prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「仁義の墓場」

2019年05月02日 | 映画
1975年製作。ちょうど敗戦30年目ということになる。世という字は三十に分解できるなんて言い方があるが、一時代が変わる期間ではあるだろう。

今の目で見ると、単純にカネかかっているので驚いた。
何十人もの男たちがみんなバラバラに、しかし全力で走り喚き乱闘するという画の迫力は傾きかけていたとはいえ撮影所が機能して大勢が集まっていたからか。

渡哲也と梅宮辰夫が騒々しく半裸で踊る女たちの輪の中で大声で密談する場面など、女たちは顔も写っていない、しかし動いている人間が写っていると画面に圧が出てくるし、あれだけうるさい中でセリフがちゃんと聞き取れるのは役者も録音も整音もきちんとした仕事をしているということ。当たり前のようだが、今はかなりセリフが聞き取りにくなっている。

それにしても三国人を追い出すのに警察が裏でヤクザに手を貸すわ、テキ屋の親分が国会議員に立候補するわ、その親分の入れ知恵でヤクザ同士の一触即発のにらみ合いに米軍を介入させて収めるわで、なんだ今と基本的には変わっていないではないかと思わせる。

赤い風船が糸が切れると飛んでいって戻ってこない主人公・石川力夫のひとつの象徴としてつかっているのだが、焚火や炭火式のアイロンなどに水をかけてくすぶっている画が何度か出てくるのも石川の心象風景だろうか。

主人公の石川力夫のキレっぷりはヤクザとしても度が過ぎていて、親分だろうが兄弟分だろうが切りかかるし、後半はペー中(ヘロイン中毒)になるしで、今だったらサイコキラー扱いされるのではないか。それが一応同じ地平に生きている人間として描かれているのは、それだけ製作当時ははみ出し者が映画の中では生きられたからか。

しかしここまでアナーキーな映画を「国立」映画アーカイブで、しかも偶然とはいえ改元の時期に上映するというのもすごい話。さすがに状態のいいプリント。

「仁義の墓場」 - 映画.com

5月1日(水)のつぶやき

2019年05月02日 | Weblog