とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2016那覇・糸満観光

2016-12-08 00:14:17 | 観光
NAHAマラソンの翌日は、那覇市、糸満市周辺を観光した。午後3時すぎの飛行機で帰るのであまり遠くにはいけずマラソンコース周辺の観光スポットに寄った。

ホテルでの朝食を早々に済ませ、ホテルから一番近い首里城に向かった。首里城は、1429年から1879年まで琉球王国の国王の居城だった場所だ。1879年(明治12)春、首里城から国王が追放され「沖縄県」となった後、首里城は日本軍の駐屯地、各種の学校等に使われたが、1945年にアメリカ軍の攻撃により全焼した。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとして使われたが、大学移転後に復元事業が推進され現在の状態になったそうだ。2000年12月には、首里城跡が世界遺産に登録されている。

円覚寺側から首里城に向かっていくと、巨大な石壁と石造アーチ門が見えてきた。本土で見るようなお城の城壁とは全く違う趣だ。この門は、「久慶門(きゅうけいもん)」といい、首里城外郭の北側に位置する。別名、「喜び誇る」を意味する「ほこり御門」とも言われ、主に女性が利用する通用門の役割を担っていたという。


これは、「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」。沖縄各地にある聖地「御嶽」の一つ。本来、聖地部分はこの石門ではなく門の背後の樹林地だったが、現在では、門自体が拝所となっている。また、この石門単体で世界遺産に指定されているそうだ。




2000円札でお馴染みの「守礼門(しゅれいもん)」。扁額に「守禮之邦(守礼之邦)」と掲げられていることから守礼門と呼ばれるようになったと言われている。まさに、沖縄を象徴する観光施設だ。


首里城の城郭内へ入る第一の正門が、「歓会門(かんかいもん)」だ。首里城へ招き入れる中国皇帝の使者などを歓迎するため、この名が付けられたそうだ。国王や中国皇帝の使者などが使用する男性専用の門。門の左右には、魔除けのシーサー(石獅子)が配置されている。


瑞泉門(ずいせんもん)。首里城内郭にある首里城第二の門。門の両脇には魔除けのシーサー(石獅子)が並んでいる。石の古さからみて、最古のシーサーと言われている。


瑞泉門から中に入ったところから、下の方を眺めてみる。だいぶ高い場所となり、那覇市内が一望できる。また、ここまで来るまでに多くの門があった様子が分かる。


正殿のある御庭(うなー)へ続く最後の門となるのが、「奉神門(ほうしんもん)」だ。「奉神門」は、「神をうやまう門」という意味があり、中央に国王や中国からの使者などの身分の高い人専用の門があり、その右左にもその他の用途で使われた門がある。現在は、中央の門から観光客が出入りしている。


「奉神門」を抜け御庭の先には、3階建ての「正殿(せいでん)」が見えてきた。まさにこれこそ、首里城のシンボルだ。中国の宮殿建築の様式を採用しながらも、日本建築の様式も取り入れた沖縄県内で最大の木造建築である。


正殿の中には、国王が座ったという椅子(レプリカ)が置かれている。


これは、北殿に展示されている祭事の時などの様子を再現した模型だ。正殿の前と御庭に多くの家来達が集まっている。


一通り首里城内を見学し、「弁財天堂/円鑑池(べざいてんどう/えんかんち)」の脇を通って駐車場に戻る。


車に戻り、マラソンコースの中間地点にあった平和祈念公園に向かう。公園内には沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」、戦没者の鎮魂と永遠の平和を祈る「平和祈念像」、摩文仁の丘の上には国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が建立されている。


公園内はかなり広いので、ガイド付きの電気自動車で一通り回る。霊域参道と呼ばれる参道沿いには32府県の慰霊碑があり、それらを見ていく。




こちらは、静岡県の慰霊碑がある場所だ。碑には、富士山の絵柄が入っている。


「平和の火」。この「平和の火」は、沖縄戦最初の米軍の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火したものだ。


「平和の火」の先は、断崖絶壁の美しい景観だ。戦時中は、こんな美しい場所が激戦地だったとはとうてい信じられない。


国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」に向かって黙祷を捧げる修学旅行の生徒たち。


オレンジ色の屋根と白い壁の特徴ある建物は、沖縄県平和祈念資料館だ。戦争の犠牲になった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、全世界の人びとに沖縄のこころを訴え恒久平和の樹立に寄与するため設立された建物。


今年6月23日、ここで、平成28年沖縄全戦没者追悼式が行われ、安倍総理大臣が、献花を行ったそうだ。


その後、平和祈念堂などを見た後、ひめゆりの塔に向かう。ひめゆりの塔は、糸満市にある沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ慰霊碑のことだ。この塔の近くは、NAHAマラソンのコースになっており、実はすぐ近くを走っていたのだが、その時は、こんな近くにあるとは思ってもみなかった。どんな場所であったかというと、沖縄戦で、看護要員として戦場に動員され、亡くなっていった「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔のある場所である。


この塔の手前には、女生徒たちが逃げ込んだ濠があり、この中で多くの死者が出たことを知ると、改めて戦争の悲惨さを思い知らされる。


また、ひめゆり平和祈念資料館には、ひめゆり学徒隊の犠牲者の遺品や、ガス弾によって多くの犠牲者がでた伊原第三外科壕が実物大で再現されており、ひめゆり学徒隊について深く学ぶことができる。前から「ひめゆり学徒隊」の名前だけは知っていたが、詳しいことはここで初めて知ることができた。資料館での多くの文献や亡くなった人たちの顔写真を見ると、目頭が熱くなってきた。多くの修学旅行の高校生たちも見学に来ており、同じ年頃の少女たちの悲惨な運命に心を痛めたに違いない。

観光というよりは、戦争の悲惨さや平和の尊さを学び、慰霊の旅になったのかもしれない。沖縄に来たら、まずこれらの地によることが必要だろう。