prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

アンジェイ・ワイダの舞台

2016年10月11日 | Weblog
アンジェイ・ワイダの訃報が入った。
『灰とダイヤモンド』『鉄の男』などの ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ 死去 90歳。 親日家で東日本大震災の時もメッセージを寄せる

ワイダというともちろん映画監督としての名声が圧倒的なわけだが、舞台演出家でもありその二つの舞台を見た者として、ドストエフスキーの「白痴」を元にした「ナスターシャ」を主として少し記録として記述しておこうと思う。映画と違って舞台は残っていないので。
あと、テレビ東京によるメイキング番組と、機会があってポーランド文学者の故工藤幸雄氏に話をうかがう機会があったので、そこからの情報も入れている。

あんなに長い原作をどうやって2時間の舞台にするのだろうと思っていたが、原作のクライマックス、ロゴージンがナスターシャ・フィリポヴナを殺してしまい、ムイシュキンを招いて一緒に通夜を過ごす場面を抜き出し、そこにそこに至るまでの経緯の抜粋がぱっ、ぱっと映画のフラッシュバックの感覚で入ってくるという、あっというような脚色(ワイダ自身による)。

今はなきベニサンピットでの小さな空間は特に舞台面を設定せず、リアルに再現されたロシアの屋敷の客間をこれまた客間にありそうな木製の椅子がたくさんぐるりと囲むようになっていた。
登場する俳優は二人だけ、板東玉三郎がムイシュキンとナスターシャの二役、辻萬長がロゴージン。

薄明りの中にランプが映えると、完全にドラマの世界に入り込んでいるように思えた。
また、蠅の羽音がすこぶるリアルで、まるで瘴気が漂っているように感じさせた。このあたりの日本のスタッフの技量にワイダは大いに満足し、出来るかどうかわからなかった表現を実現できたという。

玉三郎は初めムイシュキン役として白ずくめの衣装(一方、辻萬長は黒ずくめ)で登場するのだが、イヤリングをつけ毛糸の肩掛けを羽織って声の調子を変えると、一瞬にしてナスターシャに変身するのに驚嘆した。魔法を見るようだった。
ワイダはポーランドですでに「白痴」を舞台化していたのだが、それにはナスターシャが登場しない、もともとナスターシャは観念的なキャラクターなので俳優を使って肉体化するのは難しいのだが、玉三郎の存在があって初めて登場させることができたと語っている。

また、毛糸の肩掛けを羽織るというのは、歌舞伎でも衣装をつけない立ち稽古で女役の気分を出すのにやっていることだとメイキングでワイダに説明し、ワイダがうなずいてOKを出していた。
また、ナスターシャがロゴージンにもらったイヤリングを突っ返すのに、絨毯が敷いていない床板が露出しているところにぶつけると、ぱちーんと高い音がしていかにも突っ返す感じが出る、といったアイデアも玉三郎が積極的に出して、玉三郎自身演出家でもあるわけだが、ずいぶん俳優の工夫を柔軟に取り入れていたのだなと思わせる。

もう一つは、東京グローブ座でみた「ハムレット」。
名前を失念してしまったのだが、女優がハムレット役を演じていて、それ自体は実は珍しくない。宝塚で上演することもあるし、元男役の麻実れい主演版というのもあるし、古く(ベル・エポック)のサラ・ベルナール主演というのもある。
しかしそれらはだいたい男装の麗人として凛々しさを主に演じることが多いと思うが、このハムレットはまあ泣くわ喚くは、ずいぶんと情緒不安定なハムレットだった。
そして、ハムレットが死んで終わるのではなく、冒頭の場面に戻るというエンドレスの構成になっている。

通常の舞台に客席をしつらえて、通常の客席に俳優たちが登場するという、転倒した舞台面になっていた。
巨大な十字架が現れるのは、当然「灰とダイヤモンド」を連想させる。



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