『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

倒壊

2018-04-20 04:18:00 | 風景

やっと、
四日間の東京出張も
今日の仕事で最後である。

それでも、
夕方の6時までみっちりあるので、
家に着くのは9時を過ぎるだろう。

疲れて寝落ちして、
仙台まで乗り越さないようにしないと。


でも、
ハードな四日間だったが、
みっちり勉強したし、
専門家どうしで
たくさんディスカッションして
久しぶりにアカデミックな
高揚感があった。

自分の勉強してきたことが
間違っていなかったことや
30年の心理臨床体験が
確実にサイコ・セラピストとしての
力になっていることに自信が持てた。

東京には大先生もいるので、
新しい知見も学べて
田舎心理屋にとっては
大いに得る処もあった。

3.11関連のエピソードも
関東の同業者に
真摯に聞いてもらえて
有難かった。

あ~。
やっと、うちに帰れて、
自分の寝床で寝れるのが、
いちばんの楽しみかも(笑)。




************



↓ こっからは、フグスマで書いて゛きたんだナイ。



びっき沼の手前にある
ビオパークで
白鷺? が遠くの樹状に
羽を休めているのを見つけ
最大ズームで撮ってみた。



ジッと身じろぎもせず
遠くを見つめて続けている
孤高の禽獣に
なんだか感じ入るものがあった。

その存在自体は
形而下的なものだが、
その存在意義は
形而上的なものである。

「なんで、あんたぁ、
 そこで、トリしてはんの?!」
と問いかける
フィロソフィスト人格がいる。

と同時に、
「なんで、オレ、
 今ここで、オレしてんねやろ?!」
と、この哲学爺様は
関西弁で自問しよる。

はたまた、次の瞬間、
「こらーっ!!
サギぃー!!
さぎに行かず、あとから来いッ!!」
という、
落語の八っつぁん人格も
突っ込みを入れよる。

先代三遊亭円遊の
『野ざらし』にある
大好きなフレーズである。

「サギよ。
 おまえも孤独か。
 生きとし生けるもの
 みな独りで生まれて
 独りで死んでいくものよ。
 そして、この銀河鉄道に乗って・・・」
と、
なんだか宮沢の賢ちゃんみたいな
気持ちも湧いてくる。

そういや、
『銀河鉄道の夜』にも
鷺採り男が同乗してくる。

我われはみな、
永劫生き通しの魂という
銀河鉄道に乗って
さまざまな人生を
無限に経験している「存在」なんだ、
と近頃そう思えてならない。

向こうに在るサギは
未来か過去の自分の魂が
命として具現化し、
生命体と実体化して、
たまたま量子力学的な
素粒子の振る舞いのように
時空を超越して同時に
存在しているのでは
と想像してみた。

究極の処、
世界は「ウノ・ムンドス」、
つまり「ザ・ワンネス」で
「一にして全、全にして一」
なのではなかろうか。

素量子よりも極小の物から
ビッグバンに拠って
複雑多彩な宇宙構成物が生じたように、
単細胞の受精卵から分化して
複雑多彩な組織化したヒトが生じた。

種のレベルでは、
単細胞生物のアメーバから
わずか数十億年で
数十兆もの多細胞生物のヒトが生じた。

すべては「一」から
生じたのである。

自分の意識も
他者の意識も
元をただせば
「同一」のものだった。

落語にも出てくるが、
一つの饅頭を百等分しても
味が変わろうはずはない。

意識というのは
魂の属性で、
それは「唯一無二」のもので
「自他不二」のものではないか・・・。

国道の方で、
救急車のサイレンが聴こえた。

それはドップラー効果で
音源の波長を縮めながら
次第に甲高く
我が耳に響いてきた。

うん?!

狂人病院が
オレを捕まえに来た?!

なんだか、
『ドグラマグラ』の
主人公になったような気分がした。



 









