歴史書では老舗の山川出版が売り出した『もういちど読む山川世界史』『もういちど読む山川日本史』がこの手の本としては、異例のヒットになっているらしい。どちらも、2004年まで実際に高校で使用された教科書「日本の歴史」「世界の歴史」をベースに、一般読者向けに再編集したものだそうだ。
高校の歴史教科書なんて、どこの出版社から出ていたかも覚えておらず、どんな内容だったかもまったく記憶がない。それが、今になって脚光を浴びているのは驚きだ。このところの歴史ブームによるものだろうが、1冊で歴史の全体像をつかめることと、本来の意味での教養書として読まれることなどが読者を増やした要因といえるようだ。読者も当初は40代~50代のビジネスマンや主婦など中高年層が中心だったが、その後20代~30代の若い層まで広がっているようだ。
出版社では再編集の過程で配列を考え、新たに注や解説をつけ加えた。教科書はほとんどカラーなのに対し、二冊は巻頭のカラーページを除いてあえてモノクロにしてあり教科書とは少し違う書籍として読み通せる工夫を凝らしている。この出版社の本は解説の質が高く一般の人にも充分読み応えがあるという。そして、教科書にも載っていないこぼれ話も載せてあるのがミソだ。ビジネスマンの中では、外国人とコミュニケーションをとる際、その人の国の歴史や日本の歴史を良く知っていると役に立つということで読んでいる人もいるそうだ。
ついでにちょっと調べたら、「amazon」のベストセラーランキング「歴史・地理」のカテゴリーでは1位に「日本史」が、2位に「世界史」がランクしていた。こんなに売れているとは知らなかった。ちょっと本屋に行って読んでみようと思う。
高校の歴史教科書なんて、どこの出版社から出ていたかも覚えておらず、どんな内容だったかもまったく記憶がない。それが、今になって脚光を浴びているのは驚きだ。このところの歴史ブームによるものだろうが、1冊で歴史の全体像をつかめることと、本来の意味での教養書として読まれることなどが読者を増やした要因といえるようだ。読者も当初は40代~50代のビジネスマンや主婦など中高年層が中心だったが、その後20代~30代の若い層まで広がっているようだ。
出版社では再編集の過程で配列を考え、新たに注や解説をつけ加えた。教科書はほとんどカラーなのに対し、二冊は巻頭のカラーページを除いてあえてモノクロにしてあり教科書とは少し違う書籍として読み通せる工夫を凝らしている。この出版社の本は解説の質が高く一般の人にも充分読み応えがあるという。そして、教科書にも載っていないこぼれ話も載せてあるのがミソだ。ビジネスマンの中では、外国人とコミュニケーションをとる際、その人の国の歴史や日本の歴史を良く知っていると役に立つということで読んでいる人もいるそうだ。
ついでにちょっと調べたら、「amazon」のベストセラーランキング「歴史・地理」のカテゴリーでは1位に「日本史」が、2位に「世界史」がランクしていた。こんなに売れているとは知らなかった。ちょっと本屋に行って読んでみようと思う。
その国の語学を学ぶ外国人は、歴史も学ぶと聞きます。
去年、講演会に行った、『国家の品格』の著者、お茶の水女子大学の藤原正彦先生も言っていましたね~。
外国人から日本史を尋ねられて恥をかいたこと・・・。
だから小学校には、英語の授業は、要らないとまで言って居られました。
家庭・地域・会社・国家、愛や情熱が、時に歴史刻む。大切に記録・記憶することが必要・・・。
ちっと大袈裟~・・・?
外国人と付き合うと、日本のいろんなことを聞かれたりしても、うまく答えられないことがあります。特に日本の近代史なんて聞かれたら恥をかきそうです。多国籍軍の方々と付き合うためには、この本で勉強しておいたほうがいいですね。
地図が読めない女のくせに地図を見るのは好きで 世界地図日本地図どちらもおいてましたが 今は子供達の教科書をおいてるけど この年になると楽しみで地図や教科書を見るって事はなくなりましたね。
「国家の品格」
これ 新田次郎さんと奥様の藤原ていさんのお子様ですよね。
藤原てい 「流れる星は生きている」
乳飲み子と幼児二人 三人の子供を抱えて想像を絶する過酷な状況で女一人 満州から引き上げてくるときの 乳飲み子さんですね。
藤原さんは だんな様の新田さんと よくけんかをしたそうですが 最後のきめ台詞は「私は子供達を一人も死なせずに引き上げてきた」だそうです。
当時捕虜だった新田さんは この言葉には言い返すことが出来なかったんですって。
これくらい 気が強くないととてもあの行軍は乗り切れなかったでしょうね。
藤原ていの「流れる星は生きている」の話は以前にも、見切りさんがコメント寄せてくれましたね。良く覚えています。満州から引き上げてきた経験があるからこそ「国家の品格」という本が書けたのでしょう。
戦後の凄い時代ですよが、逞しい母親だったんですね~。
コメント有難うございました。
>食料の調達をしてくると母親は、叱る事なく誉めたそうですよ・・
そうですか
あの経験をした お母さんなら判る気がします。
次男さんは 当時二歳 小さすぎて引き上げのことはほとんど覚えてないそうですが 川が怖いという正彦さんの言葉に 朝鮮の平野を流れる川を母親に連れられて渡った恐怖が残っているかもしれない と 「流れる星は生きている」の あとがきに書いてありました。
ていさん自身が疲労と飢えのきわみにいて 三人の子供達を一人ひとり三回川を渡らせるには 鬼のように自分も子供も叱咤激励しながらだったそうです。
娘さんは 成長の過程でこのお母さんに反抗することもあったらしいです。
このお母さんだったから 三人の子供達は生きて日本に帰ることが出来たのですね。
凄い人だったなあと 思います。
きっと母親で藤原ていさんだったから あそこまで強くなれたのでしょうね。
でもこうやって横に繋がるのもいいですね。本文から外れても構いませんので、どんどん繋がって下さいね。