prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「とらばいゆ」

2008年01月20日 | 映画

瀬戸朝香と市川日実子の姉妹が頑固でわがままで、見ていて反感を買うぎりぎりのかなり際どい微妙な役どころを、情けない男たちをワキに置いてユーモア混じりにきわどくたどっていくのが面白い。姉妹でプロ棋士、というのはずいぶん珍しい設定だけれど、他の職業でも成り立つ話で、それがいいとも悪いともにわかには決めにくい。
ほとんど男女二人づつの四人だけのじっくり絡む芝居を長まわしで捕らえているけれど、不思議とモタれない。

塚本晋也が気の小さい、それでも爆発する時は爆発する、かといって後を引かないダンナの役にぴったりなのにちょっとびっくり。
瀬戸朝香の後ろ姿を男と間違えた。家ではもっぱらパンツルックで髪を短めにしているせいもあるけれど、ずいぶんガタイがいいな。ずうっと怒っているみたいな役だけれど、陰にこもらないのが個性。
(☆☆☆★)


「ファンタスティック・フォー」

2008年01月19日 | 映画
金のかかった安い映画。地上波テレビでいいかげんに見るには適当なユルさ。
ザ・シングのゴムのようでもあり岩のようでもある体のメイクなど、わかってて安くしている気もする。リアルすぎたら気持ち悪いものね。
美女キャラが透明になるのに服を脱がないといけないという趣向など、小学生男子みたいなセンス。

先行するコミックやアニメ(「宇宙忍者ゴームズ」の“ムッシュムラムラ”だけ、なんとなく知っている)について知っていればもう少し楽しめるのかもしれないけれど、特に知ろうという気も起こさせない。
悪役のやっつけ方があっけなさすぎ。
(☆☆★★★)


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「わらびのこう 蕨野行」

2008年01月18日 | 映画

「おババよい」「ヌイよい」といった原作者の村田喜代子によってかなり「作られた」方言と思しき独特のセリフが全編に使われるのが、晩年の黒澤明作品で有名な上田正治撮影の、すごい丹念なロケによる厚みのある画面とあいまって、リアルであるとともに独特の様式化が入ってきていて、木下恵介版と今村昌平版の「楢山節考」を足して二で割ってプラスアルファしたよう。
「楢山節考」の姥捨てほどあからさまに残酷ではないが、やはり残酷には違いないことを様式を通すことでかえってしっかり見つめることができる。

老人たちは蕨野に移り住んで働けたらその時だけ里に出てくるという、妙に合理的・近代的なシステムなのが、長生きさせるだけさせて働けるだけ働かせる現代のシステムの残酷さを逆に照射しているみたい。
いくら寿命が延びて食べるのにさほど苦労しなくなったといっても、老いて死ぬことに昔も今も変わりないのだから。
違うのは、人の生き方死に方を「国」が規定していないこと。他から決められていないところに尊厳もある。

市原悦子が実力全開。
(☆☆☆★★)


「迷子の警察音楽隊」

2008年01月17日 | 映画
タイトルがいちいちヘブライ文字(初めて見た)とアラビア文字が並んで出てくる。
アルファベットは製作会社の名前など以外には使われていない。イスラエルでは英語も使われているはずだが、内容からしてアラビア文化圏を立てたのだろう。

エジプトの警察音楽隊の話だけれと、扮しているのはエジプト人ではないらしい。だいたい、和平条約は結んだとはいえ、イスラエルと別に仲がいいわけではない。しかし、イスラエルでは従来エジプト映画が人気があるというから、韓国や中国で日本のマンガが人気があるようなものか。

コスプレみたいなバカに明るいブルーの制服を着た警官たちが、妙に可愛く見えてくる。タッチとしてはのどかだけれど、背景になじみのないので本来裏に張り付いている緊張感がわからないので、ちょっと眠い。

ど田舎のがらーんとして人気がないハイウェイでも、街路灯はやたらと背が高くて立派。どんなインフラ整備の仕方をしたのだろう。

外人らしい客がいやに大きな声で笑っていた。日本人の感覚ではあちこちにユーモアは感じても、それほど大笑いする映画とは思えないが。
(☆☆☆)


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「蝋人形の館」(2005)

2008年01月16日 | 映画

生きている人間が蝋に塗りこめられて人形にされる、という趣向は今の特殊メイク技術の発達を生かして面白いけれど、面白くなるまでの展開がもたもたしすぎ。

これまでの「蝋人形の館」は1933年と1953年の製作だが、1962年製作の「何がジェーンに起こったか」が劇中の映画館で上映中。オリジナルが上映されていたらシャレになるけれど、何で「何が…」なのだろう。
「24」の エリシャ・カスバートが映画館の観客に見立てた人形に化けるシーンでは、キョトキョト目を動かしすぎ。あれじゃすぐバレるぞ。
(☆☆★★★)


「アイ・アム・レジェンド」

2008年01月16日 | 映画
冒頭の無人で草ぼうぼうのニューヨークの風景はどうやって作ったのかと思わせてぞくぞくさせられる。スーパーマンとバットマンを組み合わせたようなデザインの看板があったり、地図にロバート・デニーロのプロダクションであるトライベッカの文字が見えたりといったお遊びもちょっと楽しい。