びっき沼の
倒木は
おととしの
大雪の重みに拠るものである。

あれから、
「誰」も手を入れるでもなく
「まんま」である。

ダレノガレ・・・何某(なにがし)
そのまんま東・・・
という名前が浮かんだ。

ヒトの脳内では、
ストレージ(蓄積)してある
語彙のメモリーバンクから
勝手にリトリーヴァル(想起)して
ランダムに言語野に送ってくる。

この倒木姿は
自然界の営み、
厳しさなぞを
感じさせる。




自然に恵まれた
小倉寺観音の敷地内に
除染した放射性廃棄物が
仮置きされている。

フクシマならば
何処でも見る光景である。

我が家の庭にも
これが埋没されている。

ガイガーカウンターを
近づけてみれば、
おそらく針が触れるだろう。

この醜い
人為的汚物とは、
周囲の竹林、椿の花、
カタクリの群生、
満開のサクラとが
どうあっても
吊り合うものではない。

よって、
脳内では
これは「無いモノ」として
認知処理しないと
ロマンティシズムな情的には
耐え難いものである。

自然界の倒木姿は
ひとつも醜くないのに、
この放射能廃棄物の醜さは
どうだろう。

「人の為」と書いて
「人為」または
「偽(にせ/いつわり)」となる。

ヒトが人間として
精神的に志向する
「真善美聖」という価値感の
対局にある
「偽悪醜邪」の具現した形が
ここにも、そこにも、あそこにも、
フクシマ各地に存在する。

まさしく、
その愚かしさは
おぞましくもある。

これは、邪悪な巨神兵が
かりそめの眠りについている
棺のようにも見える。

『ナウシカ』じゃないが、
それが目覚めて
いつ牙を剥いて
人類を倒しに
襲ってくるやもしれぬ。

その時には、
モリ・カケ・スパ問題やら
日報隠しで揺れてる
政府や役所や自衛隊に
自国民を護れようはずもなかろう。







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小人閑居して

2018-04-19 05:27:00 | 風景

オリジナルのブログ
『人生を遊ぶ』から
フェイスブックに右クリックの
コピペが出来なくて、
どーなってるのか・・・
困っちゃってるんだよね。(東京弁?)

腹風邪の調子は
やっとよくなってきたけど、
疲労で頭やら全身が痛くって
毎日、鎮痛剤と筋弛緩作用のある
トランキライザーも呑んでいる。

それでも、
春休み中に日課としていた
散歩は続けている。

見知らぬ土地は
犬みたいな探索行動で
好奇心であちこちの方角を
出鱈目に歩けるので面白い。

************

家ではBGMには
ステレオで聴いているが、
ユーチューブで
クラシックも聞き放題なので
旅先ではありがたいねぇ。

ホテルのベッドにも
ちったぁ慣れてきたが、
やっぱ我が家の寝床のように
「しまむら」の抱き枕がないと
いまひとつの寝心地であるなぁ。

でも、7階でも、
何の違和感もないのは、
長らく京都のマンションで
5階に住んでいたからかもしれない。

でも、7階で地震がきたら
ちょっと怖いかも。

福島では
今でも一週間に一回は
3.11の余震があるが、
もう慣れっこになって
屁でもないが、さすがに、
東京の高層ホテルでは
いやだなぁ・・・。

****

毎日、同職のプロ心理屋たちと
同じレベルで
専門的ディスカッションできるのが
久しぶりなので楽しくもある。

学校では、
先生方相手には専門用語を
いちいち一般語に
翻訳しなくてはならないが、
仲間内だとまんまで話せるので
楽である。

「このケースはさぁ、
ディスクレシアあるけど、
ディスクレパンシーはどうなんだろう?
・・・
マルファンクション・ファミリーで
デプってて、アノレキ出てるからさぁ、
ドクターにリファーして
SSRI必要だよね」
という具合に
東京弁で(笑)、
やり合っている。



************************************
こっからは、福島で書いできたんだナイ。
************************************


 小人閑居して
  不善を為す

という古事が
わりあい好きである。

にんげん、閑だと、
ろくなことしない、
というのである。

自分も
インプット(吸収)と
アウトプット(創出)ともに、
ろくでもないことを
していることが多い。

そのうちの一つが
フォント遊びである。

フリーのサイトで
無限といっていいほどに
フォントが作れるのだが、
出来上がったものを見ては
ひとりツッコミを
入れている。



ローマ字名でも
いろいろと個性が出るものと
いちめん感心もしているが・・・。

ま、たいした暇潰しではないなぁ。





街中で撮った素材を生かし、
アブストラクト(抽象画)も
暇潰しのひとつだが、
これとて
自己満足以外の
なにものでもない。

ただ、
老化防止の脳活には
すこしは役立ってるかもしれぬ。

創って
題名を考えるというのが、
なかなか悩む処である。

これなんかも、
寄木細工の画像を
切り取ったものだが、
何を現したいのかも分からず、
題名なんか付けようもない。

もっとも、
正解なぞない
イメージングの世界なので、
インクのシミを見せて応えさせる
ロールシャッハ・テストと同じく、
その時の何らかの
心象風景が投影されているのだろう。

