21日は東京・渋谷へ映画「チェンジリング」を見に行った。クリント・イーストウッド監督、アンジェリナ・ジョリー主演のアカデミー賞主演女優賞候補作で、子供を誘拐されて戻ってきた子供は別人だった実話に基づいた映画ということで、面白そうな感じがしたので、公開初日に行ってみた。事前の宣伝がうまくいってか、300席くらいある劇場はほぼ満員で、期待をもたせた。
「チェンジリング」は1920年代の米ロスアンゼルス郊外のある家庭で、アンジェリナ・ジョリー演じる主婦が目を覚ますところから始まる。ウオルターという名の子供を起こし、仕度して学校に送り届け、電話交換手の管理者として働く平凡な母子家庭の姿が描かれる。明日の休日には遊園地へ連れていく約束をするが、急遽仕事が入り、子供を1人残して働きの出て、夕方家へ帰ってくると、子供がいなくなっている。方々探し回るが、どこへ行ったのか、見当たらない。警察に電話するが、こうした子供の行方不明は24時間経ってからしか受け付けてくれない。翌日になっても帰らず、誘拐事件として捜査に乗り出すが、杳として掴めない。直前にあった昇進話も宙に浮いてしまった。折りから、ロス市警には汚職や不当逮捕などの悪評もあって、市民の警察に対する不満も高まっており、教会の神父も解決に向けての支援を惜しまない。
そして、5カ月経って、ロス市警からウオルターが見つかった、と連絡があり、指定された駅に向かうと、見知らぬ子供が誘拐されたウオルターだ、と名乗る。どうやら、汚名挽回に躍起なロス市警が砂漠のレストランで浮浪者から置き去りにされた孤児を誘拐された子息に仕立てあげて、芝居を打ったものだったが、とりあえず家へ連れて帰ってくるが、身長も7センチ低いし、してなかった割礼をしていたのを発見するに及んで、ウオルターではない、と警察に申し立てるが、警察は医師に見たてさせ、「母親が混乱している」と言いたて、取り上げようとしない。あげくの果てに「邪魔になって、子息でないと言い立てている」とマスコミに発表する始末。
で、遂には警察に申し立てに来た母親を精神病院に送りこんでしまう。その精神病院には警察に盾ついた患者がたくさん収容されており、母親の申し立てを取り上げようとはしない。母親と一緒になって、警察に抗議しようとしていた神父も今度は当の母親が行方不明になり、途方に暮れてしまう。
そんな折り、砂漠の一角でカナダからの不法滞在の少年が見つかり、刑事が引き取りに行き、連れてくるが、取り調べているうちに大変なことが露見する。少年が身を寄せていた叔父の家で誘拐してきた子供を飼い殺しにして、20人近く殺した、と自白したのだ。そのなかに例の誘拐されたウオルターが含まれていた、とも自白した。
ここから場面は急展開し、精神病院から釈放された母親は神父、およびゲイリー・クーパーに似た弁護士の協力を得て、ロス市警がいかにひどいことをしていたかを告発し、まず精神病院に閉じ込められていた女性たちを釈放する。そして、子供たち20人を殺した殺人犯の裁判と同時並行で、ロス市警の本部長と誘拐担当の部長に対する査問委員会が開かれる。
で、ロス市警の本部長と部長は職を解かれ、殺人犯は絞首刑と決まる。殺人犯は絞首刑の前に2年の禁固となって、処刑の前日に「母親に会いたい」と言ってきて、会いに行くが、気が変わってか、何も応えてくれない。母親は何度もウオルターの生死を確かめるが、頑として口を割らず死んでいく。
それから7年後、殺人犯に囚われていて、脱出して生きていた少年が発見されて、実の父母と一緒に警察に行き、ウオルターが脱出の際に助けてくれたことを聞く。ウオルター生存か、と期待をもたせるが、結局、ウオルターは生きて帰ってこなかった、と字幕が出て映画は終わる。
実話に基づく話なので、結論は最初からある程度わかっていたのだろうが、最後までどうなるのだろう、と手に汗握るストーリー展開で、期待通りの面白さだった。主演のアンジェリナ・ジョリーは好演で、23日(日本時間)のアカデミー賞表彰では栄誉を勝ち取ることだろう、と思った。
ただ、日本でこのような事件が起きれば、まず父母とか、兄弟姉妹に相談することだろう。主人公の周りにそうした人が一人もいなかったのだろうか。それとも米国では身内に頼るようなことはないのだろうか、やや気になった。
直接関係ないが、日本のアカデミー賞が20日発表されたが、昨秋モントリオールの国際映画祭で賞を獲った「おくりびと」が優秀作品賞はじめ10冠に輝き、ほとんどの賞を総ナメにした。モントリオールで賞をもらうまではそんなに評価が高くなかったのに、海外で評価されるとガラッと変わってしまう。確か黒澤明の「羅生門」もそうだったし、いまだにそうした傾向がある。日本の映画評論家の馬鹿さ加減にはいい加減うんざりする。
