prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「かくしごと」

2024年06月15日 | 映画
杏と佐津川愛美の昔なじみ同士が久しぶりに居酒屋で飲み、佐津川がビール2杯くらいどうってことないと自動車を運転した帰りに子供をはねてしまう。車で来ているのに飲むというのも、それを止めないというのもまずいのだが、佐津川が必死で頭を下げて頼むもので、杏もまずいとわかっていても強く言えない。

それではねたどこから来たのかわからない子供を杏が認知症の奥田瑛二と同居している田舎の一軒家に連れ帰るもので、警察に知らせないのかよと思う。酒気帯び運転してたのを隠すわけで、ここで警察に通報するという選択肢を封じることになるが、かくして納得できないのと無理もないと思う間で揺れることになる。

アウトドアで遊んでいて行方不明になった子供らしいというのがテレビニュースでわかり、その子の身体を見ると虐待の跡があるのと、親があろうことか捜索の途中で帰ってしまったというのに反発した杏がその親のアパートを身分を偽って(!)訪れたら果たせるかな父親の安藤政信が昼間から酒をかっくらっている。ここで相当ムリがあるのを強引に突破する展開という点である意味納得する。

タテマエとしてはそれやっちゃダメなのをそれもムリもないとそれ自体は論理的に積み重ねていく展開で、杏の方の事情がそれから描き込まれていくわけだが、杏とはねられた子供と同年輩の男の子と一緒に撮られた写真を見せる一瞬でほぼ事情は呑み込める。事故がどうこうという佐津川のセリフと、写真の子供は登場しないのを併せれば説明しなくてもわかる。

子供のケガを医者に見せるのに保険証を提示しないで全額負担する代わりに親子ではないのをバレないようにするあたり、受付の見た目でいかにも親子に見えるカットを挟むなど、芸が細かい。

ちょっとづつ納得できないところを踏み越えていくのを積み重ねているうちに、杏がはねられた子供を自分の子供とだぶらせて名前も自分の子供の名前を名乗らせるに至って、なんだか踏み越えちゃったなあと思う。

前述の通り、父親は認知症で子供は記憶喪失と、認知機能に問題が生じているもので、ヒロインが引きずられたと解釈してもよさそうな気はする。
ただ納得しきれない澱は残りますね。