prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ダウントン·アビー 新たなる時代へ」

2022年10月23日 | 映画
シリーズの要であり続けたマギー・スミスのヴァイオレットお婆さまの恋多き女だった若い時の姿を暗示するフランスの貴族の別荘の遺贈劇と、世代交代の継承劇とを重ねた、ひとつの区切りになるような劇場版第二作。

ただ、若い世代の方もけっこう年食ってきていて、もっと若い十代二十代の世代の描写が欠けているのはシリーズ自体が長く続いたから仕方ないのだが、見た目の上ではちょっと、特に大スクリーンではふだん日本の若い出演者のゆで卵に目鼻みたいなつるんつるんの肌を見慣れているとキツイ所もある。

「スペンサー ダイアナの決断」と続けて見ると、同じイギリスの上流階級を扱っても貴族はまだ王室よりは気楽だし、カジュアル。裏に回るとオンボロなところもさらけ出されている。けっこう下世話なのです、このシリーズ。

ずいぶん大勢のキャラクターを編むように話を進めていくのに、回想を使って説明したりしないでセリフに落としこんでわからせていく腕は相変わらず冴えてます。

ダウントンを映画の撮影用に貸してほしいという申し込みがあって、屋敷の維持費に頭を痛めている長女メアリー(完全に伯爵に代わってダウントンを仕切っている)が承諾する。
前の年にアベル・ガンス監督の「ナポレオン」が作られた、という設定なので、1928年の話、まだ映画がサイレントの時代。
ということは、この翌年の1929年にはウォール街の大暴落に始まる世界恐慌が待っていることになる。さらに続きが作られるとなるとかなり波乱含みにならざるを得ない。
ダウントンの近くの街で上映されているThe Terrorという映画は1920年の製作なのでずいぶん前の映画を上映していることになる。テレビなどない時代でもあるが、田舎ということなのでしょうね。

このシリーズで人気を博して観光客がダウントンのロケ地ハイクレア城におしかけるようになった収益で維持している面があるわけで、一種の楽屋落ち的な趣向でもある。
前年の1927年にトーキー第一作の「ジャズ・シンガー」が作られて大ヒットしたもので、撮影中の映画も途中からトーキーにしてしまえという相当に乱暴な軌道修正が図られる。
出演者もサイレントなものだから訛りや声の良しあしなど関係なしにやってきたのがいきなり対応しなくてはならなくなるという、「雨に唄えば」式の展開になる。

うるさいことを言うと、当時のフィルムではロケ先でも撮れるほどの感度はなかっただろうし、高熱を出すライトを国宝級の屋敷で使うわけにはいかないし、持ち運びできるような録音設備もなかっただろうが、その辺りは映画のウソということで大目に見られる範囲。

階級社会であるイギリスで、上と下の階級とを平行して描きながら時に交錯する展開を入れてきていて、ここでも映画のウソを利用した逆転した画を作って見せるのがニクい。






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