prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
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2011年06月20日 | 映画
原作は十年以上前に読んだ。大きく映画と違うのは一人称で描かれているため接触する自称活動家がただの口先男なのか、それとも本物の活動家なのかなかなか判断できず、そのため物的証拠を要求して、血のついた腕章を預かったことがあとで結果として警察によって証拠隠滅と見做されてしまうのだが、映画ではかなりいいかげんな感じがしながらも活動家であることがはっきり画面で明かされているので、証拠を預かるのがいかにも不用意に見えてしまう。
ニュースソースの秘匿という原則論一点張りで警察の追及をしのごうとするのも、特に今の感覚でいうと甘く見える。

松山ケンイチが最初の方の集会でちょっと追い込まれると、この会は俺が作ったのだとかおよそ幼児的なことを言い出す。どうもこの男自身、自分が何者であるかあまりわかっていないらしい。その空白感にエアポケットみたいに妻夫木聡がすぽっと嵌ったのかと想像する。
この当時すでに左翼運動は退潮期にあったわけで、今と対照的な「熱い時代」というわけではなかったと思うし、キャラクターはむしろ今風の甘えが目立つ。
圧倒的に「強いアメリカ」がほころびてきたところにあってニューシネマの男たちが泣いたのと、もともと男の強さが建前だけみたいな日本とでは一緒になるのかどうか。

新聞社内部で週刊誌より新聞の方がエラく、政治部の方が文化部よりエラいとでもいったヒラエルキーがあるのが今更ながらわかる。
三浦友和がいかにも朝日新聞的(映画では会社名を変えているが)に傲慢な人物をやっていて、「沈まぬ太陽」に続いて大企業の中で腐敗している役が続く。年の割りに重みがつかないのが昔の日本映画で新劇俳優がやったような企業内悪役と違うところ。

「真夜中のカーボーイ」や「ファイブ・イージー・ピーセス」は一種の小道具として使われているけれど、「十九歳の地図」はなぜこれが出てきたのか、よくわからず。
(☆☆☆★)
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