「チェンジリング」は1920年代の米ロスアンゼルス郊外のある家庭で、アンジェリナ・ジョリー演じる主婦が目を覚ますところから始まる。ウオルターという名の子供を起こし、仕度して学校に送り届け、電話交換手の管理者として働く平凡な母子家庭の姿が描かれる。明日の休日には遊園地へ連れていく約束をするが、急遽仕事が入り、子供を1人残して働きの出て、夕方家へ帰ってくると、子供がいなくなっている。方々探し回るが、どこへ行ったのか、見当たらない。警察に電話するが、こうした子供の行方不明は24時間経ってからしか受け付けてくれない。翌日になっても帰らず、誘拐事件として捜査に乗り出すが、杳として掴めない。直前にあった昇進話も宙に浮いてしまった。折りから、ロス市警には汚職や不当逮捕などの悪評もあって、市民の警察に対する不満も高まっており、教会の神父も解決に向けての支援を惜しまない。
そして、5カ月経って、ロス市警からウオルターが見つかった、と連絡があり、指定された駅に向かうと、見知らぬ子供が誘拐されたウオルターだ、と名乗る。どうやら、汚名挽回に躍起なロス市警が砂漠のレストランで浮浪者から置き去りにされた孤児を誘拐された子息に仕立てあげて、芝居を打ったものだったが、とりあえず家へ連れて帰ってくるが、身長も7センチ低いし、してなかった割礼をしていたのを発見するに及んで、ウオルターではない、と警察に申し立てるが、警察は医師に見たてさせ、「母親が混乱している」と言いたて、取り上げようとしない。あげくの果てに「邪魔になって、子息でないと言い立てている」とマスコミに発表する始末。
で、遂には警察に申し立てに来た母親を精神病院に送りこんでしまう。その精神病院には警察に盾ついた患者がたくさん収容されており、母親の申し立てを取り上げようとはしない。母親と一緒になって、警察に抗議しようとしていた神父も今度は当の母親が行方不明になり、途方に暮れてしまう。
そんな折り、砂漠の一角でカナダからの不法滞在の少年が見つかり、刑事が引き取りに行き、連れてくるが、取り調べているうちに大変なことが露見する。少年が身を寄せていた叔父の家で誘拐してきた子供を飼い殺しにして、20人近く殺した、と自白したのだ。そのなかに例の誘拐されたウオルターが含まれていた、とも自白した。
ここから場面は急展開し、精神病院から釈放された母親は神父、およびゲイリー・クーパーに似た弁護士の協力を得て、ロス市警がいかにひどいことをしていたかを告発し、まず精神病院に閉じ込められていた女性たちを釈放する。そして、子供たち20人を殺した殺人犯の裁判と同時並行で、ロス市警の本部長と誘拐担当の部長に対する査問委員会が開かれる。
で、ロス市警の本部長と部長は職を解かれ、殺人犯は絞首刑と決まる。殺人犯は絞首刑の前に2年の禁固となって、処刑の前日に「母親に会いたい」と言ってきて、会いに行くが、気が変わってか、何も応えてくれない。母親は何度もウオルターの生死を確かめるが、頑として口を割らず死んでいく。
それから7年後、殺人犯に囚われていて、脱出して生きていた少年が発見されて、実の父母と一緒に警察に行き、ウオルターが脱出の際に助けてくれたことを聞く。ウオルター生存か、と期待をもたせるが、結局、ウオルターは生きて帰ってこなかった、と字幕が出て映画は終わる。
実話に基づく話なので、結論は最初からある程度わかっていたのだろうが、最後までどうなるのだろう、と手に汗握るストーリー展開で、期待通りの面白さだった。主演のアンジェリナ・ジョリーは好演で、23日(日本時間)のアカデミー賞表彰では栄誉を勝ち取ることだろう、と思った。
ただ、日本でこのような事件が起きれば、まず父母とか、兄弟姉妹に相談することだろう。主人公の周りにそうした人が一人もいなかったのだろうか。それとも米国では身内に頼るようなことはないのだろうか、やや気になった。
直接関係ないが、日本のアカデミー賞が20日発表されたが、昨秋モントリオールの国際映画祭で賞を獲った「おくりびと」が優秀作品賞はじめ10冠に輝き、ほとんどの賞を総ナメにした。モントリオールで賞をもらうまではそんなに評価が高くなかったのに、海外で評価されるとガラッと変わってしまう。確か黒澤明の「羅生門」もそうだったし、いまだにそうした傾向がある。日本の映画評論家の馬鹿さ加減にはいい加減うんざりする。