この絵なぞも、
木目の集合体が
段々と多くの鏡に映ったものに
見えてくる。

はたまた、
ムンクの『叫び』の背景のような
線のうねりである。









去年、校長を退職して
今は公民館の館長さんになった
ギター部仲間のN君が撮ってくれた、
大学4年の時の
リサイタルの写真を
いまだに大切に
寝室に飾ってある。

もう、
40年近く前のもので、
三男のナツが大4で
今この年齢だが、
なんだか自分の方が
幼く見える。






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桃の花咲くころ

2018-04-18 04:43:00 | ガーデニング
東京のホテル暮らし
二日目の朝。

カラダが重だるい。

背中がパンパンで
鉄板状態なので、
今日は夕方から
マッサージに行こうかと
思っちゃってさあ。

↑ ナンチャッテ東京弁(笑)

すぐ脳内言語が感化されるなぁ。

あと、三日も
東京人たちと付き合うので
この機会にバンバン
似非東京弁つかって
遊ぼうかと思ってさあ(笑)。

長いこと東京で働いてる
フミなんかも
妙にキーが高く、
イントネーションが東京っぽい。

ネイティヴ福島人だったら、
「なんだオメ。カスかだって」
と揶揄されそうだ(笑)。

でさぁ、
今日もハードな一日でさぁ、
ボクも疲れそうなんだ…(笑)。

↑ カスかだんなッ!!





**************


↓ こっからは、フグスマで、予約投稿で書いだのナイ。



先日、
保原まで足を伸ばしたら、

早くも、斜面に、
桃の花が咲き出していた。



「桃の節句」は
疾うに終わったが、
そのピンク色は
なんとも艶めいて
いい感じである。

これからは、
フルーツラインのあちこちに
梨の白い花と共に
百花繚乱の様を
見せてくれるだろう。

桃の花が咲き出すと
「桃源郷」という言葉と、
「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す」
という古事が思い浮かぶ。

ついでに、
むかしの福大前にあった
成蹊女子高と
アッちゃんという
可愛い女の子を思い出す。

ヾ(♡θ♡)ノ~~☆  




自宅カウンセリング室の
玄関前には
信楽狸の親子が
藪ん中に潜んでいるが、
来室される方は関心がないのか、
誰一人、今まで、
「狸いましたねぇ・・・」
とは気づいて下さらぬ。

