prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「閉ざされた森」

2003年09月24日 | 映画
作り手を含めて「羅生門」と比較している言説が多いが、両者には大きな違いがある。「羅生門」は複数の内容の異なる証言が並べられて、結局どれが真相なのかはわからないで終わる。しかしこれは、最後に真相がわかるのだ。とすると、その真相と明らかに食い違う証言を前の画面で見せているのは、作者がズルをしていたことになる。

しかもそれぞれの場面の内容のどこがどう違うのか、というのはやたら振り回されるカメラワークや暗い照明やめぐるましい編集やあまりなじみのないキャスティングと相まって、具体的によくわからない。いろいろな感想を見てみたが、一回でわかった人はまずいなかった。アクション映画調にとにかく迫力で押し切ってしまおう、という方法論で扱うのはムリなのだ。

てっきり原作のまとめ方に失敗したのだろうと思っていたら、オリジナルシナリオらしい。古めかしいことを言うが、言葉を映像に移した時のルールについて作り手も受け手も少し無頓着すぎないか。

同じ誤りを犯していた「戦火の勇気」をやはり「羅生門」と並べていた言説もあったが、「羅生門」の方法はただ回想シーンがたくさんある程度のものではない。正確に言うと内容が異なる証言を並べる方法そのものは芥川竜之介原作のものだが、映像に移した場合、画面になったものは現実に見えるという映像の性格を利用していて、本当のことがいくつもある、という図にしたという点で映画にした意義が大きい。

本当のことを言うと、元祖「羅生門」でも橋本忍の元シナリオに黒澤が追加したという4番目の回想シーンは治まりが悪い。それまでまるで回想シーンに立ち会っていなかった人物の唐突な証言という点でも、一番セコい人物動機で強引に他の三つを否定しようとしている位置づけでも。
きちんと日本語に内容を移した邦題は良心的。「羅生門」をヒントにしたかな? basicでは昔のコンピューター言語だ。
(☆☆★★★)


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