prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「今日子と修一の場合」

2013年10月14日 | 映画
英語タイトルがThe case of Kyoko,the case of Syuichi「今日子の場合」「修一の場合」と二つに分かれているように、若い男女が出会うまでを別々に綴っている場面が大半を占めて、交錯してドラマが本格的に始動するまでにいささかだれてしまう。クロード・ルルーシュの「マイ・ラブ」みたいに20世紀全体をかけ「運命の恋」に二人が至るまでを描くような大仰なロマンティズムがあるならともかく、内容が暗い分、最後に明るい方向が見えるかもしれないと思いながら我慢し続けるとへたばってしまう。

二人が別々に描かれていくのに加えて、彼らの人となりが過去のいきさつを回想を挿入して描かれるというのも、キャラクターを描くのに履歴書読ませるみたいでとったつけたような印象を強める。
またその内容もリストラ・いじめ・売春など素材としてはかなりありふれたもの。
二人だけでなく、脇の人物の回想まで入ってくるから、なおのこと。

良心的な製作態度であることは確かだろうから悪口言いにくいのだが、東日本大震災をモチーフにしたフィクション映画というのはいくつか出ているけれど、第二の敗戦とか価値観の転換点と騒いでいるわりに練れていない感じが強い。
(☆☆★★★)

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