鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

奇想天外な筋ではあるが面白い「ベンジャミン・バトン」

2009-02-16 | Weblog
 15日は先週見損なった映画「ベンジャミン・バトン」を見に行った。この日は早めに入場券を買い求めたので、東京・渋谷のシネパレス7階の1階席中央の比較的いい場所が確保できた。定員140人と中規模の映画館なので、公開1週間でも満員御礼といった状況だった。生まれた時に80歳くらいだったのが年とともに若返っていく、という奇想天外な筋であるが、ブラッド・ピット主演ということが人気を呼んでいるのか、最後まで面白く見られた。
 「ベンジャミン・バトン」は米国ニューオルリンズのとある病院でケイト・ブランシェット演じる老婆、デイジーが嵐の日に死を迎えようとしており、付き添っている娘にベッドの脇に置いてある箱から日記帳を取り出させ、読んでもらうように頼むところから始まる。その日記帳はデイジーのかつての夫、ベンジャミン・バトンの生い立ちから書き起こしている。1918年にボタン工場を営むバトン家の赤ん坊として生まれるが、まるで老人のような様相に怖じ気づいた父親は街を彷徨し、ある老人ホームのベランダに18ドルを添えて捨ててしまう。
 その老人ホームの世話人、黒人のクイニーは天からの授かりものだ、と思い、妹の子だ、と言って育てることにする。預かっている老人たちと混じっても不思議さを感じないベンジャミンは老人たちと交流を深めていく。そして、ある日、運命の出会いともいえる美少女、デイジーと会い、生涯にわたる交際をしていくことになる。そのうちにクイニーに赤ん坊が生まれ、ベンジャミンは老人ホームを出て、航海士になり、船長らと付き合うようになり、初めて売春宿にも足を踏み入れ、そこで、父親のバトンとも知りあう。
 デイジーはバレーダンサーとして国際的な活躍をするようになり、ベンジャミンは公演にも顔を出すが、世界が違うことを感じさせられ、2人は別れたような状態になる。が、ある日、パリでの公演中にデイジーは交通事故に遭い、2度と舞台に立てなくなる重傷を負う。見舞いに現れたベンジャミンをすげなく追い返したデイジーは後悔してか、ある日、ニューオルリンズのベンジャミンのところへ帰ってきて、2人はよりを戻す。その間にもベンジャミンはすっかり若返って、40代の壮年期となっている。2人は結婚し、生涯で最も幸せな時期を過ごし、娘までもうける。しかし、年とともに若返ることを懸念して、ベンジャミンはある日、バトンの父親から引き継いだ工場、家、別荘などすべて売り払って、家を出ていき、インドなど世界各国を放浪する。
 それでもデイジーのことを思い切れなくて、ニューオルリンズに戻ってきて、バレー教室を開いているデイジーと12年ぶりの再会を果たす。それが最後の花火となって、ベンジャミンは以来、ぷっつりと消息を消す。で、デイジーの再婚の夫が亡くなった後に警察から電話がかかってきて、路地で少年を保護したら、デイジーの名前と電話番号を書いた紙を持っていた、という。急いで、駆けつけると、そこにベンジャミンがいたが、ベンジャミンは記憶喪失にかかったのか、何も憶えていない、といい、ひとりピアノを弾き続けていた。
 何回もベンジャミンの面倒を見に通ううちに段々幼くなっていき、最後には看取られるように赤ちゃんの姿で息を引き取った。デイジーに抱きかかえられた赤ちゃんが大きな目を開けて見つめる姿が印象的だった。
 ベンジャミンのことを語り終えたデイジーの娘が嵐を嫌って、部屋を出たところで、デイジーは息を引き取り、物語は終わる。
 そんな馬鹿な話があるものか、と思いながら、妙に画面に魅きつけられたのはなぜなのか、人間はいくつになっても子供の精神を失わない、ということを言いたかったのだろうか。子供時代のベンジャミンの顔はブラッド・ピットそのものでトリック的に撮影したのだろうが、最後の少年時代はさすがに代役を立てざるを得なかったようだ。監督のデビッド・フィンチャーはじめ主演男優、主演女優賞など多くの部門でアカデミー賞にノミネートされているようで、そのうち半分近くは獲ることだろう。
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