どちらも、
亡き親父がこの家を
新築したときに据えた点景で、
裕に50年近く経つはずである。

3.11の大震災でも
壊れず、今だに
親子そろって健在である。

京都嵯峨野の嵐山には
信楽焼の工房と店があって、
巨大狸が山ほどあった。

よく、訪ねては、
いろいろと
食器を揃えたものである。






庭の一角のハーブ園に
珍しい「オレンジタイム」を
植えた。

タイムの香りは好きで、
よく料理にも使っている。

庭に何種類もの
ハーブが繁茂しているだけで、
なんだか心豊かな気分になれる。

毎年、
生命力の強い
ローズマリーとフェンネルを
束にしては、寝室クローゼットの
虫除けハーブにしている。

フレッシュな芳香が
漏れでて、それは、
安眠効果も誘ってくれる。


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リュート型ウクレレ

2018-04-17 04:21:00 | 楽器製作
東京での
一日目が終わった。

あー。
つかれたぁー。

でも、
一日居たら、
なんだかもう
住み慣れたような
気分になったから
不思議でもある。

出発前に
予期不安を抱いていたのが
馬鹿みたい。

総菜屋のオネーチャンとも
お馴染みさんのように
冗談で笑かしたり、
仕事で東京人相手にさあ、
けっこう似非東京弁をさあ、
喋っちゃったりしてさあ…(笑)。

****

↓ こっからは、フグスマで書いできたんだナイ(笑)。


ヤフオクに
リュートの形をした
ボウル・バック(洋梨型)の
ウクレレが3.2万で
出品されていて目を引いた。



しかも、
いっちょまえに(笑)、
表面板の音孔は
ロゼット(薔薇窓)仕上げで、
裏板は二種のリヴによる
ストライプ仕上げという
凝りようである。

古楽器を意識した
意匠だが、
惜しむらくは、
指板を表面板と
同一平面に仕上げていたら
文句のつけようがなかった。

古楽器ではなく、
あくまでも
それを模した
ナンチャッテもんだが、
数千円レベルだったら
遊びに買ってもよかった。

でも、
すぐに飽きそうである。





「磯本つよし」の100円本を
市内の古書店数軒を
探し廻って、
4冊ほど見つけた。

あまり、
出来のいい作品ではなかったが、
それなりには
肩が凝らずに読めた。






市内よりも
数百mは標高が高い
運動公園あたりには、
まだ桜が花を
散らしていない所がある。

借景が吾妻の
雪ウサギというのも
この季節なればこその
絶景である。


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おら東京さいぐだ

2018-04-16 08:14:00 | 風景
今日から出張で
東京に長逗留するというのに、
土曜日からお腹の調子がわるく、
膨満感とムカツキがあり、
朝起きしたら体も痛い。

どうも
軽く腹風邪のようである。

そのクスリもあるので
服薬をはじめたが、
なんだか四日間で
回復するか心配でもある。

でも、
行かねばならないので、
通常の出勤よりも
いくらか臨戦モードで
少しはアドレナリンが
出ているかもしれない。

京都・大阪方面なら
住み慣れていたので
緊張感はなく、むしろ、
お里帰りのような
ルンルン感があるのだが、
どーも東京は好きじゃなくて
苦手である。

でも、新幹線で
1.5時間の距離だし、
息子たちふたりも暮らす処なので、
「天地は何処も我が棲み家」
という御教えを胸に、
楽しく遊ばせて頂くつもりで
上京したい。

昨日は、
滞在荷物をホテルの
同系列の他店に送ってしまい、
さっそくメールで移送手配をするなど
「いきなり、ドジっちまったい」
と、やっちまった。

あーあ、
である(笑)。

だいじょーぶか!?
カンレキ・ジジイ!!
と、己れを叱咤、鼓舞している。

出発前に頑張ったのは、
滞在中四日分のブログを
3サイト分の計12投稿を
土・日の二日で書き上げて
「予約投稿」を済ませた。

やるな!!
カンレキ・ブロガー!!
と、この時ばかりは
偏執的性格の
執念と気力には感心した。

ただ、
出先でフェイスブックに
ティーカップの『人生を遊ぶ』から
毎日、移植しなけりゃ、
とは思っている。

ホテルの近所の公民館に
15分100円という
レンタル使用PCがあるので
それでやるつもりではいる。




新連ドラ『半分、青い』を
視はじめた。

北川 悦吏子の脚本なので
ちょっと期待している。

これまでは、
『ロンバケ』、
『ビューティフルライフ』
『運命に、似た恋』
なぞを観て、それなりに
感動させられた。

幼少期のスズメちゃんが
愛らしくて可愛かったが、
今週からはナンタラいう
女の子に変わって、
いきなり高3になってもうた。

これから、北川流の
ドタバタ青春恋愛悲喜劇が
展開されるのだろう。






先週のソータ棋戦の
ユーキ&トベちゃんの
解説がスッキリ、ハッキリして
すこぶる聞きよかった。

ことに、
戸辺七段の滑舌のよさ
気転の廻る物言いに
感心させられた。

顔は黒メガネの受け口で
まるで「水木しげる」の
作品に出てくるオッサンに
そっくりなのだが、
その弁舌さわやかぶりは
大いに交換がもてた。

ソータの29連勝を阻んで
すっかり有名になった佐々木勇気も
弁舌さわやかで、解説にキレがある。

その六段、七段の
ふたりをしても
最後のソータの詰み筋は読めず、
「そうなんだ。
打たれてみて気がついた」
と感心していた。

「藤井さんクラスですと
 1分でも読みきることができるんですねぇ。
 さすがですねぇ」
と、詰め将棋選手権の
前人未到の「四連覇」で
世界一のチャンピオンには
舌を巻いていた。





土湯方面に出かけると
きまって帰路には
荒井の自衛隊前の道で
帰ってくる。

先日もそうしたら、
門から国防色の
戦闘車両が出てきたので
思わずカメラを向けた。

そしたら、
運転席の若い隊員と
目が合って
苦笑いされた。

きっと、
アミオタ・オヤジと
思われたことだろう。

でも、
偉大なバカボン・パパに倣って
「これでいいのだ!」
で、いつもやっている。

機銃などの武器は
搭載していないとはいえ、
この戦闘色とゴツゴツした
装甲車感がマニアの心を
くすぐるのである。

自分の車も
マットな戦闘色に
スプレー塗装したいなぁ・・・
という気持ちを
いつも抱いている。



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