイン、をなおも保護するために、
         カインに『しるし』をつけました。


旧約の『しるし』から何を学ぶのでしょうか?

   『神のあわれみ』 と 『神の救いの約束』 を学ぶのです。
神は、罪を犯した人をも見捨てることなく、『神のあわれみ』で、かえって人を救うお方なのです。
  不和の関係が、『神の救いの約束』によって、回復される希望が与えられるのです。
       

弟を自分の怒りから殺す兄は、『人間の弱さ』の象徴であり、『人間の姿』、ではないでしょうか。 
     私たちはいつも自分の自尊心が傷つくと怒ります。 恨み妬みを持ちます。
  更には、隣人を赦すことが出来ず、また隣人の喜びを喜ぶことのできない、罪深い者なのです。
        神からの赦しなくては、救われることがない者です。
          そんな私たちでも、神の愛を知れば、
       神と同じように、隣人を愛し、時には敵対する者でさえ愛し、
       隣人の救いのためにとりなす人になることが出来るのです。


  弟・アベルの『理不尽な死』は、『罪なきイエスの死』の『前表』:『しるし』 といわれます。


次に。

『今日の新約聖書 イエスの御言葉』

       『そのとき、  ファリサイ派の人々が来て、
 
          イエスを試そうとして、
        天からのしるしを求め、議論をしかけた。

イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。
     「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。
           はっきり言っておく。
      今の時代の者たちには、決して『しるし』は与えられない。」


  そして、彼らをそのままにして、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。』
          マルコ福音書 8章11-13節


     イエスに接した多くの人々は、
 イエスの行う奇跡に、『神の子』としての『しるし』を読み取りました。
『奇跡』は、特別な現象ではなく、イエスが『救い主』であることを現わす『しるし』であると分かりました。

それゆえ、
 ただ特別な現象を求めるような人たちや、信仰もなく『しるし』だけを求める人には、
    イエスは『しるし』を与えることは拒否されました。
       イエスは、そこを立ち去って、別の所へ行かれました。

   イエスの、『日々の生活』、『神への従順』、『十字架上の死』 こそ、
     イエス様は、 『神の子・救い主』であられる、 真の『しるし』なのです。


私たちも、
日々の生活の中で、
神のなさっている『しるし』
見いだすことができるようになりたいですね。


『今日の祈願』

   『いつくしみ深い父よ、
     救いの計画によって養われるわたしたちが、
       真の信仰に成長することができますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
更なる自粛生活の中でも、心に栄養を与え心の筋肉を劣らせないようにいたしましょう。

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