一方であんなに自動車ぶっとばしてガソリンをどう調達したのだろうとも不思議になる。地球上に人間がたった一人しかいないという設定は刺激的なのだけれど、シーンもストーリーがそれをフォローしないのですね、電気・ガス・水道のどれも途切れている様子がないし、さらには他の人間がぞろぞろ出てきてしまうのにがっかり。

世界に他に人間がいない中で人間性というのはどうありえるのか、といった大いに気をそそるテーマもどこかに飛んでしまい、結局今の世界だけが唯一絶対というところに閉じこもってしまって、全然発展性がない。こんな硬直した世界観見せられても仕方がない。

余談ながら、原作者のリチャード・マシスンは訪問した日本人にマジメな顔で「隣に吸血鬼が住んでいる」と悩みを打ち明けたという。なんか、そっちの方が怖い気がする。
(☆☆★★★)


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「殯(もがり)の森」

2008年01月15日 | 映画
うだしげき扮する認知症という設定らしいお爺さんが生きてきた「生」がどんなものなのか、表現されていない。
他のことは忘れても33回忌を迎えた妻のことは忘れていない(らしい)って、それだけの設定で納得しろというのはムリですよ。描いていないことを想像できるように描かれていないのです。
ただの「生き物」に戻ったと解釈するにしては、目が普通の人の目のまま。

森の映像は圧倒的だけれど、逆にこちらを置いてけぼりにして作品自体が爺さんともども森の奥にのめりこんでしまっているみたいで、だんだんこちらとはあまり関係ない世界に思えてくる。ややアタマで作った印象。
(☆☆☆)


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「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」

2008年01月14日 | 映画
同じ下山事件を取り上げて同じ菊島隆三がシナリオを書き同じように新聞記者を主人公にした「黒い潮」では自殺説を採っていたが、こっちでは他殺説に立っている。それでどちらにしてももやもやした陰謀説的なものが残るのまで同じというのは妙な気もするが、いずれにせよ何らかの隠蔽工作が行われたのは確かみたい。
その「隠された」割り切れなさ、気味の悪さが不安をかきたてるという形のサスペンスを持つ。

実際のところ、「真相」を知っている者がいる、あるいはいたのかどうか、知っているつもりでいる者も事件の全体像を把握しているのかどうか、また事件が日本の戦後に与えた影響について完全に計算が立っていたのかどうか、かなり疑問。
そんなに計算通り世の中が動くのだったら、逆に政治家いらないよという気になる。

とはいえ、ものすごい手のかかった戦後風俗の再現(美術・木村威夫)、白黒画面の効果を生かした撮影(中尾駿一郎)の上に、熊井啓演出はリアリズムを通しながらところどころ表現主義的なイメージを打ち出してくる。
そういうイメージはルミノール反応を起こして光る血痕、米軍のヘリから突き落とされた井川比佐志の証人を飲み込む黒い海、など、のちの「ひかりごけ」や「海と毒薬」など他の熊井作品と共通していて、事実というより作者の中から生み出された感が強い。

仲代の部下役で役所広司が出ているみたい(写真右)。あんまり若いのと役が小さいのとで、確信が持てないが。
(☆☆☆★)


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「奇跡」

2008年01月14日 | 映画

キリスト教内部の宗派同士の争いや奇跡の到来など、クリスチャンでない人間には関係なさそうな内容なのに、不思議なくらい引き込まれ感動する。

次男・ヨハネスは自分をキリストだと思っている間は少し首を曲げているのだが、正気に返るとその歪みが直っている。ところで、隣人の仕立て屋のところに集まってくる信者仲間たちをずうっと横移動で押えたショットでは信者たちのポーズがやはり少しづつ歪んでいる。それぞれ別のポーズをとっている信者たちの構図は宗教画ではおなじみだが、明らかにそれを思わせる。

ヨハネスはかなりのシーンで細い枝のような棒を手にしているのだが、日本の能でも物狂いの役が狂い笹という笹の枝を持つ。物狂いは気が狂っているのではなく、大切な人を亡くして激しい悲しみに取り憑かれている、その情念の宿る依り代の代表が笹なのだという。
ドライヤーが能を知っていたとは思えないが、実はカイ・ムンクの原作戯曲ではヨハネスが発狂した原因は恋人が自分の代わりに交通事故で死んだからだったという設定だったと記憶している。それを映画では単なる神学の勉強のしすぎということにしているのが、微妙にずれたシンクロニシティという感じでなんともいえず面白い。
(☆☆☆☆)

「AVP2 エイリアンズ VS. プレデター」

2008年01月13日 | 映画
エイリアンとプレデターに挟まれて、人間はただ殺されるためだけに出てくるみたい。三十郎が出てこない「用心棒」みたいというか。ときどき大勢のエイリアンに囲まれてプレデターがヒーローがかって見えてくると、おっといけないという感じでいきなりプレデターが無意味に人を殺すシーンを持ってくる。
ヒーローはおろか、まともにキャラクターと呼べる人間が一人も出てこない。アメリカ映画は昔はたとえ格好だけにせよ、映画で子供や赤ん坊(胎児含む)を殺すのは避けていたが、もうお構いなし。ひどいもんです。

「24」のミッシェルことレイコ・エイルスワースが出ているから、というわけでもないだろうが、それはやらないだろうという展開でむりやり次につなごうとしている。
あえてネタバレをするが、爆弾を落とせばなんでも一挙に解決みたいなラストは、原爆投下にもつながるアメリカ的傲慢と無神経で、やたらと産軍共同体の陰謀説にもっていくのは、裏を返せば軍事力と権力万能思想だろう。娯楽映画らしい爽快感ゼロ。
ショック・シーンの趣向と演出も、これまでのシリーズの焼き直しばかりで、残酷ショーにすらなっていない。無意味に画面が暗くてよく見えず、カットつなぎもボロボロ。
(☆☆)


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「キリクと魔女2」

2008年01月12日 | 映画

続編というか、四つの短いエピソードを集めた作りだが、魔女の悪だくみに小さなキリクが立ち向かうといったパターンに固まらず、アニメなのにも関わらず展開がそれぞれどこか即興的な自由さがあって飽きさせない。
前作の公開にはスタジオジブリがかんでいたが、悪い魔女をやっつけておしまいではないのは「千と千尋の神隠し」と同様。

魔女が操る“小鬼”が木製のロボット風のデザインなのが面白く、アンリ・ルソー風の背景美術が緻密な描写・色彩感覚ともに素晴らしい。

キリンに乗ってあちこち行くうちにキリマンジャロのふもとに出てしまうシーン、ちゃんとてっぺんに雪が積もっている。いつの時代という設定なのだろう。
(☆☆☆★)

「ヴァンパイア 最期の聖戦」

2008年01月10日 | 映画
土の中からむくむくと群れをなしてヴァンパイアたちがよみがえってくるシーンなどゾンビものみたい、というかジョージ・A・ロメロが吸血鬼の伝染のルールをゾンビに持ち込んだのをまた逆輸入したみたいなもので、銃では滅ぼせずに矢と杭なんて原始的な武器でとどめを刺すところなど細かいところでもアレンジしている。

ボスのヴァンパイアに噛まれた女がテレパシーみたいにボスと感覚がつながってしまい、ジェームズ・ウッズのヴァンパイア・ハンターたちが女(=ボス)が見聞するものを聞き出して追っていく趣向が面白い。
全編追うか追われるか、の直線構造が西部劇調。

同じく噛まれてもウッズの相棒の方はほとんど根性で(!)克服して完全にヴァンパイアにならず、敵味方になりながらとりあえず戦わずに別れるラストは、この先二人は「ワイルド・バンチ」のパイクとソーントンみたいになるのではないかと思わせる。

宗教界が見事なくらいヴァンパイア退治の役に立たない、どころか逆方向に突っ走るのが今風。
(☆☆☆★)


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「俺たちフィギュアスケーター」

2008年01月09日 | 映画
暮れに行ったら混んでいたので出直したけれど、年が明けてもやはり混んでいた。
なんでも劇場公開される予定は当初なくてビデオリリースだけのはずが(経緯はこちら)、評判を呼んで劇場公開、結果初日記録を作る劇場も出たという。そのせいか、プログラムも作られていなかった。
とはいえ慶賀の至り。

オープニング、いきなり「タイム・トゥ・セイ・グッドバイ」が格調高く流れて尼さん混じりのスケート風景から始まるが、本編に入ると一転もうお下品ネタの連発。ただし、生理的不快感を催すぎりぎり、いくら下品でもネタにされるいたぶられるのはもっぱら男のタマで、良く見るとあまり女性をサカナにはしていない。

「プリズン・ブレイク2」のマホーン捜査官ことウィリアム・フィクナーが出てきたのであれと思うと、果たせるかな思い切り冷酷かつ気まぐれな金持ち役。国際大会といいながらアメリカだけで決勝が争われ、金持ちがこの後完全にストーリーから消えてしまうのは、話を広げすぎるとあと収拾がつかなくなるのを避けたのだろう。

男同士のペアのフィギュアスケーター?、なんてふざけているようで、話に乗せるためにさまざまな手を凝らしている。
資格停止になるのはシングルだけで、ペアはその限りではない、なんてルールの間隙を縫う(しかしホントにそんなことできるのか)ところに目をつけたところ、そんな細かいところに気がまわる奴にストーカーを設定したこと(弁護士だって気がつかない、というのがまたアメリカの弁護士事情を考えると可笑しい)、というのはなんでもないようで相当に知恵を絞っただろう。

スケート・シーンも、どの程度特訓したのか、どの程度吹き替えやCG合成したのか、画面見ていても全然わからず、終始本当にやっているとしか見えない。見えないところで手がかかっているのだろう。

スポーツマンあるいはスポーツ界の欺瞞的な体質を徹底的におちょくっているのが痛快。自分の両親の事故死を妹のせいにしてこき使う双子ペアなんて、考えてみるとずいぶんえげつないが、それぐらいエゴイスティックな奴いるのではないか。
(☆☆☆★★)